十六話 事実

 茹だるような暑さの中、僕はとしくんと勉強していた。頭のいい彼なら、教えるのも得意だと思い頼んだ。


 しかし僕の考えは迂闊だったと、後悔することになるとは思ってもみなかった。なぜかと言うと……。


「あれをこうして、こうするんだ。公式はこれで」


「……えっと、もうちょっと優しく教えて」


「? 高一で習うだろ」


 だめだ……頭が良すぎて、僕みたいなバカのことは分からないのかもしれない。僕がそう思っていると、突然に部屋のドアが勢いよく開いた。


「陸! としくんが来てるって!」


「――――ここの公式は」


「それは、これをはめて」


「なるほど……」


 勢いよく入ってきた、猫のTシャツを着て欠伸をして腹をかいている五十嵐先生。僕たちが華麗に無視したのに、嬉しそうにしている変態の兄である悟がいた。


 僕たちは今、この人たちに構っている場合じゃないんだよね。猫の手も借りたいぐらいに大変なのに。


 猫の手も借りたい……考えてみたら、五十嵐先生は本職だから教えるの得意だよね。兄貴はお医者さんだから、頭いいし……。


「ということで、勉強教えて下さい」


「おい……陸、この二人に頼るのかよ」


「そうだぞ。自慢じゃないが、俺は休みの日は休みたいんだ。ぐだぐだしたいんだ」


 としくんの、言いたいことは確かにその通りだと思う。しかし、今はそうも言ってられない事情がある。


 夏休みの最終日はとしくんの誕生日なのだ。折角の誕生日なのに、遊べないじゃ困る。夏祭りに行って、たこ焼きや焼きそば食べたいし。


 だから僕は先生に向かって、これ以上ないぐらいの笑みを浮かべてお願いをしてみた。


「としくんのトラウマを、植え付けたのは誰でしたっけ」


「……分かりました。教えさせていただきます」


「はい。ありがとうございます」


 先生は僕のお願いを心よく聞き入れてくれた。他の二人が少し変な目で見ているが、僕は優しく笑うと二人は目を逸らしていた。


「いいか、ここの公式を使う前にこれを代入するんだ」


「なるほど……」


「大久保はもっと、真面目に受ければ成績上がるのにな」


「うぐっ……」


 先生の言葉に僕は、何も言い返すことができなくなってしまう。午前中ならいいけど、僕の席はちょうど午後になるとお日様がいい感じに当たる。


 そのためお昼ご飯を食べて、眠たくなった頃に暖かくなってしまうからつい寝てしまう。僕はそれでなくても、低気圧なのだからきついものがある。


 僕がそう思っていると、彼は先生に完全に反論してくれていた。彼の目が完全に、笑っていなかったから女装のことを根に持っているんだろうな。


「先生も、五時限目になるとうたた寝してますよね」


「びゅ〜」


「秋也。口笛下手だな」


 兄貴も若干引くぐらい咳払いも下手だし、口笛も下手のようで面白かった。それから、としくんは兄貴に教えてもらいながら時間は過ぎ去っていく。


 個々に自分のやることをやっていると、いきなり大きな音がシーンと静まりきった部屋に響く。


「としくん、お腹すいたの?」


「ああ、すまん」


 少し、恥ずかしそうにしているとしくんが可愛かった。ふと時計を見てみると、お昼の十二時を過ぎていた。


「仕方ないよ。お昼時だもんね。ちょっと待ってて」


「面目ない……」


 僕は一人リビングに向かうと、後ろから兄貴がついてきていた。そういえば、今日来るって母さんから聞いていたような気がする。


 今日から明後日まで、父さんが出張でいないから来たのかなと思った。鼻歌を歌いながら、チャーハンを作っている兄貴を見て僕は今なら聞いてみてもいいかと思った。


「……あのさ、なんで家を出て行ったの」


「――――聞かない方がいいよ。これからも、俊幸と一緒に居たいなら」


「どういう意味?」


 僕がそう聞くと、兄貴はあの時みたいな絶望の顔をしていた。少し前の僕ならここで何も言わずに、引き下がっていつもの日常に戻っていたと思う。


 事実から目を背けて自分だけが知らずにいる。前ならそれで良かったけど、今はずっとこれから先も一緒にいたい人がいるから。


「僕はもう何も分からない子供じゃないよ。それに、兄貴は大事な家族だから。教えて欲しい」


「陸……大きくなったな。見た目も中身も」


 兄貴はそう言って、少し悲しそうに微笑みながら僕の頭を撫でた。それから少し考えたのちに話してくれた。


「陸には言うつもりはなかったんだが、俺は男が好きなんだ」


「えっ……」


 十年前、兄貴は勢いで自分の部屋で好きな人に告白したらしい。その人には振られてしまったけど、今でも大事な友達らしい。


 問題はその後だった。告白した所を母さんに聞かれてしまった。そして耐えきれずに倒産と三人と話したらしい。


 その時に父さんに恥ずかしいと怒鳴られてしまった。何より堪えたのは、父さんが怒りながら泣いていたことだった。


 大学進学が推薦で決まっていたらしく、高校卒業と同時に一人暮らしを始めたとのこと。僕は話しながら、悲しそうにしている兄貴を見て何も言えなかった。


 それからは何も言えずに昼食の準備をして、無言のまま部屋に持っていった。部屋に入るっと、としくんと先生が顔を近づけていた。


