第一章 02 殺したのは誰

 心臓がねたのは大声のせいだけじゃない。刺さった刃をたしかめるように言葉を繰り返した。


「わたしが、殺した? お母様は……死んだの? ……どうして?」


 肝心かんじんな記憶が抜け落ちている。頭も心も追いつかないうちに、怒鳴り声を聞いて人が集まってきた。

 すぐそばまでやって来たのは、ラティエルより四歳年上の兄弟子あにでし四人だ。


「アデル、やめろ!! ラティのせいじゃない!」

うらむべきは魔獣だろ⁉」

「お前だって、本当はわかってるんだよな?」

「ラティ、気にするな。アデルも悲しくて、余裕がないんだ」


 口々になだめる兄弟子たちの言葉を聞いて、母が魔獣に殺されたのだと、やっと理解した。血の気が引き、目の前が暗くなる。傾きかけた体を隣に立つジルが支えた。

 兄弟子たちの制止を振り切って、アデルはなおもラティエルに罵声ばせいをあびせる。


「あんなに強い母上が、魔獣にやられるはずないんだ!! 疫病神のお前さえいなければ、母上はっ――……」


 アデルの叫びを聞き終える前に、ラティエルは意識を飛ばした。


 ◆


 意識が引っ張られた感覚もわずか数秒だった。すぐに落ち着いて、ラティエルは辺りを見まわす。それは遠いどこかでありながら、知っている場所でもあった。国境近くにあるケルシュ村の森。記憶にあるのは、母の視察にくっついて森へ入ったこと。


(たしか、野イチゴをみに行こうって……)


 宙に浮かんでいるかのように、目下もっかに広がる景色を見ていた。そんなに深い森ではない。村はすぐそばにあり、村人たちの姿もここから見える。

 人がみならした獣道けものみちを、黒髪の女性と女の子が手をつないで歩いていく。裸木はだかぎに新芽を見つけながら、ふたりは楽しそうに手を揺らす。


(あれは……わたしとお母様?)


 気づいた途端とたんに、俯瞰ふかんしていた視点が低くなった。地面が近い。足もとはもう若草色に模様替えしている。

 これなら野イチゴも期待できそうだ。一見寂しく見えた森の中は、新しい命でいっぱいだった。

 ふいに、鳥たちがいっせいに飛び立つ。母が立ち止まり、いきなりラティエルを後ろへ押し返した。


「ラティ! 走って!!」


 言われるままラティエルは森の中を駆け出す。途端に木々はいじわるなお化けみたいにラティエルをはばむ。八歳の小さな体は木の根っこに足を取られ、見事にすっころんだ。

 メキメキと木が割れるような音がして振り返る。先ほどいた場所には禍々まがまがしい姿をした何かがいて、母が魔法で応戦していた。


(あれは……魔獣? あんなの見たことない……)


 でも、とラティエルは思いなおす。母は国一番とうたわれる魔術師だ。そもそも魔獣とは動物が狂暴化したもの。知能も持たない大きいだけの魔獣なんて敵ではない。


(そうよ。お母様が負けるはずないわ)


 近くで母の戦いぶりを勉強するチャンスだ。ラティエルはこっそりと近づき、木の陰からそっと顔を出す。


(んん?)


 ――おかしい。母にいつものキレがない。魔術師は距離を取って戦うものだと教えてくれたのに、何かを叫びながらどんどん魔獣に近づいていく。右手に持った黒い扇子せんすで防御にてっしているみたいだ。


(魔獣とおしゃべりしてる? よく聞こえない)


 少しずつ、少しずつ近づくと、魔獣の全容ぜんようが目に入った。ドロドロの液体に包まれたそれは、四つんいになりながらも大きな人の形をしている。肩や手足は肥大化して鋭い爪があり、硬いうろこ甲冑かっちゅうをまとったような姿。頭とおぼしき――母が話しかけているその場所には、うつろな女性の顔があった。


「ひっ⁉」


 ラティエルの知っている魔獣ではない。言うなれば“魔人”だろうか。

 どうやら近づき過ぎたらしい。ラティエルのあげた小さな悲鳴に魔人が気づいた。すぐに距離を詰められる。逃げようとしたラティエルの背中には大きな木があり、左右を魔人の長い手に囲まれ逃げ場がない。


「ラティ!!」


 母はラティエルと魔人のあいだに滑り込み、すばやく結界を張った。安心させるようにニッと微笑む。結界にはじき飛ばされた魔人は、様子をうかがうように後ずさった。

 母は首からはずした青い石のペンダントを、ラティエルの首にかける。


「ラティエル、この青い石をしっかりと握って。手を離してはだめよ」

「……お母様?」

「大丈夫、きっとうまくいくわ」


 ラティエルの頬をなで、立ち上がった母が呪文を詠唱する。母のまわりにはもう結界はない。だというのに、ラティエルのまわりにだけ、しっかりと結界の膜が張られている。


(もしかして、この石が結界を? じゃあ、お母様は?)


