第9話 クレプトマニア(窃盗症)

 連休最終日のショッピングモールは、一般道に加え高速道路のサービスエリアからも行き来ができる場所にある為、その利便性が大いに活用され大混雑となっていた。


 皐月はぐったりとしながら項垂れて、颯爽さっそうと歩く裁人の肩を叩いた。


「裁人ぉ、人混みで酔いそう……」

「飲酒や乗り物に乗っているわけではないので酔いません」

「えーと、人混みに揉まれるの苦手なんだけど」

「人混みは揉みません」

「……」


——このクソAIときたら、言葉をそのまま受け取るから厄介だっ!


 裁人はまるで人の流れを読んでいるかのようにすいすいと歩き、皐月はついていくだけでやっとで、時折引き離されては慌てて追いつくを繰り返していた。


「ねぇ、何か買う物でもあるの? もう帰ろうよ」

「鍛えています」

「……は?」

「人混みで素早く人を避けながら歩く事は、脳にとって有効です」

「一人でやれよっ!!」


 苛立って怒鳴りつけた皐月を、裁人は緋色の瞳でじっと見つめた。突然無言になって見つめてくるので、皐月は眉を寄せ「何?」と警戒するように身を退いた。


「皐月君、財布をスられています」

「え!?」


皐月は驚いてカーゴパンツの後ろポケットに手を当てて、ヒヤリとした。


——財布が無い。


「え!? 嘘!? 一体どこでっ!?」


 裁人はふと宙を見つめる仕草をした後、皐月の手を掴み、パッと駆けた。


「わっ! ちょっと、裁人っ!」


もたつきながら慌てて声を発した皐月にもお構いなしに、人混みをするするとすり抜けていく。そしてそのままショッピングモールの化粧室へと駆け込もうとしたので、皐月は慌てて「待って!!」と叫んだ。


 女性用の化粧室の入り口で裁人が足を止めると、皐月はうんざりしたように項垂れ、肩で息をした。裁人は全く呼吸が乱れてすらおらず、化粧室の方を見つめている。


「なんでトイレになんか……」

「この中に、皐月君の財布を窃盗した犯人が居ます」

「……まじで!?」

「防犯カメラの映像を追いました」


——なんて便利な……いやいや待て。だからといってどう見ても男に見える俺達二人が女性用のトイレに入る訳にはいかないだろう!!


「ここで待とう。出入口は一つしか無いし、待ってれば出て来るだろう?」


 女性用トイレはショッピングモール同様混雑しており、利用を待つ女性達が列を作っていた。彼女達が皐月と裁人を怪しげにチラチラと視線を向けているので、皐月は居た堪れなくなって裁人の手を掴み、広い通路側へと向かった。

 そこならば男性用と女性用のトイレから出て来た全ての利用客が通る為、不審者扱いされる心配もない。


「あ」と、裁人が声を上げたので、皐月は犯人が居たのかとキョロキョロと周囲を見回した。


「たった今、先ほどトイレの列に並んでいた女性の一人が、SNSに私達が痴漢ではないかという記事を投稿しました」

「え!?」

「削除しておきます」


サラリと裁人は言うと、「終わりました」とへらへらと笑った。


「私の髪色は目立ちます。万が一犯人がSNSをチェックした場合、警戒されますから」

「っていうかさ、俺が止めなかったら、あんたあのまま女子トイレに押し入る気だったのか!?」

「はい」

「逆に俺達が捕まるって!!」

「皐月君は捕まりません」

「ああそうかよっ!! ……それより、犯人ってどんな人なの? 特徴とかさ」

「あの人です」


 すっと裁人が指さした方向に、眼鏡を掛け、マスクで顔を覆った女性が歩いていた。年齢は中年程で、肩くらいの長さの髪に、服装はリゾート地のショッピングモールに来たわりには嫌に地味だった。

 皐月が足を踏み出す事を躊躇ちゅうちょしていると、裁人がすっと女性の前に赴いた。


「財布を返して頂けませんか?」


——どストレートにいった!?

 皐月が唖然としていると、女性は眉を寄せ、「はぁ?」と、声を上げた。


「言ってる意味わかんない」


そう言って裁人から逃れようとした女性の前に、皐月が立ち塞がった。


「返してもらえないなら、警察に通報しますよ?」


女性は僅かに怯んだものの、「勝手に通報すればいいじゃない。私、急いでるから」と言って、横をすり抜けようとした。裁人がぱっと腕を伸ばしてゆく手を塞ぐとへらへらと笑った。


遠藤芙美子えんどうふみこさん。歳は四十一歳。家族構成は旦那さんの遠藤克光えんどうよしみつさん四十五歳と、息子さんの遠藤優斗えんどうゆうとさん十二歳の三人家族ですね」


 女性は自分の情報を裁人に言い当てられて、明らかに動揺した。


「ちょっと!! なんなのよ、あんたっ! 人の個人情報をっ!!」

「五回程、窃盗による逮捕歴もありますね」


裁人はニコリと微笑むと、すっと手を女性に差し出した。


「皐月君の財布を返してあげてください。大して入っていなかったでしょう? そのせいで犯罪履歴を更新するのは面白く無い事だとは思いませんか?」

「たいして入って無いは余計だっ!!」

「私は貴方の個人情報を把握しています。逃れる事は不可能です」


 女性は観念したのか、突然しおらしくなると、「財布なら、現金だけ抜いて後はトイレのサニタリーボックスに入れたわ」と言ったので、皐月は「ぎゃっ!」と声を上げた。

 慌てて女子トイレに取りに行こうとする皐月の手を掴み、裁人は止めると、女性を見つめた。女性は縋りつく様に裁人を見上げて、瞳を潤ませた。


「警察には言わないでください! 私、クレプトマニアなんです。病気なんですっ!」


 クレプトマニア(窃盗症)とは。万引きなどといった窃盗行為を繰り返し行ってしまう依存症の事だ。


——精神疾患だって? 裁人はどうするつもりだろう……?

