第42話 決める日 1

「壮介って今日はアレなんだよね?」


 8月11日。

 世間がお盆ムードになりつつあるこの日の朝、寧々さんと一緒に朝食を食べていると、そんな風に問われた。


「……アレ?」

「ほら、えっと……コミケだっけ? 手伝いに行くんでしょ?」


 あまりオタ気質ではない寧々さんが、言い慣れない言葉を呟くようにしてそう言ったので、僕は頷いた。


「あぁうん、羽海の手伝いにな」


 そう、今日は羽海がコミケにサークル参加する日だ。

 僕はその手伝いを頼まれている。

 羽海からサークルチケットみたいなのを貰っていて、一般参加者とは別に早く入れるらしい。僕だけじゃなくて、三代さんも手伝いに来るとのことだった。


「寧々さんは今日も修行だっけ?」

「そ。お盆期間は休みになるけどね」

「そっか。じゃあ今日も気を付けて頑張ってきて」

「壮介こそね。……それと、ハメを外し過ぎちゃダメだから」


 ジッ、と寧々さんが目を細めながらそう言ってくる。

 どことなく、釘を刺すような雰囲気。

 どうしてそんな態度なのか、一応分かっているつもりだ。

  

 ラブホでの夜のことがあってから、僕と寧々さんの関係性がハッキリと進展したかと言えば、別にまだそうなってはいない。

 でも、僕なりにもう色々と決めた部分がある。

 

 だからまずは羽海と向き合おうと思っている。

 今日、イベント後にでも、話せる時間を作るつもりだ。

 

「大丈夫。ハメは外さないから」


 自分がどうしたいかを決めた以上、あとはそこに向けて動くだけだ。

 寧々さんがホッとしたような表情を見せた一方で、僕は朝食を食べ終えたあとに先に家を出た。


 電車を乗り継いで目指すのは、もちろんビッグサイト。

 やがてその場にたどり着くと、まだ開場前ゆえにもの凄い行列が出来ていて、炎天下での待機は率直に言って地獄だろうなと思った。でも僕にはサークルチケットがあるから関係ない。みんなすまんな、と心の中で謝りながら、どこか殿様気分で一般参加者に先んじて入場する。


 羽海や三代さんはもう到着済みで、あてがわれたスペースでの設営を開始しているらしい。ちょっと迷いながら数分かけてそのスペースに到着してみると――


「あ――おはよう、壮介」

「おはようございますっ、白木くん」


 と、黒髪美人と金髪ハーフな2人がその場に居たのはいいとして、


「……なんだその格好」


 2人はまさかのコスプレ状態だった。何かのキャラってわけじゃなくて、羽海が正統派メイド服で、三代さんは着物姿だった。


「あぁこれはね、みあさんが持ってきてくれたのよ。せっかくだからコスプレ姿で売り子をしてみたらどうか、ってね」

「へえ……三代さんってコスプレが趣味だったりするのか?」

「はいっ、自前で作ったモノです」


 しかも自作なのか……、と驚く僕をよそに、「写真いいですか?」と周辺サークルの人らが集まり始めていて、2人はOKを出して普通に撮らせていた。話題になれば同人が売れるかもしれない、という目論見なんだろうか。


 長机の上には、羽海がこの日のために制作したオリジナルのエロ同人が並んでいる。……なんか冊数が多いな。


「なあ、これ何部刷ったんだ?」

「100部よ」


 100部か……無名で100部は発注し過ぎの部類だろうが、でもクオリティーは目に見えて高いからな。足りなくなるくらいの勢いではけてくれることを祈ろう。


「ちなみにだけれど、私は売り子に徹するから、今日は1日壮介が作者みたいな雰囲気を醸し出しててちょうだい」

「え。なんで?」

「こんなえっちな同人を描く女だとは思われたくないからよ」

「なんだそりゃ……」


 まぁでも……言わんとすることは分かる。

 要するに気恥ずかしいんだろうな。 


 そんなこんなで、本日のコミケがほどなくして開場した。

 客足がどうなるかはまったく予想が付かなかったけれど、羽海と三代さんという可愛い売り子が2人も揃っている影響だろうか、僕らのスペースには割と人が集まってくれる。


 試し読み出来る見本をペラペラとめくり、「あ、メッチャ良い絵っすね」と言って買ってくれる人や、表紙だけ見て買っていく人だったり、それなりに早いペースで在庫が減っていく。これなら100部は余裕かもしれない。

