十五話 お風呂

 僕たちは順番にお風呂に入ることになった。そうしたら幸せそうに、微笑んでいる九条さんに言われた。


「私は良いから、二人でイチャつきながら入りなさい。私は部屋のシャワーにするから」


「おう、すまんな」


 九条さんのご好意に盛大に甘えるつもりだったが、次の言葉で彼の表情は曇ってしまう。


「その代わり、女装の写真を見せるのが条件で」


「――――悪魔か」


「嫌なら良いのよ。大きいお風呂は私が使うから」


「――――わかったよ」


 仕方なく九条さんの条件を飲むことにした。しかし九条さんが、盛大にガッツポーズをしているのが見えたから嫌な予感がした。


 見なかったことにして僕たちは、大浴場に向かった。僕が服を脱ごうとすると、彼は僕のことをガン見していた。


「えっと、そんなに見られると脱ぎにくいんだけど」


「あ、えっと。そうか? 俺は気にしないけど」


「少しは気にしてほしい」


 彼と違って僕は鍛えていないし、ひょろっとしているから見せるのが恥ずかしいのもある。


 僕がそう思っていると、彼は突然僕のことを後ろから抱きしめてきた。そして僕の首筋に顔を埋めて、キスをしてきたから変な声が出てしまった。


「ひゃ! 急に何を!」


「やっと、二人っきりになったなと思って」


「そうだね……そんなに嬉しい?」


「当たり前だ。空雅のバカが邪魔してきたから、圧倒的に俺の中の陸成分が不足している」


 そんなことを耳元で囁くのは、やめてほしい。くすぐったいやら、こそばゆいやらで変な感じがしてしまうから。


 僕がそう思っていると、彼は僕の耳をはむっとするもんだからまた変な声が出てしまった。


「もうやめて……」


「嫌……ではなさそうだな」


 僕が自分の顔を両手で押さえて恥ずかしがっていると、何かを察してくれたようでやめてくれた。


 これ以上は、自制が効かなくなってしまうから要注意である。彼に触られるのは嫌いじゃないけど、みんなが近くにいるのだから変に意識してしまう。


 僕がそう思っていると、彼は僕の手を引っ張って行ってくれた。浴場に行くと彼は嬉しそうに、僕の頭や体を洗ってくれた。


 鏡越しに見る彼は本当に嬉しそうで、僕までも嬉しくなってしまう。そしてお互いに流しっこをして、一緒に浴槽に入って後ろから抱きしめられた。


「こんなに広いのに、狭くない?」


「言っただろ? 俺は陸と一緒にいれれば、なんでも良いんだ」


 そうして温まっていると、彼は聞きたくなさそうに聞いてきた。僕もあまり話したくなかったが、仕方なく答えてみた。


「お兄さんは、元気か? 家に行っても見かけないし」


「ああ、兄貴は家を出て行ったよ」


 高校三年生までは、兄貴も父さんも仲は良かった方だと思う。一緒に釣りに行ったり、家族でキャンプに行ったりしていたし。


 それがある日。学校から帰ると、突然に普段温厚な父さんの怒号が聞こえてきた。僕は何が起きたのか、分からずに只々怖くて自室で震えていた。


 そんな時に兄貴が来て僕を抱きしめて、小刻みに震えてながらこう言っていた。


「にいちゃん、家を出ていくよ。父さんは、俺が恥ずかしいらしい」


「なんで? にいちゃん、お医者さんになるために頑張ってるじゃん! かっこいいよ!」


「ありがと……でもな、俺は家を出ていくよ。でも応援しているから」


「うん……僕も応援してるよ」


「ありがとう」


 僕がそう言うと兄貴は、嬉しそうに泣き出してしまった。いつもふざけてばかりの兄貴が、その日はまるで子供のように泣きじゃくっていた。


 当時の僕は幼いながらに、ただの親子喧嘩じゃないことぐらいはすぐに察することはできた。


 それから兄貴は荷物を纏めて大学進学と同時に、家を出て父さんに会うことはなかった。今では夢だった医者の道を歩みながら、奨学金を返しているらしい。


 今でも何が原因だったのか、僕は知らずにいる。何度か聞こうと思ったけど、一人で泣いている母さんを見たら何も言えなかった。


「何が原因だったんだろうな」


「さあ……でもあれから、父さんは兄貴の話をしなくなってしまった。まるで、初めからいなかったように」


「――――おばさんは?」


「母さんは、兄貴の部屋に行って家事とかしてるみたい。兄貴は今でも、父さんが出張でいない時は家に来るし」


 それでもどこか暗い雰囲気を纏っていて、以前の和気あいあいとしていた家族はいなくなってしまった。


 僕もあの頃は自分のことで精一杯で、それどころじゃなくて一緒に住んでいるだけで家族ではなくなってしまっていた。


「そんなことが……まあ、人それぞれあるよな」


「うん、そうだね」


 僕たちはお互いに何か思うことがあったと思う。この時は何も言わずに、只々寄り添うことで底知れぬ不安を少しでも拭うことしかできなかった。


 お風呂から上がって服を着て、僕は彼に髪を乾かしてもらっていた。その間も、僕たちの間には言葉が何も無かった。


 それでも全く、嫌な感じはしなかった。むしろ、彼と一緒にいることがこんなにも幸せな瞬間だと感じることができた。

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