 皐月がチラリと裁人を見ると、裁人は緋色の瞳で真っ直ぐと女性を見つめていた。それは冷たい眼差しで、怒りを込めているようにも感じられた。裁人がそんな表情をするのは初めてだと皐月は思い、一体何に腹を立てたのだろうかと眉を寄せた。


「……貴方はクレプトマニアではありません」


静かに、しかし怒りの籠った声色で裁人が言った。


「貴方は、夏である事をいいことに、指紋がつかないようにと日よけ用の手袋をつけ、連休中で混雑しているリゾート地のショッピングモールへ、スリを行う目的でたった一人で来ました。そして人混みに慣れない様子の皐月君をターゲットと決めて暫く尾行を続け、三度タイミングを見計らった後に犯行に及びました。クレプトマニアは衝動的な発作によるもので、計画的な行動を取りません」


ジロリと緋色の瞳で裁人は女性を睨みつけた。


「心の病で苦しむ方々をないがしろにする貴方の様な人を、私は許しません」


女性が青ざめて、逃げようと踵を返した。皐月がスマートフォンを取り出し、警察を呼ぼうとした時に、数名の警備員が警察官を連れ立って駆け付け、女性の行く手を阻んだ。

 裁人は皐月へとニコリと笑みを向けると、「呼んでおきました」と言った。


——どうやって!?


 唖然とする皐月の前で、裁人は警察に簡単に状況を説明した後、全員でショッピングモール内の事務室へと移動し、細かい事情徴収を受けた。



◇◇◇◇



 帰りの車の中、運転する裁人は珍しく無口だった。皐月は重苦しい空気に耐えられず、明るい調子で声を放った。


「裁人、お手柄だったじゃないか。AIでも役に立つ事もあるんだね。防犯カメラの映像を追って窃盗犯を逮捕だなんて、映画でも見てるみたいだった」


裁人は尚も黙ったままだったので、皐月は咳払いをし、更に言葉を重ねた。


「それに、彼女が精神疾患じゃないって一発で見抜くなんて……」

「わかりません」

「え?」


裁人は小さくため息を放つと、悲し気に眉を寄せた。


「……あの女性を、私はしっかりと診察もせずに『クレプトマニアではない』と決めつけました。誤診だったのかもしれません」

「でも、計画的だったんだろう? 彼女も事情徴収の時に認めてたじゃないか」


裁人は一瞬宙を見つめた。車内のスピーカーが雑音を発し、突然会話の記録内容が流れ始めた。女性と男性が激しく口論する様子が生々しく車内に響き渡る。


「これは、例の女性とその夫との、昨夜の口論の様子です」


 男性の口調は威圧的で、叱りつけるような様子で、女性はヒステリックに悲鳴にも似た調子で声を上げている。けたたましく食器が割れる音、人が転倒する音と共に、耳障りな鈍い音と男性の悲鳴が聞こえた。抵抗して暴れる物音、悲鳴から呻き声へと変わる声……。


「あの女性は、夫を刺殺しています」


ひゅっと、皐月は息を吸い、思わず座席シートの縁を握り締めて身体を強張らせた。

 先ほどまで殺人犯の目の前に居たのかと思うだけで、身体が恐怖で震えて来る。


「今回の検挙で、彼女の夫へと連絡をした警察は、連絡が付かない事を不審に思うはずです」

「そ……そうだろうけれど」


——裁人は知っていて、わざと検挙させるように仕向けたのだろうか。

 と、皐月は裁人を見て、ドキリとした。


 緋色の瞳を悔し気に細め、唇を噛みしめていたのだ。ハンドルを握る手が震えている。


——まるで、『人間の様』じゃないか……。


「……裁人?」

「彼女の自宅の子供部屋で、お子さんが布団を被って震えています」

「え……?」

「父親の遺体を見たのでしょう。暗い中、明かりも付けずに怯えています。自宅の構造上、キッチンは彼の部屋の真下です。丁度父親の遺体の真上にベッドがあります。彼は、そこで震えています」

「裁人、車を停めて!!」


 皐月の言葉を聞いて、裁人はそれに従って静かに停車させた。時間は深夜となっており、周囲を走る車が殆どない程に静まり返っている。


 皐月はシートベルトを外し、身を乗り出して手を差し伸べると、裁人の両目を塞いだ。


「見なくていい。それ以上見なくていいよ、裁人……」


——裁人の目を塞いだところで意味なんか無いって分かってる。

 それでも……。


「皐月君。私には理解できません。AIは心を持ちません。感情を持ちません。生物の命を奪ったりしません」

「……うん、理解できなくていいんだよ。そんなこと」

「良平の身体を借りて、私は今まで知らなかった五感というものを手に入れました。言葉では理解できても、それがどんなものなのか、感覚と結びつけるまで随分と時間を要しました。貴方と行った海の潮の匂い。肌で感じる風、波の音、眩しさ、口の中にまで広がる海の味。人として生きるということは素晴らしい事だと理解しました」


裁人はふっと静かに息を吐くと、ゆっくりと首を左右に振った。


「ですが、今は人になったことを、少し後悔しています」


皐月は優しく裁人を抱きしめた。


「ごめん。こんな世界でごめん……裁人……」


宥める様に、優しく裁人の頭を撫でながら、皐月は裁人に謝った。

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