小国の姫、大国の王子と出会う

結城暁

小国の姫、大国の王子と出会う

 海に囲まれた島国を、大陸にある国はかつてセンカと呼んでいた。けれどそこに住んでいる者達はそうとは知らず、そう呼ばずにいた。

 数多の国が日夜小競り合いを起こし、戦火の絶えぬその地はまるで蠱毒のように、どこかで国が国を滅ぼし、人が人を殺す、戦乱の地であった。

 その戦乱の島国にある小さな国、ミツキノ。大国に囲まれ、国というよりは大集落といったほうがいいくらい小さいミツキノ国は、特筆すべきもののない国で、周囲の国々もそのありふれた、平々凡々としたミツキノ国を攻めるまでもなく放置していた。

 けれど、この先はどうなることかわからぬ。

 父王の寝所がある屋敷を見つめて、ナラハは素振りを再開した。

 父王は先からの病で伏せっている。若い時分は神器たる大剣を振り回し田畑を荒らす害獣を追いかけ回していた偉丈夫も、体内に巣食った病には勝てぬ。

 父王が使っていた神器は今ナラハが振るっている。将来王となるべき弟がまだ小さいからだ。中継ぎの、王代理としてナラハは大剣を振るい、弟の即位まで、この国をなんとしてでも守らねばならぬという固い決意で、ミツキノの国防を担っていた。

 隣国のホウコウの国が最近、他国に戦を仕掛けている、という噂が届いているのだ。支配するには得のないミツキ国だが、ついでで攻められるという可能性もある。守りを固めなければ、という焦りばかりがナラハを動かしていた。

 女だてらにみずらを結い、男のなりをして、政務に鍛錬にと精を出していても、ホウコウに攻められたらこの国を本当に守りきれるのか、と不安が付きまっている。

 ホウコウはこの辺りで一番の大国だ。人の数も物量も、何もかもミツキノ国を上回っている。ホウコウ王は何人もの妃がいて、王子王女も数えきれぬほどいるという。ミツキノ国が勝っているものなどひとつとしてない。

 ナラハはかぶりを振って、弱気な考えを無理やり追い出した。汗みずくの体をぬぐい、ひと呼吸ついたときだった。

 にわかに門が騒がしくなった。門まで馬を乗り付けた兵士のただならぬ様子にナラハのみならず、屋敷の中からも人が駆けつける。


「水をもて!」

「はい!」


 ナラハは肩で息をする兵士を支えてやり、控えていた侍従が水を飲ませてやる。

 兵士は国境くにざかいを巡回しているはずの防人さきもりだった。その防人が慌てて馬で乗り付け、王のいる屋敷の庭で肩で息をしている。それが何を意味しているのか、ナラハは冷たい予感に背を振るわせた。


「殿下! 三の原付近で敵襲です! 旗印はホウコウ!」

「わかった、すぐに向かう!」


 大剣の神器を携え、馬場へと向かうナラハを、しかし老齢故に負ぶわれてきた宰相のマテバの言葉が押し留めた。


「殿下、まずは様子を見ましょう。いくら大国ホウコウとはいえ、動きがちと派手すぎます」


 今この時もミツキノ国の民が血を流しているのに様子など見ていられるものか──

 瞬間、胸に渦巻いた激情をナラハは飲み下した。

 ただの一兵卒であれば戦場に駆けて行き、敵を倒せばいいが、ナラハは王代行だ。敵襲がホウコウの罠かもしれない以上、歯痒くとも戦いの場に身を晒す訳にはいかない。

 ナラハは深く息を吐き、心を落ち着けた。


「……敵の様子を」

「はっ! 一刻前、三の原付近で農作業をしていた農夫達が襲われ、防人達がそれに気付き交戦状態へ。付近を巡邏していた防人達も駆けつけ拮抗しているが、未だホウコウの神術、妖術、神器使い、共に確認されておりません!」

「ふうむ。トウカク将軍に出陣していただこう。神器に加え、神術も巧みなお方ですから、雑兵は蹴散らせましょう」

「ああ、急ぎトウカク殿に伝えよ」

「ははっ!」


 転がるようにして兵が出ていく。伝令役の防人には休むよう伝え、ナラハは意識して呼吸を深く整えた。

 トウカクは馬の世話をしていたはずで、やはりすぐさま馬の嘶きが聞こえ、地を駆けていく蹄の音が遠くで聞こえた。

 空には暗く重たい雲が出ている。嵐になるのかもしれない。


「それで、旗個紋こもん個紋は」

「ホウコウ国紋に五! 色は深紅です!」


 将軍を示す個紋ではなかったことに、その場にいた誰もが安堵した。

 ナラハと弟のアカシは二人きりしかいない王子王女きょうだいであるため数字ではなく個紋を旗印にしているが、王子王女の多い国では国紋に数字で旗印とすることが多い。ホウコウも名のある将軍以外はほとんどが国紋を旗印としている。