 しかもこんな、詩のように長い呪文は聞いたことがない。母なら無詠唱で魔法を発動できるのに。

 以前、母が教えてくれたことを思い出す。上級魔術師のいきたっしないと無詠唱で魔法を使うのはむずかしいが、“言葉の力”を使った呪文は無詠唱より威力が強いと。

 言ってしまえば、下級魔術師にとって無詠唱とは“あこがれ”、上級魔術師にとっては“手抜き”にほかならない。


 とても嫌な予感がする。魔人はジワリと距離を詰めてくる。

 呪文の詠唱を終えた母が右手の扇子を振り上げたとき、魔人も腕を振りかぶった。ラティエルはとっさに母へ手を伸ばす。


 しかし、まばゆい光に包まれて、ラティエルの意識はまた遠くに飛んだ。――否、正確には元の場所に戻ってきた。土と鉄の匂い。剣が合わさる音がする。目の前では兄弟子のひとり――ジルの美しい顔がしかめられていた。

 十二歳と八歳の身長差があるとは思えないほど、顔が近い。ラティエルはジルの美しい顔をぼんやりと見上げた。


「ジル兄様。あら……? アデル兄様は?」


 至近距離ではじめて気づいたが、ヘーゼルだと思っていた瞳の色は深い青色に金の光が差し込んだような――前世でいうところのアースアイに近い。

 その瞳を隠すように、無頓着むとんちゃくな茶髪が歩くたびに揺れる。


「アデルにはクリフとリックがついてる。それよりラティ、大丈夫か? もう少しで部屋だから」

「へや……?」


 リズミカルな揺れに、ジルに抱きかかえられていると気づく。夢心地から一気に覚めて体に感覚が戻った。


「じっ、自分で歩けます!」

「こらっ、暴れるな!」


 八歳のラティエルと十六歳の星乃が入り乱れ、幼子のように無邪気ではいられない。

 降ろしてとジタバタ足掻あがいていると、パシッと小気味よい音がして、ラティエルの足が誰かにつかまれた。顔面すれすれで足を受け止めたのは――ジルの従兄いとこ――テオだった。ニッコリと微笑んだ美しい顔には、心なしか青筋が立って見える。


「ラティ……、淑女にあるまじき行為だね?」

「ごっ、ごめんなさいぃ」


 我が領に来てからもう二年になる。最初は体格で見分けのついたジルとテオだったが、今では双子のようにそっくりになった。近くで見れば、瞳の色まで同じアースアイ。どちらも美しい顔をしているけれど、ジルはやっぱり女の子寄りの顔立ちだ。


(まつげ長すぎ……、まばたきしたらファサって音が聞こえそう)


 自室のソファに降ろされ、ふと、書き物机の上に置かれたペンダントに目がいった。ラティエルの視線をたどったジルが、不思議そうにペンダントを取り上げる。


「灰色の石がついたペンダント? 珍しいな」

「それは、最後にお母様がくれたの」

「そうか……、魔女師匠が……」


 兄弟子たちは父のことを、そして母のことをと呼ぶ。父が剣を、母が魔法を教えるからだ。師匠ではないところに、畏怖いふの念が感じられる。

 思い起こせば母の訓練はえげつなかった。それでも、魔女だ悪魔だと本人の前で口にするくらいには愛されていたと思う。

 気まずげに視線を落としたジルの手から、テオがペンダントを引き抜いた。


「この独特な模様……、元はじゃないかな?」

「「星の石?」」

「願いが叶うと言われている夜空のような石のことだよ。まぁ、迷信だけどね。本当ならすべての人の願いが叶っているはずだから。でも、魔法を付与しやすい石ではあるんだ」

「魔法を……。そういえば、石を持っていたとき、結界が張られたんです」

「……そう」


 今度はテオが黙り込み、瞳を泳がせた。ふたりとも母の話題から遠ざけようとしたのだろう。あっと気づいたラティエルは、まごつきながらも話をそらす。


「で、でもこの石……、青色だったはずなのに、どうして灰色なんでしょう?」

「う~ん、付与した魔法が切れたせい、とか?」

「いや、浄化すれば何度でも使えるはずだよ」


 ジルとテオは持ちうる知識を総動員して答えを出そうとしたが、納得のいく答えにはたどり着けず、図書室で調べてくると言って出て行った。

 残されたラティエルはペンダントを手に取る。石の部分をギュッと握りしめれば、ほんのわずかに母の魔力が残っている気がした。

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