第43話 決める日 2 ~side:羽海~

「今日はありがとうね、壮介」


 羽海が住まうマンションの一室で、羽海と壮介はお疲れ様会を始めていた。

 立ち寄ったスーパーで買ってきたお菓子や惣菜をつまみながら、羽海は壮介と2人きりの時間を過ごしている。


「今回の夏コミだけじゃなくて、冬コミのお手伝いも頼んじゃっていいかしら?」

「……ああ、別に良いよ」


 緩やかに過ぎゆくお疲れ様会の時間の中で、そう答える壮介の表情はどこか浮かないモノだった。

 実は今朝会ったときから、壮介はずっとそうだったりする。体調が悪そうなのではなく、羽海に対してずっとバツの悪そうな顔をしているのである。

 それが何を意味する表情なのか、羽海はそれとなく分かっているところがあった。


 恐らくだが、壮介は決めたのだ。

 自分の好意をぶつける先を。

 そしてその結論を、羽海に語る決意を持ってここにやってきたのだろうと思う。

 恐らくそうに違いない。

 でなければ、こんなテンションのはずがない。


 先日、ラブホで過ごしたあの夜に、壮介は寧々と一緒にシャワーを浴びて何かをしているようだった。

 そのときに、否、きっとそれ以前から、壮介の心はとある一点を捉えているのかもしれない。

 そのとある一点というのは、もちろん……。


(…………)


 現実はひょっとしたら、羽海には厳しいのかもしれない。

 だから羽海はもしかしたら、今から紡がれるかもしれない壮介の結論を聞くべきではないのかもしれない。


 けれども、この場から逃げ出そうとは思わなかった。

 向き合うべきときが来たのだと思っている。

 どんな結論でも受け止めたい。

 その一方で、


(私は……引導を渡されるまで動かない地蔵でありたくはない)


 受動的な態度のままで終わるのは、恐らく後悔しか残らない。

 だから羽海もまたひとつの決意を秘めている。

 なればこそ――


「ねえ、壮介」


 自らが動いて、どういう結果であれ納得の出来る未来を選ぶ。

 それが、羽海が先日導き出した答えであった。


「あぁ……なんだ?」

「私ね、壮介にどうしても……伝えたいことがあるの」


 同じソファーに座っている壮介の手を握る。

 今まで伝えずに来たことを伝えるのには勇気が要る。

 拒絶され、関係性が途絶えるくらいなら今のままでいい。

 そう思い続けてきた結果が、現状の後手後手な現実である。

 今更伝えてももう遅いのかもしれない。

 それでも、伝えずに終わるよりはよほどマシだから――


「私ね……」


 言い淀む。

 言葉がすぐには出て来ない。

 喉が渇く。

 唇が震える。

 それでも、目の前に居る恩人にきちんと自分の想いを知って欲しいからこそ、


「私……私ね、壮介のことが好きよ」


 意を決して、吐き出しそうな緊張感と共にそう告げていた。

 途端、壮介がどこか神妙な眼差しで小さくうつむく中で、一度堰を切った言葉は止まらなかった。


「高校時代に助けてもらってから、私はずっと壮介のことが好き……」

「……」

「ずっと好きでいるのに……今の今まできちんとこの気持ちを伝えられずに来た自分を、私は愚かしく思っているわ……」


 もっと早くに伝えていれば良かった。

 そうすれば凛音に壮介のすべてを奪われず、寧々との同居だってなかったかもしれないのに。

 そんな無念にも近しい感情に囚われながら、


「好きよ……壮介のことが、本当に好き……」


 壮介に抱きついて、思いの丈を押し付ける。

 今更都合よく振り向いて欲しいと願うのは、きっと業が深い感情だ。

 それでも一縷の望みにかけて、羽海は壮介の返事を待ち始める。

 

「羽海、僕は……」


 おもむろに開かれた壮介の口元が、弱ったように掠れた言葉を切り出してくる。

 しかし、言葉はそこで途切れたまま、続きが紡がれない。

 ふと表情を窺ってみれば、目を閉じて、苦悶に満ちているようだった。

 続きを切り出そうとして口を開いては言い淀むように吐息だけ漏らしている。

 だから羽海は、


「……大丈夫よ」


 と告げて、そんな壮介の手を改めてそっと握り締めた。


「どんな返事でも……私は納得するわ。だから……言ってちょうだい」


 ウソだ。本当はどんな返事でも納得なんてしない。

 それでも、壮介が導き出した答えを聞かないわけにはいかないのだ。

 好きな人の言葉を無視して現実逃避するような、そんなイヤな女になりたくはないからだ。


「羽海、僕はさ……、」


 壮介が重苦しい表情で口を開く。

 直後に紡がれた返事は、


「ごめん……」


 簡潔なひと言だった。


「僕は羽海と……付き合えない」

「でしょうね……」


 思わず小さく笑ってしまう。

 予想通りゆえのことだ。

 こんなに嬉しくない的中もなかなかない。

 