 しかも良い部類の誤算はそれだけじゃなくて――


「――すみません。私、こういう者なんですが」


 と、1人の女性がこの場を訪れ、僕に名刺を渡してきた。

 目を通してみると、大手ラノベ編集部の編集さんのようだった。この手の人たちがコミケでイラストレーターのスカウトをしてる、って話を聞いたことがあるけれど、まさか……?


「ラノベの絵師に興味ありませんか?」


 ――やっぱり。


「すごく繊細で綺麗な絵が目に留まりましたので、日を改めてお話させていただければと思うんですけど、いかがでしょう?」


 いかがも何も、僕は作者じゃないからな……。


「……おい、これはさすがに僕じゃ対処しきれないぞ」

「そうね」


 というわけで、羽海が売り子のカモフラをやめて自分で対応し始めていた。

 横で話を聞いている限り、羽海は乗り気のようだ。

 まぁ、だろうな。エロから表舞台に移行するのが目的、ってこないだ言っていたし、目論見通りの展開なわけだ。上手く行けば漫画の方にも進めるだろうし、これが良いスタートになってくれればと思う。


 だからこそ、僕はハッキリするべきだと尚更思った。

 それぞれがそれぞれ、進むべき道を持っている。

 答えを出さずにいれば、それがノイズになって夢の邪魔をしてしまう。

 だから……。


 そんな考えと共に、またひとつ決心を深める。


「――わ、完売ですねっ」


 そして羽海のエロ同人はお昼前には見事に完売し、僕らは一旦休憩がてらお昼ご飯を食べることになった。

 三代さんがサンドイッチを持ってきてくれていたので、それをいただくことに。


「あの、白木くん」


 そんな中、羽海がトイレに立って三代さんと2人きりになったところで、


「白木くんは今日、何かを時任さんに伝えようとしていますよね?」


 と聞かれてビクリとした。


「……分かるのか?」

「分かります。今日の白木くんはずっとソワソワしているように見えますので」


 ……そうらしい。


「何を伝えようとしているのかは大体分かります……多分、すごく大事なことですよね?」

「……まあな」

「ひとつ……」

「ひとつ?」

「こんなわたしがひとつ……その中に割り込んで言わせてもらえることがあるとすれば――」


 そんな前置きのあと、三代さんは意を決したようにこう言ってきた。


「――わたしは白木くんのことが好きです」

「……え」


 いきなりの言葉に驚いた。

 三代さんは恥ずかしそうにうつむきながら言葉を続けてくる。


「でもそれは……なんと言いますか、異性愛というよりも憧れで……言ってみればヒーローを応援するような気持ちなんです」

「……ヒーロー?」

「パワハラの件でお声掛けいただいて、解決までしていただきました……おかげで新しい一歩を踏み出せましたし、炉菊さんのもとで連載まで漕ぎ着けられるように頑張る日々は楽しいです。そんな新しい生活をくださった白木くんは、わたしにとってはヒーロー以外の何者でもありません。だからこそ、今度は白木くんが上手く行ってくださるように応援させていただきたいんです」

「三代さん……」

「好きですけど、わたしは第三者として白木くんの幸福を見守っていけたらそれでいいんです。ですから、白木くんにはぜひ悔いのない選択をしていただければ、と思っています。……2人のうち、どちらを選ぶにしても、それが正解だと思いますし、正解になれなかった方には、わたしがフォローに回りますので」

「……ありがとう」


 予期せぬ頼もしい言葉を受け取って、僕の中では更にひとつ決意が深まった。三代さんの気持ちに応じるためにも、僕は今日、必ず一歩踏み出さないといけない。


 こうして今日はこのあと、撤収作業ののち羽海の部屋でお疲れ様会を開くことになった。

 三代さんが気を利かせてか、用事があると言って参加しなかったので、僕は羽海と2人きりで、羽海の部屋へと出向くことになった。

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