第24話 幼馴染
診療時間を終え、皐月は片づけや着替えを済ませると、裁人に声を掛けた。
「お先ー」
「皐月君。週明けに新しく雇い入れた臨床心理士の方が来ます」
ジャケットを羽織りながらサラリと裁人が言い、皐月は僅かに眉を寄せた。
「……ああ、うん。分かった」
「不服そうですね」
「別に」
裁人は緋色の瞳でじっと皐月を見つめると、「私はその言葉が嫌いです」と言った。
「何がだよ」
「会話のやり取りとしておかしいです。皐月君が『別に』という時は、『不満があるけれど言いたくない時』です。何かあるなら言ってください」
「いちいち思った事全部を口にしてなんかいられないし、言ったところでどうにもならないだろ!?」
「それは会話してみなければわかりません」
皐月は苛立ってぎゅっと拳を握り締めた。これだからAIは融通が利かなくて困ると考えて、そんな風に思ってしまった自分にも腹を立てた。
「俺は、あまり人付き合いが得意じゃないから、新しく入る人と上手くやっていけるか不安なだけだよ」
「問題ありません。皐月君と彼は気が合います。お互い『好き』になれます」
「……ごめん。今日は疲れたから、もう帰るよ」
皐月はこれ以上裁人と話しても無駄だと思い、会話を打ち切るとクリニックを後にした。
——裁人にはきっと、説明しても分からない。『好き』があれば、『嫌い』もあるんだってことを。裁人は誰に対しても平等に対話するAIなんだから……。
帰宅途中、スーパーで食材を少しだけ買い足そうと思い、寄ることにした。明日はクリニックの定休日だ。一日中部屋に閉じこもっていられるだけの食料を確保しておきたい。
買い物カゴを持って店内を物色していると、爽やかなスポーツマン風の男が皐月に声を掛けてきた。
「天野? 天野皐月だよなぁ?」
皐月はポカンとして、暫くその男の顔を見つめた後コクリと頷いた。彼は照れ笑いを浮かべながらも嬉しそうに頭を掻いた。
「久しぶりだなぁ。いや、全然変わらねぇな! こんなところで会うとは思わなかったぜ」
「
晃大は皐月の服装を見てブハっ! と笑うと、「お前、相変わらず男前だな!」と言ってニッカリと笑った。
「俺はこの近所で一人暮らし中でな。酒とつまみを買いに来たところだ」
「なんだ、いつの間にかまた廣瀬さんとご近所さんになってたんだね」
「『廣瀬さん』だなんて呼び方止めろよ。改まっててなんからしくねぇし。昔みたいに『晃大』でいい」
晃大は照れ笑いを浮かべながら、短い髪の頭をガシガシと掻いた。皐月がニッと笑い、「俺もちょっと呼びづらいって思ってたんだ、晃大」と言うと、嬉しそうに「おう」と返事をした。
「よし、それじゃあお前のことは……」
「でも、俺を『さっちゃん』って呼んだら殺す」
言葉を重ねる様に皐月が言ってジロリと睨みつけると、晃大は肩を竦め、「わかってますって」と、困った様に眉を寄せながら言った。
「なあ、暇なら俺ん家に寄れよ。久しぶりに近況を語り合おうぜ?」
「えー……。晃大の部屋、散らかってそう……」
「まあ、綺麗とは言えねーかもなぁ。でも、ホラ」
晃大が得意げに買い物かごの中に入れてある惣菜を見せた。
「唐揚げ!!」
「お前、好きだったよな? 唐揚げをツマミにゲームでもしながら近況報告といこうぜ」
——晃大と会ったのは丁度良かったかもしれない。なんだか今日は一人で家に居ると色々な事を考えてしまいそうだし……。
「じゃあ唐揚げもっと買い足そうよ」
晃大は豪快に笑うと、「了解、お前は自分の飲み物確保しとけ」といい、二人はあれこれと買い込んで晃大の住むマンションへと向かった。
駅やスーパーからも近いそのマンションは、建てられて間もない高層マンションで、皐月の住むマンションからも近く、クリニックへの通勤時に毎日横を通っていた。
「ただいまー」
玄関先で晃大が靴を脱ぎながら声を放った。
「一人暮らしなんじゃないの?」