「どうしてか……聞いてもいい?」

「最近……自覚したことがあるんだ。僕には昔から……パシリに甘んじてでも近くで過ごしたかった人が居るんだなって」

「……ドMなの?」

「かもしれないよ……」


 壮介も小さく笑っていた。しかしすぐに気を引き締め直して言葉を続けてくる。


「別に羽海のこと、嫌いなわけじゃないんだ……好きか嫌いかで言えば好きだし、こんなことを伝えたら引かれるかもしれないけど、お前の写真で何度かヌいてる……」

「……意外と嬉しいわ」

「一緒に居るのも楽しいしな……容姿だって、僕が出会ってきた女子の中だとお前が一番良いのかもしれない……でも、僕が一番好きなのは……お前じゃないんだ」

「……なんで私じゃなくて、そっちがいいの?」

「僕を僕に、してくれたからかな……」


 分かるようで分からない返事だった。

 だから壮介は噛み砕くように言葉を続けてくれる。


「……お前が好きになってくれた今の僕を形作ってくれたのは、誰だと思う? 僕は最初から誰かに手を差し伸べて協力出来るヤツだったわけじゃない。元々はただの根暗だった。そいつが変わるきっかけがあった。……当時は苦さもあったきっかけだけど、今振り返ったときに思うのは、それがなければ今の僕もなかったってことだ」

「……なるほどね」


 勝てないな、と思わされた。羽海が出会う以前にまで遡及して芽吹く種があるのなら、仕方がないとしか言いようがない。


「でも、ごめんな……」


 壮介が頭を下げてくる。


「羽海の気持ちを……ないがしろにするしかなくて……」

「……まったくだわ」


 羽海は強がるように軽口を叩きながら、そんな壮介の頭頂部をぺちぺちと軽くはたき始める。


「惚れさせるようなムーブをかましておきながら、この仕打ちだなんて……」

「……ごめん」

「庭に来る猫に餌を与えていたくせに、ある日突然一切の餌やりをやめるような鬼畜の所業だわ……」

「ああ……僕は酷いヤツだと思う。だから羽海はさ……こんなヤツのことはさっさと見限って、もっと別の良い男を見つけた方がいいよ……」


 そしてそんな言葉を告げられた。

 だから羽海はこう言い返してやったのである。

 

「居ないわよ、別の良い男なんて」

「……え」

「少なくとも私にとって、壮介以上の男なんてこの世界には居ないわ……探す気にもならない。私が諦めると思ったら大間違い。残念ながら私は諦めないわ」

「……は? いや、でも……」

「かといって……しつこく言い寄ることもしないけれどね」


 そう言って羽海は立ち上がり、壮介の手も引っ張ってソファーから立ち上がらせた。


「私は今決めたの……順番待ちをし続けてやろうってね」

「それは……」

「次、壮介が破局しかけたら間に割って入ってあなたを奪い取ってやるのよ……それまでは待つターンだわ」

「い、いやお前な……僕がずっとそうならなかったらどうするんだよ……」

「そのときはそのときで、色々考えていることがあるわ。だから――」

 

 そんな言葉を伝えながら、羽海は壮介のショルダーポーチを拾い上げて彼に押し付けた。


「――今はひとまず、成すべきことを成しに行きなさいな。私のことなんて気にせずにね」

「羽海……」

「もし失敗したら戻ってくるといいわ……そのときはお疲れ様会の続きをしながら、いっぱい慰めてあげるから」


 そう告げると、壮介は感極まったように唇を噛み締め、それから緩やかに笑って、


「ああ……ありがとな」


 そう言ってポーチを受け取るや否やきびすを返し、羽海の部屋をあとにしたのだった。


「はあ……」


 1人になった部屋の中で、羽海は、


「……私ってお人好しよね……恋敵のもとにみすみす送り出してあげるなんて……」


 そんな風に独りごちながら、ふとした拍子にそれまで我慢していたモノをあふれ出させてしまう。

 しかし、さめざめと木霊するその嗚咽は降参ののろしでは断じてない。

 今はまず譲ってやるという、虎視眈々とした獣の唸りなのである。

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