五話 好きという感情

 見ていることもできずに、俺は保健室へと駆け込んだ。幸いなことに、先生はいなかったから僕はベッドで泣きじゃくってしまった。


 あれからどれくらい経ってしまったのだろうか、目が覚めると何やら温かいものが手に触れていた。


 気持ちよくて温かくて、何やら懐かしいようなそんな感触だった。僕は思わずそれを手に取ってしまった。


「陸、起きたか? 具合悪いなら、そう言えよな。心配したぞ」


「……なんで」


「お前が教室にいなくて、保健室だって聞いてきてさ。熱はないみたいだな」


 そう言って田口くんは僕のおでこに自分のおでこをくっつくけて、熱を測っているようだった。


 いつもなら顔が近くて、ドキドキして一人で焦って失敗して迷惑をかけてそれでもそのふわっとした優しい笑顔で微笑みかけてくれて。


 ただそれだけでよかったのに、今はその笑顔を見ることが怖くてたまらない。ほっといて欲しい。


 構わないでほしい。僕がそう思っていることを知らない彼は、ずっと何やら一人で喋っている。


「それでさ、今日。家に行っていいか? ゲームしたいし……でも、具合悪いならやめておくか」


「わないで……」


「え? 今なんて」


「僕なんか構わないで! 僕なんかいなくても、君はやっていけるだろ! 九条さんがいるでしょ!」


 僕は彼の顔を一回も見ずに、そう叫んでいた。自分のことしか考えずに、相手のことなんてお構いなしに。


 つい本音を言ってしまった……多分、一番言ってはいけないことを。本当はそんなこと考えたくない。僕だけを見ていて欲しい。醜い独占力で、彼は誰のものでもないのに。


 僕はそんな自分が心底嫌いで、誰にも好かれることなんてない。僕がそう言うと、彼は黙って保健室を出ていってしまった。


 きっと呆れてしまった。今度こそ、嫌われてしまった。そりゃそうだ、彼が心配してくれているのに僕は自分のことばっかで。


 いいんだ……それで、嫌われて蔑まされて、離れていって……そうすれば、いいんだ。今は苦しいけど、息もできなくて辛いけど。


 いつかそれが日常になれば、苦しくもなく辛くもなくあたりまえになれば……。嫌だ、離れていくなんて、離れてしまうなんて……。


「辛いなあ……」


 泣きじゃくっていたから、泣きたくても泣けなくなってしまったようだ。僕が自重気味に笑っていると、保健室のドアが開いて田口くんが来た。


 僕は彼の表情を見たくなかったから、咄嗟に布団を被って寝転んでしまった。すると、少し怒っている様子な彼に布団を剥がされてしまった。


「たぐ……」


「本当、お前は馬鹿か」


「……」


 そう言って直ぐに優しくて温かくて大好きないつもの彼の表情になり、優しく抱きしめてくれた。そして、僕の頬を両手で支えて僕の目を真っ直ぐに見て言ってくれた。


「俺は、お前が好きだ。ちょっと、卑屈なところも。ちょっと、勘違いして暴走している所も。全部全部、お前の全てが好きだ」


 だめだ。勘違いしては。おそらく深い意味はない……友達として、幼なじみとしてだ。


「僕は……僕も、好きだぞ。友達として、幼馴染として」


 だめだ……。言葉を自分の都合のいいように捉えるな。好きなのは、友達として……そして、幼なじみとしての義理のようなものだろう。


 だから恋愛感情な訳がない。彼が僕みたいな奴を好きに、なるはずなんてない。きっと、たまたま幼なじみになってしまったからであって。


 幼なじみになっていなければ、話すことなく終わってしまうことだっただろう。だから、期待するな。望むな。それ以上を。


 そして拒絶するんだ。期待してはいけない。だめだ、離してくれ、僕は抱きしめてくれている腕を体を剥がそうとするが離れない。


 必死に争って抵抗して離れないようにしている、というか俺自身が離れたくないのだ。心では離れたいと、終わらせたいと思っている。


 でも心の奥底では、それを拒んでいる。拒否している、僕は彼が好きで好きでたまらなくて。


「友達としても、幼馴染としても大切さ。でも、そうじゃない」


 やめてそれ以上は言わないでくれ。それ以上は、後戻りできなくなってしまう。これ以上はやめてくれ、もう言わないでくれ……。


「俺は恋愛感情をもう、ずっと前から抱いている。ずっと前から、俺には陸しか見えていない」


 そう言って僕の目を、真っ直ぐに見つめてくる彼の瞳には僕が写っていた。明らかに真面目で本気なのが伝わってきた。


 僕の手を握る彼の手が、熱くて火照っているのが分かった。左腕で僕の腰を支えていて、その手が震えていた。


 僕は彼の真剣な眼差しから、目を逸らすことができずに徐々に綺麗で端正な顔が近づいてくる。


 僕は本能に争うことができずに、静かに目を閉じて優しく彼の熱くなっている唇が僕に触れたのを感じた。


