第44話 決める日 3

 羽海の自宅マンションを出て電車に乗って帰るあいだ、僕ははやる気持ちを携える一方で、心苦しさも抱えていた。


 ……羽海をフってしまった。


 僕は贅沢な野郎だ。

 羽海をフる男が居るとすれば、きっと僕くらいなモノだろう。

 節穴と罵られても仕方ないくらい、僕はひょっとしたら勿体ないことをしたのかもしれない。

 

 それでも僕には今、羽海を超える勢いで好きな人が居る。

 今の僕を形作ってくれたその人と、もっと近しい距離感で人生を歩んでみたいと思うようになった。

 その気持ちにウソはつけないから、羽海は選べなかった――無論、申し訳ないことをしてしまったと思う。でも後悔があるのかと言えば違う。


 僕は最良の選択をしたつもりだ。

 だから今はまず帰宅することに集中する。


 やがて降車駅に到着し、僕は誰よりも早くホームに降りた。

 改札を颯爽と通り抜けて、街灯が照らす夜道を駆け抜けていく。


 今日は決める日だ。

 三代さんに応援をもらい、羽海と向き合った以上、そうでなければならない。


 5分も走っていると、見慣れた自宅マンションが見えてきた。

 それから1分と経たずに自室の前へ。

 玄関には鍵が掛かっていた。防犯の観点から常に掛けるように言ってあるので、こうなっているからといって帰宅していないとは限らない。

 そう考えつつ鍵を開けてみると、リビングからの明かりが届いてホッとする。帰宅済みのようだ。モルトヴォーノは明日からお盆休みって話だし、今日の営業はいつもより早く終わったのだと思う。


 僕は靴を脱ぎ始める。そうしながら考えるのは、どうやって気持ちを伝えようかという段取りだ。けれど直後に廊下を踏み締めたところで、首を横に振って決心する。


 段取りなんか――要らない。


 伝えたいことをすぐに伝えればそれでいいはずだ。

 気取って舞台を整えたって大した意味はない。

 なんのために早く帰ってきたのかを思い出せ。

 この気持ちを早く伝えたいからだろ。

 自分にそう言い聞かせながらリビングに足を踏み入れた直後――


「あ、壮介おか――」

「――好きだっ」


 キッチンで夕飯の支度を行っていた寧々さんの挨拶を遮ってそう告げた。

 我ながらあまりにも猪突猛進。

 でもこれでいいと思った。


 すると寧々さんは――


「……へ?」


 キョトンとしつつ、ピーラーで皮むきをしていたジャガイモを床にゴトンと落としてしまっていた。そりゃそういう反応にもなるよな。でも僕は臆せず、


「寧々さんのことが好きなんだっ」


 大事なことだから二度告げた。

 対して寧々さんは目をぱちぱちとしばたたかせ、それからハッとしたように、


「――えぇっ! ……じょ、冗談か何かで言ってる……?」


 と、顔を真っ赤にしながらジャガイモを拾い上げ、平静を装うようにして水洗いを始めていた。


「冗談じゃないよ。誰も見てないところでドッキリの意味なんてないだろ?」

「で、でも……」

「アプローチしてくれていたのは寧々さんの方じゃないか」

「……き、気付いてくれてたんだ?」

「そりゃ、日頃の態度とか諸々見てれば分かるよ」

「そ、そっか……」


 水流に浸かるジャガイモを眺めながら、寧々さんはどこか戸惑った態度で口を開いてくる。


「あたしのこと……好きだって言ったの?」

「言ったよ」

「……で、でも壮介には……時任さんが居るじゃん」

「さっきフってきた」

「――っ」


 寧々さんはまた驚いてジャガイモをシンクに落としていた。


「ふ、フってきた、って……それでいいわけ?」

「いいんだよ……僕が好きなのは寧々さんだから」

「嬉しい……けど……分かんない」


 寧々さんはジャガイモを改めて拾い上げながら、


「あたしは……壮介のことパシリにしてたヤなヤツじゃん」

「それは僕にもメリットのある関係だった。言うほどヤなことはされてないし、もう気にしてない、って前にも言ってるだろ。それにあの頃の僕があればこそ、今の僕があるんだよ」


