第37話 おちぶれ

 夏休みに突入した。

 飯島が事故って入院したというまさかの情報を炉菊さんから聞けたことで、寧々さんには数日前から平穏な時間が戻ってきている。


「ふんふ~ん♪」


 だからこの日の朝も、寧々さんは機嫌が良さそうだった。寧々さんの大学も夏休みに突入しているから、それも合わさってのことかもしれない。


「ねえ、今日って三代みしろさんに会いに行くんだよね?」

「うん、連絡取れたからな」


 そう、飯島からのパワハラ被害に遭っている、かもしれない駆け出しの漫画家・三代みあさんとコンタクトを取ることに成功している。


 ダメ元で【もし飯島育生からパワハラを受けているなら告発しませんか? 力になります】というDMを送ってみたら、食い付いてもらえた形だ。

 

 パワハラが事実なら三代さんを救いたい。

 パワハラが事実なら飯島には罰を受けてもらいたい。

 そんな思いを背負いつつ、僕は待ち合わせ場所として指定された都内某所のファミレスへと出かけることになった。


「寧々さんは家でくつろいでてもよかったのに」

「そういうわけにはいかんでしょ」


 電車移動のさなか、隣に座る寧々さんはそう言った。


「飯島の被害者仲間として顔は合わせておきたいし。……それに」

「……それに?」

「そ、それに女子に会いに行くなら、1人じゃ行かせられないっていうか……」


 そう言って頬を赤らめる寧々さんであった。

 その感情がなんであるのか、僕は最近理解しつつある。


 ……もちろん確証はないけれど、今にして思えばなんの好意も持ってないヤツの陰部をしごいてくれる女子なんて居るはずがない。


 じゃあ羽海も? って話になるけれど……どうなんだろうか。

 あいつは漫画の資料っていうお題目があるからな……。

 本心は不明だ。

 でも高校時代にあいつのことも助けているわけで。

 もしかしたら……そうであってもおかしくないんだろうか。


 そんな風に考えていると、やがて目的の降車駅に到着した。

 すぐそばのファミレスに入店し、その場で三代さんと合流する。


「は、はじめまして。本日はよろしくお願いします」


 三代さんは、少しオドオドしている金髪ハーフの子だった。三代みあ、というペンネームは本名(本名だとみあはカナ表記)であるらしい。

 ちなみに僕らとは同い年だそうで、ひとまず落ち着いて話を聞けることになった。


「じゃあ、飯島からパワハラを受けていたのは本当なんだな?」

「はい……」


 話を進める中で、三代さんはその問いに頷いてくれた。


「原稿を連載会議に回してあげてもいいけど、代わりにえっちしてよ……みたいなことを何度も言われまして……」

「うわ……パワハラとセクハラを兼ねててきっしょ……」


 寧々さんが嫌悪感をあらわにしていた。

 

「……もちろん、そのたびにイヤですって言っていたんですけど、そしたら……じゃあこのまま埋もれていくことになるかもね、みたいなことを言われてしまって……」


 なんてヤツだ……。


「……あまりにも理不尽なので、編集部の他の方に相談しようと思ったんですけど、それをやったら漫画家じゃいられないようにしてやる、って……」

「酷すぎるな……」


 飯島にそんな権限はないと思うが、担当編集からそう言われたら尻込みして抵抗の気力なんて失われてもおかしくない。

 実際、三代さんはそういう状態だったからこそ活動を停止していたんだろうし。


「……そんなの、もうなんの遠慮もなく潰しにかかった方がいいっしょ」


 寧々さんがそう言った。

 もちろん僕も同意見だ。


「三代さん、飯島からのパワハラを証明出来るモノってある? それがあればなんとか出来るかもしれないんだけど」

「……一応、さっき言ったセクハラとパワハラのやり取りがLINEに……」

「じゃあそれをスクショして編集部に提出しよう」


 炉菊さんに渡せば編集長やその上まで届いてくれるはずだ。


「……そんな抵抗をしたら、わたし編集部から干されたりしないですかね……」

「大丈夫。少なくとも炉菊さんっていう編集者が気に掛けてくれてるから」


 それに先日編集長を怒らせた影響で飯島の編集部内評価は芳しくないことになっているらしいので、そんな男を守って才能ある三代さんを干すほど、編集部の判断が愚かなモノになるとは思えない。