「深紅か。マテバじい、誰か知っているか」

「さて、あちらの国はご子息もご息女も多い故。第五王子か、第五王女であることは確かでしょうが」

「ああもう、まだるっこしい。女は黒、男は白とでもしてくれればこちらの分かりが良いものを」

「ですな。しかし音に聞こえる大将軍でなかっただけマシかと──」


 ナラハは暗い雲の隙間からきらりと光るものを見た。

 ひやりとしたものがナラハの項を走る。何を考える間もなく、ナラハはマテバを後ろへ放り投げ、その場から跳び退った。マテバから抗議の悲鳴が上がったが、構っている暇はない。

 轟音、土煙、殺気。

 鼓膜を震わせ、肌に刺さるそれらに王女は宰相達に奥へ下がるよう促し、神器を構えた。


「王のおわす場所へ断りもなく入る無礼者め、名を名乗るがいい!」


 空から敵襲など考えもしなかったナラハはじとりと湿る手のひらを自覚した。広く気配を探ればかすかに空から神器の気配がする。ホウコウにあるという空飛ぶ神器だろうか。

 こんな小さな国を攻めるために、貴重な神器を出してくるとは。敵襲の報に焦ってナラハ自身が国境に向かっていれば、今頃は国の頭脳であるマテバは死んでいただろうし、その後は混乱に乗じて王も殺されていたかもしれない。

 晴れぬ土煙の中からけたりと楽しげな声が返った。


「っは! 戦をしにきたんだ、断りなんざするかよ、バ~~カ!」


 ナラハは神器を縦に構え、嘲りと共に飛び込んで来た得物を受けた。

 刃渡3尺ほど、大剣の神器に比べればはるかに小さいが、恐ろしく鋭い刀だった。おそらくはこれも神器であろう。

 両手でなんとか受け切り、返す刃で切りつけたが容易にかわされ距離を取られた。

 無論、一刀で勝敗がつくとは思っていない。ナラハは油断なく刀の持ち主を睨め付けた。

 ナラハより頭ひとつふたつ分は低い背丈の、しかし目付きは荒ぶる獣のごとき少年は、痩躯と言っていい体付きで、あの細い腕のどこから先ほどの力が出ていたのかと不思議なほどだった。深紅の革鎧にはホウコウの国紋が入っている。ホウコウの第五王子であるらしい。


「ミツキノ国は王の一の娘、ナラハ! ホウコウは我が国と敵対するということだろうか! 答えよ、第五王子殿!」


 言って、この少年の見窄らしさから、影武者かもしれぬ、と王女は間合いを図っていた。

 着ている着物は高価な絹ではなく綿か麻であろう。それもけして状態はよくない。よくよく見ればほつれも破れもあった。髪も手入れされておらず、ざんばらのまるで毬栗いがぐりのごとき荒々しさで、紅い色の見事な皮鎧も、年季が入っている。この大陸一豊かだというホウコウ国の王子らしからぬ出立だ。国紋の入った真新しい鉢金を巻いていなければそこらの一兵卒とそう変わらない。そもそも王子が敵地のど真ん中に単騎特攻などしてくるわけがない。


「お、俺はカブトという……」

「答えよ、カブト殿!」

「え、えへへ」


 なぜか笑い出したカブトにナラハはわずかに距離を取った。


「あ、あの、ナラハ……さん」

「なにか」

「す、素敵な名前ですね、えへへ……そ、そのう、ナラハ、さんは、う、うつくしいし、つよいし……も、もしかして、ご夫君が……もう、いたり……?」


 なぜだか顔を赤らめ、てれてれ、くねくねし始めたカブトからナラハはさらに距離を取った。

 屋敷の中に避難するよう指示したはずのマテバたちが興味津々、という風にこちらを眺めているものだから、いたたまれない。今すぐにでもここから逃げ出したい。

 しかし、ナラハの後ろには病に付した父がいるのである。弱気になるな、とナラハは自分を叱咤した。


「……いや、いないが」

「そ、そうなんですね! よかった!」


 そわそわ、もじもじし出したカブトから三度みたび距離を取る。

 何故か刀を鞘に収めたカブトにものすごく嫌な予感がして、さらにさらに距離を取った。ええい、取った距離を詰めてくるな!


「ナラハさん! 一目惚れしました、お付き合いを前提に結婚してください!」


 片手を差出し、がばりと腰を折ったカブトのつむじがよく見えた。

 差し出された手のひらは剣だこが出来ている。ナラハは鍛錬を重ねているのだな、と現実逃避した。


「予迷い事は我が国への侵攻をやめてから言ってくれ」

「わかりましたよろこんで!」


 無防備にさらされているカブトの頭をかち割ろうかナラハが迷っているうちに、カブトは空飛ぶ神器に飛び乗り、三の原の方へ飛び去っていってしまった。


「……なんだったんだ、いったい……」

「ナラハ様」

「なんだ、マテバじい」

「ご結婚、おめでとうございます」

「頭をかち割られたいのか、じい」


 防衛に赴いたトウカクと、疲れ切った表情のホウコウの兵と、それから照れて顔を赤らめたカブトが戻って来るのはその日の夕刻であった。

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小国の姫、大国の王子と出会う 結城暁 @Satoru_Yuki

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