皐月の突っ込みに、「寂しい事言うなよ。気持ちの問題だろ!?」と、晃大が言い、皐月はぶっと吹き出した。
男の一人暮らしのわりには片付いている玄関で、皐月は「お邪魔します」と靴を脱ぎ、隅に揃えて寄せた。
——『ただいま』なんて言葉、もうずっと使ってないな……。
皐月はそう考えて、少し羨ましく思いながら晃大を見つめた。晃大はニッと笑って皐月の頭をガシガシと撫でると、「んな、改まるなって」と言って、キッチンの方へと向かった。
室内は一人暮らしには十分過ぎる広さで、リビングには座り心地の良さそうなソファが置かれていた。
「グラス、要るか?」
「缶から直飲みでいいよ」
「テキトーに座ってくれ」
ソファへと皐月が腰かけると、晃大は電子レンジで温め直した唐揚げを手に、「飲むぞ食うぞ、ゲームやるぞ!」と、少しはしゃいだように言って、ソファには座らずに地べたへと座った。
「ソファに座らないの?」
「ああ、俺は床に座る方が好きなんだ。殆どそれ、使ってねぇぜ?」
「じゃあなんでソファ買ったの!?」
「そりゃあお前……彼女を呼んだ時の見栄えがだなぁ……」
「へぇ? 彼女居るの?」
晃大は唇をへの字に曲げると、「募集中だっ!」と言いながら皐月の膝に軽くチョップを食らわせた。
「だと思った」
「うるせー!」
ケラケラと笑う皐月の横で、晃大も笑いながら缶ビールをプシュ! と開けると「よし、改めまして、再会を記念してー!」と言った。
「別に再会を記念したわけじゃないけど、乾杯!」
「おう、乾杯!」
晃大はニッと笑って缶ビールを掲げて皐月と乾杯をすると、ぐびぐびと飲んだ。
リビングにはやたらと大きなテレビが置かれていた。テレビ台の中には様々な機種のゲーム機が並んでいる。
「相変わらずゲーマーなんだなぁ。子供の頃、晃大の家に遊びに行くとゲームが沢山あって、よく兄貴と三人で遊んだよね」
「お前、へったくそで負けるとすぐベソかいてたよな」
「俺だけ年下だったんだから仕方ないだろ!?」
ムッとしたように皐月が言うと、晃大は豪快に笑ってビールを飲んだ。
「ま、オンラインゲームには手を出さねぇようにしてるけどな」
「どうして? 依存するから?」
「いいや? 時間が不規則だから。折角仲間が出来ても一緒にプレイできねぇし」
皐月は「ふーん」と言いながらビールを一口飲んだ。
——時間が不規則って、晃大は何の仕事に就いてるんだろう?
「で? お前は彼氏いないのか?」
晃大の質問に皐月は「ブハッ!!」と、豪快に噴き出すと、ケホケホと咳き込んだ。
「まだ『天野』のままなのか? 苗字変わってねぇの?」
「変わってねぇよっ!!」
——もう、変わらないだろうし……。
「なんだ、しけた顔して。ひょっとして振られたのか? 俺、タイミング悪かったか?」
「うるさいなっ! そんな話をするなら俺、帰るっ!」
「怒るって事は、図星ってことか?」
皐月はハッとして唇を噛んだ。晃大はビールをぐびぐびと飲むと、ふぅっと息を吐いて缶をテーブルの上に置いた。
「悩んでるなら相談ぐらい乗れるぜ?」
「……別に、悩んでるって程じゃないけど」
「今って、大学卒業して何やってんだ?」
「看護師だよ。小さなクリニックで働いてるんだ」
皐月はビールをゴクゴクと飲んだ。
——俺は、裁人に依存してる。あいつの足枷になるなんて嫌なのに。
「成程、その開業医と何かあったのか?」
「ブバッ!!」と、皐月が豪快に噴き出すと、晃大は笑いながらタオルを投げた。
「汚ぇな。ちゃんと拭け」
「晃大がおかしなことばっか言うからだろ!?」
「怒るってことは図星なんだろ?」
「そ、そうじゃないけど、色々と複雑なんだっ!」
皐月がタオルで拭きながら、顔を真っ赤にして言うと、晃大はニヤニヤと笑った。
「これは面白れぇツマミだ。唐揚げは天野が全部食っていいぜ?」
「人の話をツマミにすんじゃねぇよっ!」
「で? 実際どうなんだ? 天野はその開業医の事は嫌いなのか?」
——裁人の事が嫌いかだって……?