「じゃあ……やってみます。力を貸してください」


 三代さんが勇気を振り絞ったようにそう言ってくれた。

 そうと決まれば、早速動くのみだ。

 僕は三代さんからこの場でLINEのスクショを撮ってもらい、それを炉菊さんにすぐさま転送した。


【ひっどいね……すぐ編集長に報告してみるから】


 炉菊さんからそんな頼もしいメッセージが届いた。


 さてと、こうなったら僕らはもう事態を見守ることしか出来ない。

 大人たちが正しい判断をしてくれることを、祈るばかりだ。



   ~side:飯島~



「え……自分がパワハラですか」


 妻と子供の連れ戻しに失敗し、町田寧々に近付こうものなら殺ずぞと脅され、その状況で事故に遭って左鎖骨と肋骨2本、右足下腿骨折の重症を負った飯島はこの日、入院している病院のベッドで編集長からの電話を受けていた。


『あぁ、お前が担当している三代さんからそういう訴えが来てるんだが、それは事実か?』

「い、いや……自分がそんなことをするわけがないじゃないですか……」


 パワハラは事実だが、それを認めたらろくなことにならないのは目に見えている。

 なので誤魔化しを図る。

 パワハラの証拠はないと踏んでいるからこその行動だ。

 LINEに怪しい内容のメッセージを送っているが、それは削除済みなのだ。

 ところが――


『なるほどな、飯島……お前はウソをつく人間なんだな』

「は? え? う、ウソってなんですか……自分は……」

『お前の社用スマホから送られたのが明白な、最低な内容のLINEスクショが提出されてるぞ? これはなんだ?』

「!?」


 飯島の心臓がひとつ跳ねて、ジワッと冷や汗が噴き出してしまう。


(な、なんでだ……あのLINEは削除したはずだろ……!)


 ――飯島は勘違いをしていた。

 削除しても相手のトーク画面からそのメッセージは消えないにもかかわらず、消えたと思い込んでいたのである。消えるのは自分のトーク画面からだけだ。

 相手のトーク画面からもメッセージを消すには、送信から24時間以内にのみ操作可能な「送信取消」を利用しなければならない。

 飯島はそれを理解していなかったため、「削除」だけでパワハラのメッセージをみあのトーク画面からも消せたと思ってしまっていたのである。

 

 そんな凡ミスが自分を追い込んでいるとは思っていない飯島をよそに、編集長の言葉が続く。


『飯島、これは上にも報告するからな? 少なくとも個人的には、女性作家にこんなことを言うヤツをウチの編集部に置いておくことは出来ない』

「ま、待ってくださいよ!」

『何を待てと? 警察のお世話になったり、当日いきなり有給申請してきて受理もしてないのに無断欠勤、そして事故で入院、セクハラにパワハラ……最近のお前はろくでもないぞ?』


 編集長の声色はもはやこちらにまったく信頼を置いていないことが分かる怒りに満ちたモノだった。

 育生は焦る。

 このままでは最悪クビになってもおかしくない。

 妻子を失い、養育費の請求も来るかもしれない中で仕事を失ったら終わる。家のローンだって残っているのだから。


「お、お願いです編集長……どうか寛大な措置を……」

『それを決めるのは俺じゃないし、どう考えても甘い措置にはならないだろうな……まぁ、追って連絡する』


 そんな言葉のあと、通話が途切れた。


 それからの育生は、生きた心地がしなかった。


 そんな中で数日後、育生に対する懲戒処分が通達される。


 処分内容は――諭旨ゆし解雇。

 簡単に言えば、期限付きの退職勧告だ。

 その期限内に退職願が出された場合は退職扱い、出されなかった場合は懲戒解雇としてクビにする、一応の温情措置であったが、


(……終わった……)


 どのみち退職しなければならないのは決定事項。

 こうして育生の華々しい編集人生は潰えることが確定したのである。


 育生はその後、退職願を出して普通の退職扱いを選択し、一応の退職金を受け取って他の出版社への就活を行うものの出版業界の狭い世界ですでに悪評が知れ渡っていて雇ってもらえず、最終的に自分で編集マネジメント会社を設立するが特に何も成せず廃業し、ローンの返済がキツくなって自宅を売り払い、工場勤務で養育費を払いながらひもじく生活していくことになるのだが、それはまた別のお話である。

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