第34話 最初の一手

 さて、土曜日を迎えている。

 飯島による寧々さんへの粘着行為はひとまずエスカレートしていない。でも粘着行為それ自体はやっぱりまだ普通に続いていて、寧々さんは迷惑している。


 だから飯島に社会的制裁を与えるための突破口を、僕らは開きたい――その鍵となるのは、羽海と交流のある女性編集者の炉菊ろぎくさんだ。

 飯島の同僚であるその人から、飯島のパワハラ情報をゲットするのが今日の目標である。他にも有益な情報が手に入れば最高だなと思いつつ――


「――あ、ひょっとしてあなたたちが白木くんと町田さん?」


 昼下がり。寧々さんと一緒に合流場所のとあるカフェを訪れたところで、黒縁眼鏡の黒髪おさげ美人が僕らに声を掛けてきたことに気付く。

 僕はぺこりと会釈して、


「炉菊さん、ですか?」

「ええ、炉菊です。じゃあやっぱりあなたたちが羽海ちゃん経由でアポを取ってきたワケあり大学生でOK?」

「OKです」


 頷きながら、僕らは早速相席することになった。ちなみに羽海は諸用(漫画制作)が忙しいとのことで不在である。


「さてと……ウチの飯島がなんかめっちゃ迷惑掛けてるみたいだね……」


 それぞれ飲み物を注文したところで、炉菊さんの方から言葉を切り出してもらえた。


「羽海ちゃんから事のあらましは大体聞いてるんだけど……飯島のヤツ、ストーカーしてるってホント?」

「……ストーカーって言うにはまだ早い段階ですけど、粘着されてるのはホントです」


 寧々さんはそう応じながら飯島の名刺を取り出してみせた。


「これが接触されてる証拠です……」

「あー……本物だね……。バイト先に来られてる、って話だっけ?」

「そうです……一度『勘弁してもらえませんか』って断ったこともあるんですけど、そんな権限ないでしょ? とか言われて聞く耳を持ってもらえなくて……」

「何やってんだかあの男……」


 炉菊さんは呆れ果てていた。


「2人はさ……飯島のパワハラ情報が欲しいってことだったけど、それって飯島を潰すため、で合ってる?」

「合ってます」


 僕が頷くと、炉菊さんも得心したように首肯してみせた。


「OK、全然協力したげる……あいつのせいで潰れたかもしれない駆け出しの子が居てさ、私が意地でも担当引き受ければ良かった、って後悔してる部分があってね……」


 やっぱり居るんだな……あいつによるパワハラの被害者が。


「……でも証拠がないから、それを攻め手にするのは難しいかもしれないっていうのは一応覚えておいて……あくまで私個人が疑ってるだけの話だし、私自身忙しくて実際どうだったのか調べたりも出来てないからさ……」

「可能性の話だけでも充分です。その潰されたかもしれない漫画家さんの情報さえ教えていただければ、あとはこっちで調べますから」

「分かった……でも飯島の粘着行為を止めたいだけなら、飯島の奥さんに告げ口すれば止まる可能性あるんじゃない、っていうのは野暮?」

「――っ……あいつ妻帯者なんですか?」


 僕は新情報に食い付かざるを得なかった。


「そうだよ。あいつ後輩なんだけど、入社して割と早い段階で結婚しててさ、幼稚園くらいの子供も居たはず……。別にプライベートで仲良いわけじゃないから、詳しいことは知らないけどね」


 待て待てマジか……飯島は妻子持ちかよ。

 だったらそっちの方向から攻めることも出来そうだぞ……。


 妻子持ちのくせに寧々さんに粘着してること自体がすでに不貞だし……凛音との過去だって、奥さんからすれば浮気ってことになる……。


 もし飯島の奥さんにその事実を報告出来たら、確かに粘着行為を止められるかもしれない……。

 告げ口を行う上で何か問題があるとすれば、飯島の家庭そのものを崩してしまい、結果として奥さんと子供にも直接的なダメージが行ってしまうところだろうか。

 でも……飯島のパワハラを見つけて社会的に貶めようとしている時点で、どのみち家庭そのものにダメージが行くのは同じことだ……。

 

 僕は……正義の味方じゃない。寧々さんの味方なだけだ。

 粘着行為を止めるためにやれることを、可能限り実行しようと思っている。

 飯島の家庭まで気遣ってはいられない……。


「……炉菊さんは飯島の住所って知ってますか?」

「いや、申し訳ないけどそれは分かんない……今言った通り、プライベートでの付き合いはないからね」


 となると……、モルトヴォーノにやってきた飯島を退店後に尾行してみるのが手っ取り早いのかもしれない。

 なんだか僕の方がストーカーっぽくなってしまうが、背に腹はかえられない。


 そんな風に考えながら、飯島のパワハラで潰されたかもしれない駆け出し漫画家の情報も聞き出して、僕らはやがて炉菊さんとお別れした。


「……この人みたいだな、その駆け出しの漫画家って」


 炉菊さんが立ち去ったあともカフェに滞在し続けて、僕と寧々さんは今得た情報について精査中である。その漫画家のSNSアカウントを教えてもらったので、それをスマホで確認しているところだ。