 目を開けてみると、僕のことを愛おしそうに見つめている彼が目に入ってきた。僕の心臓は、かつてないほどにどくどくと音を鳴らしていた。


「としくん……」


「陸……好きだ。好きだ」


「うん、分かった」


「分かっていない。全然、分かっていない」


 そう言って凄く苦しそうに、今一度僕を強く優しく抱きしめて泣き出してしまった。僕は昔を思い出して、静かに彼の頭を撫でてあげた。


 すると、彼は嬉しそうに笑っていた。昔はよくこうやって、泣き虫で弱虫なとしくんの頭を撫でてやったっけ。


 いつからなんだろう、立場が逆転してしまったのは。昔は、僕は彼を先導して導いてやっていたのに。


 変わってしまった、彼も僕も。彼はいい方向に、俺は良くない方向に行ってしまった。それと同時に、僕が知らない十年間を知りたくなった。


 僕は彼が本当に好きで、彼も僕が好きだと言ってくれた。きっと、僕以上に本気で後先なんて考えていなくて。


 まるで子供のように、僕の腕の中で泣きじゃくって寝てしまった。そんな彼がとても愛おしくて、今一度優しく抱きしめた。


 しばらく保健室で休んでいると、欠伸をして気怠そうにした五十嵐先生が入ってきた。そして、ベッドで抱き合っている僕らを一瞥してめんどくさそうに呟いた。


「……どうでもいいが、ちゃんと処理はしろよ」


「……! ち、違います! その、としくんが具合悪そうで! それで!」


「……そうか」


 先生の言葉の意味が一瞬、理解出来ずに思考がフリーズしてしまった。しかし、理解できたが恥ずかしくなり慌てて否定したが疑っているように見えた。


「違うのに……」


「まあ、青春は程々にして授業に来いよ。万年赤点くん。後、ちゃんと避妊はしろよ」


「ちょっ! 先生!」


 先生は一人、爆弾発言をして笑いながら行ってしまう。だけど、今はそんなことは関係ないように嬉しくて堪らなかった。


 僕が一人で悶々と考えていると、彼が起きたようで少し恥ずかしそうにしていた。その様子がとても可愛くてつい笑ってしまった。


「笑うなよ」


「ごめんって、でも可愛くて」


「可愛いのは陸の方だって」


 そう言って僕のことを見つめる彼が、とても幸せそうで僕までも嬉しくなった。そして、流れるようにキスをしてきた。


 僕は幸せすぎておかしくなるんじゃないかと、気になっていることを聞いて見た。彼はとても嬉しそうに、膝に僕を抱えて座っている。


「その、九条さんとは……どうなの」


「どうって?」


「その、壁ドンしているのを見てしまって」


 僕がそう言うと彼は、しまったとばかりに両手で顔を隠していた。聞いちゃいけないことだったのかな。


 僕のこと好きだって言っていたのに、隠し事をするなんてなんかモヤモヤする。僕だけを見て欲しいなんて、言ったらどう思うかな。


 僕はそう思って、彼の火照っている顔を見ながら思っていた。すると、僕の視線に気がついた彼がため息をつきながら教えてくれた。


「美雪は、写真部だろ」


 詳しいことを聞くと、僕が心配していたのは杞憂だったことが理解できた。同人誌っていう漫画? があるらしい。


 それを描くのに壁ドンの写真が欲しかったらしい。それで身長的にちょうど良かった彼に頼んだとのこと。


 顔が赤くなっていたのは、妄想していたからである。それに対しては理解できたけど、僕は一つ疑問があったから聞いてみることにした。


「ところで、なんで了承したの?」


「――――まあ、いいじゃん。なんでも」


 よく分からないが、彼が何かを隠していることは明白だった。そのため、目を逸らしていていたから僕は彼の瞳をずっと見つめていた。


「としくん、嘘つくの昔から下手だったよね。嘘つくと、目を逸らすの」


「えっ⁉︎ そうだったのか。陸に、隠し事はできないな」


 そう言って彼は渋々と言った様子で、本当のことを教えてくれた。聞かなければよかったと後悔したけど。


「美雪がその……陸を隠し撮りした写真を数枚……」


「何枚」


「その……数枚?」


「具体的に、何枚」


「十枚……です」


 まさか隠し撮りしていたとは、九条さんに関してはこの際まあいいだろう。しかし、十枚は多すぎやしませんかね。


 僕が少し睨みながらそう思っていると、彼は捨てられた子犬のような瞳でしょげていたその様子がとても可愛くて、つい意地悪したくなってしまった。


 しかし自分でもこの空気に耐えきれずに、笑いが込み上げてきたから真相を教えてあげた。


「ぷっ……ごめん、冗談」


「……ふんっ」


 僕がそう言うと彼は不貞腐れてしまった。そんな彼を、愛おしく思えてしまった僕も大概である。


 僕の膝枕で寝ている彼が、可愛く思えて意地悪したくなったのだ。まあ、その日……全く、授業に出ていなかったから怒られたのは別のお話である。

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