皐月は考えて、首を左右に振った。
「……いや、嫌いとかそういうんじゃない。そうじゃなくて、俺はただ『依存』したらだめだって思ったんだ」
「『依存』?」
皐月は頷くと、ビールの缶をテーブルの上に置いた。
「……頼りっきりになりそうだから。頼ったら、『依存』しちゃったら、居なくなった時を考えると怖い」
皐月にとって大切な人は皆居なくなってしまった。物心がつく前に兄を。二十歳になる頃には両親を。そして、初めて自分をそのままでいいと認めて愛してくれた良平も……。
これ以上失う事で傷つくのは嫌だった。傷ついた気持ちを皐月は自分の弱さなのだと思っていた。誰かに『依存』することは、弱いのだとそう考えたのだ。
「俺、誰にも『依存』なんかしたくないんだ。失った時の事を考えると、耐えられないから」
晃大は真剣に皐月の言葉を聞いた後、瞳を閉じて、唸りながら首を捻った。
「誰かを好きになることが『依存』で、それが駄目だって言うならよ、生物学的に『人間』を否定してねぇか?」
——裁人は人間じゃないし……。
「そもそも愛情自体が『依存』って言葉に置き換えやすいしなぁ……。例えば、俺は酒が好きだけど、『依存』か? っていうと、まだそこまでじゃない」
——そうかな?
皐月は晃大の家のキッチンの隅に、大量のビールの空き缶が袋に詰められて置いていた様子を認めている。
「好きこそものの上手なれとも言うし、微妙なところじゃねーの? ゲーム好きだけど、俺は『依存』までいってねぇとは思うし?」
——そうかな?
皐月は晃大の部屋のテレビ台の横に積みあがっている、大量のゲームの山を見つめた。
「俺は少なくとも、『依存』ってのはそれが無くなると生きて行けなくなるくらいに苦しいモンだと思ってるが。つまり、天野はその開業医が死ぬほど好きって事なのか?」
「ち、違う!!」
皐月は思わず首を左右に振った。
「絶対に違うっ!! 誰があんな奴っ!!」
顔を真っ赤にしてそう言う皐月を、晃大がニヤニヤしながら見つめた。
「天野、怒るってことは、図星ってことだぜ?」
——は?
皐月は自分の顔が火照っている事に焦りを感じた。
俺が、既に裁人に依存してる? 俺は、裁人が好きだって言いたいのか……? ありえない!! あいつはクソAIだっ!
「あんたの持論なんか知るかっ! 図星じゃなく間違った事を言われたって人は怒るだろ!?」
「間違ってたら逆に笑うと思うけどな」
「ん……な…………っ!!」
晃大はテーブルの上に置いたビールをくっと飲み干すと、充電器からゲームのコントローラーを取り、皐月に一つ手渡した。
「さ、悩みも解決したことだし、ゲームでもやろうぜ?」
「悩んでもねぇし、解決もしてねぇよっ!!」
「じゃあ、お前が納得したら解決だな。答えはもう出た」
「だから、違うって!」
晃大がゲーム機の電源を入れると、リンクされてテレビの電源が入った。皐月もソファから降りて地べたへと座ると、「臨戦態勢に入ったな?」と、晃大が笑った。
「どうせやるなら本気でやりたいし。子供の頃とは違うんだ、負けないぞっ!」
「そうこなくっちゃな。さーて、どのゲームにするか」
カチカチとコントローラーを操作しながら、晃大は思い出した様にポツリと言った。
「そうそう、俺も週明けから開業医のメンタルクリニックで働くことになったんだ」
晃大のその言葉に、皐月は嫌な予感がした。
「へ……へぇ? 何てクリニック?」
上ずった声でそう問いかけると、晃大は「有幻メンタルクリニック」と応え、皐月は「はぁ!?」と、叫びながら立ち上がった。
突然立ち上がった皐月をキョトンとして見上げて、晃大はパチパチと瞬きをした。
「ひょっとして……」
皐月は項垂れながら頷くと、晃大は「まじか!?」と、驚いた。
——どう考えても、裁人は俺と晃大が知り合いだと知ってて雇用したに決まってる……。
「こいつはすげぇ。偶然ってあるもんなんだなぁ~」
——絶対偶然なんかじゃないっ!! あいつ、何考えてんだ!?
皐月は苦笑いを浮かべながらも、怒りを露わにぎゅっとコントローラーを握り締め、パキッとコントローラーが悲鳴を上げた。
「まあ、楽しくなりそうじゃねぇか。これから宜しくな、先輩!」
晃大が屈託のない笑みを向けるので、皐月は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
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