第38話 こっそり 1
8月上旬、飯島の影はすっかり僕らの前からナリを潜めていた。
炉菊さんによれば、飯島は退職へと追い込まれたらしい。ゆえに自分の生活のために奔走しなければならず、怪我と妻子の問題もあるわけで、もはや僕らにかまけている余裕なんてなさそうだった。
ようやく、僕はあらゆるしがらみから解放された気分である。
凛音の浮気から始まり、寧々さんとの再会、凛音とのいざこざがあって、飯島の問題へ。
そうやって連鎖し続けてきたネガティブなアレコレが、ついに終わりを迎えたのは間違いなかった。
パワハラ被害に遭っていた三代さんも、炉菊さんの救いの手で無事に活動を再開したそうで、これからは普通に過ごしていけそうでよかった。
そう考えながら、僕はこの日の昼下がり――羽海が住まうマンションに呼ばれていた。理由は端的に言うと原稿のお手伝い。羽海のヤツ、しれっとコミケのサークルに当選していたそうで、時間的な余裕はまだあるものの原稿が未完とのこと。「一生のお願いだから手伝いに来て!」と泣き付かれたので、しょうがなく来てやったという経緯である。
ちなみに僕だけじゃなくて、三代さんも居る。炉菊さん経由で早速羽海と仲良くなったとのことだ。
「ごめんなさいね、手伝ってもらっちゃって」
「別にいいさ。こういう作業は意外と楽しいしな」
僕は漫画なんて素人以下の存在だからやれることは限られているけれど、こういうのに関わると創作意欲が湧き上がってくる。僕もいい加減小説を書き進めないとな。
「にしても……時任さんはえっちなモノを描いているんですね……」
三代さんが顔を真っ赤にしながらアナログ原稿にペン入れを行っている。
少し引っ込み思案な三代さんは、そっち系が苦手なのかもしれない。
セミロングの金髪にくるまれた可愛いハーフな尊顔をあわあわさせていた。
「まあね。私はエロ経由で行くと決めているのよ。三代さんは真っ当に少年漫画を描けばいいと思うわ。あ、ちなみにそのちん○んは壮介モチーフだから」
「――ふぇっ!?」
こいつ何を言っちゃってくれているんだ……!?
「し、白木くんと時任さんはそういう仲なんですか!?」
「違う違う……!」
僕は慌てて否定した。
「単に資料を提供しただけであって、そういう特別な仲じゃないっ」
「そ、そんな資料を提供するだけでも、すごく特別な仲だと思うんですけど……」
それはまぁ確かに……、と思う僕をよそに、三代さんは羽海に目を向けて、
「……時任さんも、白木くんに特別な意識はない感じなんですか?」
「えっ? そ、それはまぁ、そうよ……私は壮介のことなんて別になんとも思ってな――あぎゃー!」
……何を動揺したのか、羽海がインクを倒していた。
倒れただけで中身をぶちまけることにはならなかったみたいだが、気を付けて欲しいところだ。
「そういえば、白木くんはおひとりで暮らしているんですか?」
やがて日が暮れ始めたところで作業があらかた終了し、羽海の部屋をあとにして、三代さんと一緒に駅のホームで電車を待ち始めている。他愛ない雑談中である。
「いや、僕は居候と2人暮らしだ。こないだ三代さんも顔を合わせた寧々さんとね」
「え? じゃあ真にお付き合いしているのは町田さんってことですかっ!?」
「い、いやお付き合いはしてないから……」
この子すぐに恋愛を話に絡めてくるな……好きな作風がラブコメらしいから、頭が常にそっち方向に向いているんだろうか。
「ふむ、町田さんも彼女ではないんですか……じゃあ白木くんって今はフリーということです?」
「……そうだよ」
「なるほど……」
そう言って顎に手を当て始める三代さん。
……一体何を考えているのやら。
「でしたら、お付き合いしていただけませんかっ?」
「え?」
「あっ、今のは語弊がありましたすみませんっ……」
三代さんはパタパタと恥ずかしそうに顔を煽ぎながら、
「正しくは……時任さんに資料を提供しているように、私にも資料をいただけないか、という意味です」
「ん? 待て待て……三代さんも僕のち○こ画像が欲しいってこと?」
「あ、そ、そういうことじゃないですっ。な、なんと言いましょうか、疑似デート的なことをしていただけないか、ということですっ」
あー……。
「お、お恥ずかしい話ですけど……わたし、引っ込み思案なせいで男の子と恋仲になったことが一度もないんです……よく描く作風はラブコメなんですけど、経験が無さ過ぎて、絵は良いけど展開がカオス、って言われることが多くて……」
……逆に気になるな、三代さんが描くラブコメ。
「なので、ひとまず誰かと疑似デートでも出来たらな……と常々思っているんですけど、そんな相手はなかなか居なくて……」
「……なるほどな」
要するに学びを得たいわけだ、エロ目的の羽海と違って健全な方向で。
「まぁ、僕でよければ別に」
「え……本当ですか?」
「うん、協力出来ることがあるなら全然」
パワハラ問題に口を出した身だし、助けるだけ助けてハイおしまい、は味気ないだろう。
「ありがとうございますっ……じゃあ明日とかどうですか?」
「急だな」
まぁでも、羽海の手伝いはひとまずもう不要って話だし、僕自身特に予定もない。
「分かった。じゃあ明日でいいよ」
そんな返事のあと、待ち合わせの場所と時間を決めて、僕らは今日のところはお別れすることになった。
◇
「――えっ、三代さんとデート!?」
「一応言っておくと疑似のな。漫画の資料としてちょっと出かけることになったんだよ」
帰宅後。
寧々さんの手料理に舌鼓を打ちながら、明日の予定を報告していた。
「ふぅん……疑似だとしても、随分楽しそうじゃん。あたしは朝から晩まで修行してんのにさ」
夏休みは基本的に1日中モルトヴォーノのシフトに入っている寧々さんが、ジト目で僕を見つめてきた。
ううむ……自慢みたいに聞こえてしまったんだろうか。
「……ごめん寧々さん、別にこれ見よがしなつもりはなくてさ」
「それは分かってるから大丈夫……別に怒ってないし」
ほっぺが肉まんみたいに膨らんでいるけれど、本当にそうなんだろうか……。
「ま、せいぜい資料になってくればいいじゃん……」
「う、うん……そういえばさ、寧々さんも休みはきちんとあるんだよな?」
「あるよ……てか明日がそう。週2ペースでは休むようにするつもり」
「あぁそうなんだ、じゃあまぁ、ゆっくり休むように」
飯島とのいざこざから特に休む間もなくスケジュールをより過密にしているわけだから、休めるときにはしっかりと身体を休めて欲しいもんだ。
「じゃあとにかく、僕は三代さんの資料になってくるから」
「……おけ」
そんなわけで、僕はこのあと明日に備えてちょっと早めに休むことにした。
~side:寧々~
(……尾けてみよ)
就寝前のベッドで、寧々はひそかにそう考えているのだった。
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