第二章 02 父の裏切り

 すっかり新緑に包まれたころ、レグルス辺境伯領の隣にあるピーコック伯爵領から嫡男ちゃくなんのフレデリックがやって来た。ラティエルと同い年。父からだと紹介されておどろいた。ジルには『父である自分を倒せ』と言ったくせに。いったい何を考えているのだろうか。

 戸惑うラティエルをどう思ったのか、フレデリックはにっこりと微笑んだ。


「そんなに緊張しないで。よろしくね、ラティ」

「う……うん! よろしく、フレッド」


 明るい茶髪に同色の瞳。少しタレ目で優しげな男の子。すぐに仲よくなり、弟ができたようだと、ラティエルは浮かれてしまった。剣を習いに来る子息たちはみんな年上で、同い年の子はいない。それに初めての弟弟子おとうとでしだ。少しだけお姉さんづらをしても、フレデリックは笑って許してくれる。

 思えば調子に乗っていたのかもしれない。

 一緒に剣の訓練を受けるうちに、少しずつフレデリックの態度が変わっていった。最初はラティエルの言うこともすなおに聞いていたのに、ひと月経った今では、聞きたくないとばかりに話をそらされる。


「ラティは将来、ピーコック家に嫁ぐんだから、剣の腕なんて必要ないよ。何より礼儀作法を身につけないとだめだろう?」

「うん。でも――」

「でもじゃなくて。剣を振るのは、淑女教育を完璧にこなしてからにしなよ」


 ぐうの音も出なかった。母から少しは習っていたが、今では宙ぶらりんになっている。仮にも貴族令嬢なのだから、嫁ぐ云々を考えずとも最低限のマナーは学んでおくべきだ。


(剣を捨てる気はないけど。たしかに、教養も必要だよね)


 すぐ父に相談して、マナー講師を探してもらった。ところが、子連れでやって来た女性講師は、なぜか自身のことを「と呼んでちょうだい」と言った。濃淡入り交じるサンディブロンドにあおい瞳の妖艶ようえんな女性だ。

 どういうことだと、隣に立つ父を睨み上げる。


「アデル、ラティエル。今日からこのドロリスが君たちのお義母かあ様だよ。隣にいるのが義妹いもうとになるミニス。ふたりとも、仲よくするんだぞ」


 ――なんと再婚相手だった。

 元からの愛人を呼び寄せたというわけではなく、ドロリスも夫に先立たれ、未亡人になったところへ再婚の話が来たらしい。

 それでも裏切られた気持ちになり、ラティエルはショックを受けた。さすがの兄も顔を引きつらせている。紹介し終えた直後、父は猫のセレに飛び蹴りを食らっていた。正直、いい気味だ。

 ドロリスもミニスも金髪碧眼へきがんで、五人が集まるとラティエルの黒髪だけが浮いて見える。


「ふたりとも、よろしくね。いきなり子だくさんになってうれしいわ」


 ねっとりとした物言いに背筋があわ立つ。ドロリスのことはちょっと苦手かもしれない。


 父は少し前から、女主人としてレグルス家の社交をになってくれる人を探していたらしい。貴族の社交とは情報収集の場でもある。夜会や紳士クラブだけでは情報がかたよる。かといって、父が婦人たちの茶会に出るわけにもいかない。

 ドロリスを迎えればマナー講師もね、ついでに子どもたちの母親代わりも得られると算段をつけたようだ。


「よろしくね。お兄様、お姉様」


 ミニスはドレスのすそをつまみ、可愛らしく礼をとった。

 母親代わりなんていらないけれど、妹が欲しいと思っていたラティエルはすなおに喜んだ。四ヶ月しか変わらない同い年の妹だが、仲良くなれるよう、ラティエルは精一杯努力した……つもりだった。


 ◆


 真夏の暑さを切り裂くように、女の子の泣き声が修練場に響く。


「わあぁぁん!! お姉様がっ、お姉様がぁぁ!!」

「ミニス、剣の稽古だけは休めないから。ごめんね……泣かないで」

「お姉様が遊んでくれない――! 血がつながってないからって、ひどいわ!!」

「さっきまでお茶会ごっこしてたでしょう? ちょっとだけだから、ね? 本でも読んで待ってて」


 毎日この調子でラティエルは困り果てていた。ミニスは女の子らしい遊びが大好きで、体を動かすことが好きなラティエルとは趣味が合わない。それでも邪険にすることなく、一日の大半をミニスの遊び相手として費やした。そのうちのわずかな時間だけでも剣を握っていたいのに、それすらこうやって泣かれてしまう。

 しかも、兄はもちろん婚約者のフレデリックでさえ、ミニスの味方だ。


「ラティエル、また義妹いもうとを泣かせたのか。お前は剣など持たなくていいんだ。ミニスと遊んでやるほうが、よっぽど家の役に立つ」

「そうだよラティ。キミはもっと、ミニスのような可愛らしさを身につけるべきだ。でないと、お嫁さんにもらってあげないよ?」


 この国では淑やかな女性が好まれる。ゆえに女性の騎士もいない。それでもラティエルに剣を教えてくれる父は、隣国を見据みすえているのだろう。

 我が領と国境を接するレプタイル帝国では、女性騎士も登用とうようしている。女性だって身体強化魔法を使えば、十分な戦力になるのだから。

 つねに新しい情報を手にいれ、柔軟に対応してきたからこそ、レグルス辺境伯は剣の名門と呼ばれ、領に人が集まるのだろう。


(お父様は、わたしが騎士になることを歓迎しているし、復讐するには剣も魔法も必要なのよ)


 八歳の女の子が復讐を願う。それほどに家族を愛していた彼女のためにも、残された家族を、この家を守りたい。だから剣も魔法も学んでいく。

 星になったラティエルの願いを叶えなければ、真の意味で自分の人生ははじまらないのだから。

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