 ――三代みしろみあ。

 炉菊さんによれば詳しい年齢は分からないが女子大学生だそう。そんな彼女のSNSアカウントは、2ヶ月前の5月中旬辺りでぴたりと更新が止まっている。それまではオリジナルのイラストを頻繁に投稿していたようだが、この時期に何かあったんだろうか……それこそ、飯島からの何かが。


「めっちゃ良い絵描いてる人じゃん……筆折ったんだとしたら、もったいなさ過ぎ……」


 僕のスマホを覗き込みながらそう言った寧々さんは、


「ところで……飯島の攻め方ってどっちがいいんだろうね……」


 と悩むように呟いていた。


「……奥さんへの告げ口と、この三代さんを味方に引き込むこと、今あたしらにはふたつの攻め方があるけど、壮介的にはどっちの優先度を高くすべきだと思う?」

「まぁ……効果の即効性を考えれば奥さんへの告げ口かなとは思うよ」


 奥さんに告げ口すれば、恐らく飯島の家庭は即日荒れる。そうなれば飯島は寧々さんに粘着しているどころではなくなる、かもしれない。

 もちろん奥さんが飯島を庇うというか、子供のことを考えて見て見ぬフリ・聞かぬフリをすれば、何事もないことになるのかもしれないけれど。


「あのさ壮介……今回の件で奥さんを巻き込むのって卑怯にはならない……かな?」

「それは僕も思うところがあるよ……でもじゃあ、寧々さんが被害を受けたままでいいのかって言ったらそれは違うだろ」


 この世にはきっと、綺麗事だけじゃどうにもならないことがある。

 ……身内の粗相に気付かないなら、教えてやるしかないじゃないか。


「とりあえず……僕的には奥さんへの告げ口を最初の一手にしたい。即効性を優先するよ」

「……分かった」

「寧々さんって、今日はこのあとバイトだっけ?」

「あ、うん……」

「じゃあ多分飯島が来るはずだから、あいつの退店後に僕があいつを尾行して家の住所をさぐる。そして日を改めて奥さんを訪ねる。これが今後の方針だ」

「……尾行って、危なくない?」

「危なくてもやらなきゃ、寧々さんがずっと危ないからな」

「なんで……壮介はそれだけ必死に動いてくれるの?」


 どこか不思議そうな表情で寧々さんは僕を見つめていた。


「そりゃ……壮介も凛音の件で飯島に因縁があるのは分かるけどさ……今の問題は、壮介にはほぼ害がないじゃん」

「害ならあるさ。寧々さんっていう日常の風景が侵害されてる」


 僕にとって寧々さんはすっかり日常的な存在だ。そんな寧々さんの気分を誰かが乱しているのなら、その原因を取り除きたくなるのは道理である。


「だから気にしなくていいよ。寧々さんの問題は僕の問題でもあるんだから」

「……何さ、かっこつけちゃって」


 寧々さんはなぜか顔を真っ赤にして目を逸らしていた。

 これはどういう感情なんだろう。

 偉そうに言ったから怒らせちゃったか……?


「ごめん、寧々さん……」

「……謝んなくていいし」

「あ、うん……とにかく僕に任せてくれれば……」

「うん……ありがと……」


 お礼を言ってくれるってことは、怒ってはなさそうだ……。

 ……良かった。


 さて……なんにしても、僕は僕に出来ることをやるだけだ。


   ◇


 こうしてこの夜、僕はモルトヴォーノ退店後の飯島を尾行した。

 電車での移動を挟んだりして、やがて住宅街の一軒家に飯島が入り込んでいく様子を捉えた瞬間、さすがは大手出版社の編集だなと思った。すでに一軒家をお持ちであるらしい。

 

 ……いずれにせよ、これで飯島の住所は把握出来た。

 あとは日を改めて奥さんに接近を図り、不貞の事実を伝えるだけだ。


 そう考えながらひとまず帰宅すると、寧々さんが落ち着きなくリビングをウロウロしていることに気付いた。


「ただいま……どうかした?」

「――あ、おかえり。……てか、どうかしたじゃないし」


 寧々さんがムッとした表情で僕に近付いてくる。


「先に帰ってろ、って言うから、心配だったんじゃん……」

「あぁ……ごめん。でもこの通り、何事もなかったからさ」

「でもあたしに心配かけた罰として……」

「え」

「このあと……またアレやらせてよ……」


 ……アレとは一体何を指しているのかピンと来なかったけれど、僕の風呂に付いてこられた瞬間なんとなく察して、浴室で背中を流されつつどこぞに指を這わせられた直後、これは罰というよりご褒美なんじゃないかと思ったのはここだけの話である。

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