「おう、陸。来たな」


「腹減った」


 僕と兄貴が来ても慌てることなく、二人は距離が近くてイラッとしてしまった。この前初めて分かったけど、これは間違いなくヤキモチである。


 まあ僕が、考えているようなことは絶対にないと思う。頭では分かっているが、腹が立ってしまうのは仕方ないと思う。


 僕がそう思っていると、テーブルにご飯を置きながらため息まじりに兄貴に言われた。


「陸、気持ちは分かるが。それはないと思う。秋也は昔から、距離が可笑しいから」


「そうなんだ……まあ、可笑しいのは分かる」


 なんかよく分からないが、変に納得してしまった。僕はとしくんと、先生の間に割って入って座った。


 すると二人からは、くすくすと笑いが起きてしまった。僕はなんかよく分からずに、ワカメスープを食べようとすると熱くて舌を火傷してしまった。


 そうしたら彼は笑いながら、僕の分のスープをふうふうしてくれた。そして、冷めたところで食べさせてくれた。


「ほら、熱いだろ。ふうふう……しっかりと冷ましてからな。はい、あ〜ん」


「あ〜ん……ありがと。いい感じ」


「良かった。美味しいか」


「うん。美味しいよ」


 僕たちは完全に、自分たちの世界に入ってイチャイチャしていた。そうしたら、先生と兄貴にガン見されて我に返った。


 僕は急激に恥ずかしくなって、自分で食べ始めた。すると彼は少し不満そうだったが、一人で食べ始めてしまった。


 そんな彼を見て僕もなんだが、嬉しい気持ちになってしまった。そんな中、僕は兄貴のことが気になってしまって見てみる。


 先生と楽しそうに談笑しているみたいだから、元気になったようで良かったと思った。それにしても、兄貴にそんな過去があったなんて思いもしなかった。


 もし……としくんと僕の関係が分かったら、父さんはなんて言うだろう。母さんは、なんとなく気がついてそうだった。


 なんとも思ってないのかと思っていた。しかし兄貴の話を聞く限り、もしかしたら本当は反対しているのかもしれない。


 そう思うとなんだが、うまく表現できないような気持ちになってしまう。ご飯を食べ終わり、それからは勉強を頑張ることになった。


 僕たちが勉強をしている間に、先生と兄貴が皿洗いをしてくれている。僕は勉強に集中出来ずにため息が多くなってしまった。


「陸、どうした?」


「ーーーーなんでもないよ」


 としくんは心配してくれていたが、父さんにもし僕たちのことがばれたらと思うと。どうしても憂鬱な気分になってしまう。


 僕がそう言うと彼は優しく微笑んで、僕の顔を見つめてきた。なんとなく真っ直ぐに、見ることが出来ずに目を逸らしてしまった。


「陸、何かあったのなら言ってほしい」


「……としくん」


「ちょっ! なんで泣いて!」


 僕は耐えきれずに泣き出してしまった。彼は泣いている僕を見てあたふたして、優しく僕を抱きしめてくれた。


 なんか不思議だよね。彼に抱きしめてもらうと、ドキドキするのは当たり前だけど……なんていうか、大丈夫って安心できるんだよね。


 それからいつもように僕は、ベッドに座って彼に後ろから抱きしめられていた。彼の体温はとても心地よくて、無条件に安心できる。


 話をすると言うことは、兄貴もことを言わなくちゃいけないってことだよね。流石に本当のことを言うのは、兄貴に聞いてからの方がいいよね。


 僕がそう思っていると、兄貴から本当のこと言ってもいいと連絡があった。僕は意を決して本当のことを告げることに決めた。


「兄貴が出て行った理由だけど……」


「話してくれたのか?」


「うん、それでとしくんにも言っていいよって」


「俺にも? いいのか? よく分からないが、デリケートな問題だろ」


「としくんにも、関係のある話だから」


 僕は兄貴から、聞いた話をそのまま包み隠さずに伝えた。彼は何も言わずに、只々僕の話を聞きながら優しく抱きしめてくれていた。


 そのおかげで僕は自分でも驚くくらいに、冷静に話すことができた。彼と一緒にいると、優しい気持ちになってしまう。


「そっか……やっぱ、男同士だと可笑しいって思われるのか」


「……世間ではそうなんだろうね」


「常識とかさ、そんなのは俺らには関係ない。俺は陸が好きって気がついた時点で、もう既に腹は括ってるから」


 彼の覚悟はもう痛いほど伝わってきている。僕だってそこまでは、考えていたわけじゃない。これからも彼と一緒にいたい……だけど、怖いのもある。


「……としくん、僕は」


「いいよ。無理しなくて、俺は無理に陸と一緒に居たいわけじゃない。俺は意陸の気持ちが一番大事だと思っているから」


「うん……ありがと」


 僕はまだ怖くて腹を括ることはできないけど、僕なりに考えていきたい。彼と体温と、耳にかかる息がくすぐったい。


 これからも彼と共に生きていくための方法を二人で模索していきたい。辛いこともたくさんなるだろうけど、彼となら乗り越えていけるって信じているから。

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