 パシリに甘んじてちゃいけない。もっと前向きに生きよう。

 そんな意識が高校デビューに繋がって、現在の僕へと成長させてくれた。

 変わるきっかけをくれたのは疑いようもなく中学時代の寧々さんだ。

 もちろん当時の寧々さんが意図したことじゃないにせよ、あとから振り返ったときに僕の人生におけるターニングポイントがどこだったかと言えば、間違いなくソコであって――


 もちろん、それだけが寧々さんに好意を抱くようになった理由じゃない。

 改心していた寧々さんとこうして同居を始めたことで、寧々さんの色んな一面を知ることが出来た。

 料理上手で、掃除も得意で、ハキハキと快活な、夢に向かって頑張る女の子。

 中学時代の印象とまったく違うからこそ、僕はそのギャップにやられたのかもしれない。


「だから間違いなく、僕は寧々さんのことが好きだよ……でも寧々さんは実のところ、僕を茶化していただけ、とか?」


 今日までの同居中にあったことが全部、実は単に僕を面白がって――


「――そんなわけないじゃんっ」


 しかし寧々さんは即座に否定してくれた。


「そんなわけない……本気だから……本気で、壮介のことが好きで、ちょっとずつアピールしてた……でも」

「……でも?」

「昔……壮介のことパシリにしてたあたしなんかが、壮介に好意を見せちゃダメなんじゃないかって、ずっとそう思ってて……」


 ……そうか、負い目があるせいで寧々さんは、気持ちを表立って伝えてくることはなかった、ってことか……。


「……壮介のこと、ウソなんかじゃなくて、きちんと好きに決まってる……こんなあたしのこと、許してくれて……飯島の粘着までどうにかしてくれたんだから……そんな男子のこと、好きにならない方が難しいって……」

「なら……」

「けど、あたしなんかが壮介の隣に居たら……」


 今もなおそう呟く寧々さんは、本当に過去のことを十字架として背負って過ごしているようだ。

 だからこそ――僕はこう言ってやらなきゃいけないと思った。

 

「あのさ、もうとっくに僕の日常に深々と踏み込んでおいて今更何言ってるのさ」

「それは……」

「気にしすぎだってば。僕がもう気にしてないって言ってるんだから、寧々さんだってもう気にしなくていいんだ」

「……いい……のかな」

「いいんだよ。他の誰でもない僕がそう言ってるんだから。そして僕は、そんな寧々さんと将来を共に歩んでみたくなったんだ」


 僕の傍でこれからも過ごして欲しい。

 寧々さんの行く末をぜひ近くで見守らせて欲しい。

 そんな思いを背負って、僕は寧々さんへと歩み寄る。


「だから、僕と付き合ってくれないか?」

「そ、それって……結婚を前提に、的な……?」

「あ、いや……別にそこまで重いもんじゃないよ。けど……そこまで行けたら最高かなとは思ってる」


 まだ大学1年の僕らには、想像するだけで手一杯な未来だ。

 けれど、行き着く結果としてはもちろんそれが最上であって、目指せるもんなら目指してみたい。


「どうかな? 別に返事は今すぐじゃなくてもいいけど……」

「ほんとに……あたしでいいの?」

「もちろん」

「多分……趣味が合うのは時任さんじゃない?」

「似た趣味同士だとぶつかり合ったときに面倒なんだよ。見識も広がらないし。好きな人からまったく知らない趣味を学ぶのが、交際の良いところでもあると思うんだ」

「なんか……大人だね」

「実際、寧々さんより経験はあるしな」

「むぅ……なんかムカつく」


 そう言ってしかめっ面になったのは最初だけで、直後にはにこやかに頬を緩めてくれていた。


「……まぁでも、そういうことならリードに期待してもいいよね?」

「あぁ、頑張るよ」

「じゃあ、なんてーか……よろしく、お願いします……」


 どこか照れ臭そうに、寧々さんがぺこりと頭を下げてきた。

 よっしゃ……決まった。

 胸の内でガッツポーズが止まらない。

 そんな中で寧々さんとハグをして、どちらからともなくキスをした。

 その後は夕飯どころではなくなったのは……察して欲しい限りである。


 そんな至福の時間が済むと、寧々さんは僕の隣に寝そべりながらスマホをイジり、羽海と三代さんにわざわざ交際の報告を行っているようだった。

 もちろん自慢ではなくて、感謝と謝罪みたいなモノを送ったようだ。2人が手を引いて応援に回ってくれたことを、察しているんだろうな。


「あ……三代さんからは素直なおめでとうが返ってきたけど、時任さんからはおこの絵文字が連打され始めてるんだけど……」

「……あいつなりの賛辞だと思えばいいよ」

「でも、時任さんのこと……ほんとにいいの? 高校から……多分ずっと壮介のこと好きだったと思うんだけど……」

「まぁ……そうだな、だから何か……出来ることがあればとは思ってる」


 それが何かはまだ思い付いていない。

 だけど、あいつの方から何か頼み事があった場合に可能な限り叶えるようにしたいと思う。

 多分それが僕に出来る、最大限の誠意だと思うから。


「……ところで寧々さん、付き合ってくれて本当にありがとうな」

「ううん……こちらこそ」


 僕らは見つめ合い、改めてどちらからともなくキスをした。

 ようやく手に入れた好きな人との親密な時間を噛み締めるようにして、何度も何度も。

 この繋がりが二度とほどけないことを、祈りながら。





―――――――――――

次回が最終話となります。

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