第31話 素性を知る

 ファストフード店から「モルトヴォーノ」店内の出待ちリーマン浮気野郎を眺めていて分かったことがある――そいつは店側からすればある種の優良客だった、ってことだ。

 現在時刻は午後9時前で、もうまもなくモルトヴォーノの閉店時間。

 出待ちリーマンは午後7時くらいの入店からかれこれ2時間近く、高めの酒とつまみを随時頼んでは店に金を落としていて、そこだけ切り抜けば良い客人だったのだ――しかし。


 厨房の見えるカウンター席に座っているそいつは、時折厨房に視線を向けて寧々さんを眺めていた。ジッと見たりすることはなくて、それとなくチラッと見るのがいやらしいところであって――だからカトゥーロさんを始め、他のスタッフは寧々さんが粘着されていることに気付かなかったんだと思う。寧々さんが相談していれば違ったんだろうが、相談してなかったわけだしな。


 それ以外の粘着行為は確認されていないが、好きでもない相手からの2時間近い視線の照射なんて、寧々さん当人からすれば気持ちの良いもんじゃないだろう。充分に被害を与えていると言えた。


 そんな中、ほどなく閉店時間を迎えたようで、店内の客が席を立ち始めている。もちろん出待ちリーマンもだ。そんな粘着野郎に対して、カトゥーロさんが出禁を言い渡す様子はなかった。今日はとりあえず様子見、と監視前に決めていたからだ。下手に刺激すると寧々さんへの被害が増すかもしれないので、慎重に対処しようというのが僕らの共通認識としてあるのだ。


 ともあれ、店から出てきたそいつはそのまますぐに帰るかと思いきや、店から少し離れた駅前の路地で待機し始めたことに気付く。

 なるほど……ああやって寧々さんを出待ちしているわけか。店のすぐ傍で待たないあたりが本当に姑息だ。自分のやっていることが良いことではないと分かっているからこそ、カトゥーロさんたちの目が届かないところで寧々さんを待ち伏せするんだろうな。


 そんな姿を見て腹立たしい気分になっていると――


【壮介、今向かいのファストフードにいんの?】


 閉店から20分ほどが経った頃、寧々さんからの通話が届いた。後片付けを済ませてバイトが終了したようだ。僕はそれに応じ始める。


「ああ……それより出待ちリーマンのことなんだけどさ、あの男……凛音の浮気相手だったよ」

【――っ。ウソでしょ……? そんな偶然ある……?】

「現実は小説より奇なり、ってヤツさ……あったんだよ、そんな偶然が」


 あの出待ちリーマンは寧々さんにとって許せない相手であるのと同時に、僕にとっても許せない相手だったという、なんとも因果な状況だ。

 言ってみれば共通の敵。

 寧々さんへの粘着野郎だということを抜きにしても、もはや無視出来る相手じゃない。


「……ちなみに出待ちリーマンは今路地で待機してるから、店を出るなら注意してくれ。カトゥーロさんとかと一緒に出られるなら、その方がいい」

【ま、待って壮介。あのリーマンほんとに凛音の浮気相手だったヤツなの?】

「そうだよ……それがどうかした?」

【そういうことなら壮介も許せん部分、あるだろうし……協力して嵌めてみない?】

「――っ」


 そんな提案がなされて、僕は驚いた。


「は、嵌めるって……どうやって? もし美人局的なことをやろうって言うなら、それはこっちにもリスクがあるからダメだぞ?」

【さすがに美人局はする気ないから安心して】

「……じゃあどうするんだ?」

【……ごめん。実は勢いで言っただけで大した案ないんだよね……】


 僕は椅子からズリ落ちるリアクションを取りそうになったけれど、周囲に人が居るから自重した。


【……壮介、なんか良い案ない?】

「うーん、そうだな……」


 あの出待ちリーマンの嵌め方か……。

 寧々さんを囮とまでは言わないにしても、ある程度接近させていいなら……、


「……名刺」

【え?】

「寧々さんってさ、あのリーマンの名刺持ってる?」

【あ、ううん……それは持ってない。なんか連絡先として渡されそうになったことはあるんだけど、怖いから受け取らなかったし……】

「なら……今からもらいに行くことって出来るか?」


 あのリーマンの素性を知ることで、嵌め方の選択肢は広がるはずだ。たとえば会社に被害の苦情を直接入れるとか。

 実際にそうするかは別にして、あいつの基本的な情報を手に入れておきたいというのもある。苦情よりも良い嵌め方を見つけるためにも。


「でも名刺をもらいに行くのはリスクもあるから、怖いなら無理しないで欲しい」

【ううん……やるから、見守っといて】


 寧々さんはそう言った。

 勇気がある人だ。

 見守っといて、というのは言われるまでもない。

 むしろ撮影しておく。

 万が一襲われたらそれが決定的な証拠になって被害届を出せるしな。


「分かった……じゃあ気を付けて」

【おけ】


 そんなこんなで数分後、寧々さんが店から出てきた。

 そして駅に向かう途中の路地で、出待ちリーマンに声を掛けられていた。

 僕は撮影を始める。

 奥に向かう様子はないのでここからでも撮れる。

 あいつが寧々さんを奥に誘わないのは、寧々さんの警戒心をMAXにさせたくないからだろうな。オトすのが目的なんだろうし、あいつなりに色々気を払って表通りに近いところで話しているんだと思う。


 ほどなくして、寧々さんがあいつから名刺を受け取ることに成功していた。これまで拒否られていた相手に名刺を求められたからか、出待ちリーマンは嬉しそうにしている。御しやすそうだな。凛音からもひょっとしたら、テイのいい金づるにでもされていたのかもしれない。


 それから出待ちリーマンはホテル街の方を指差したりしている。……うわ、名刺を求められたからイケるかも? 的な思考になっているんだろうか。寧々さんは首を横にぶんぶんと振っている。今日は名刺だけでいいです、的なことを言っていそうだ。


 すると出待ちリーマンはちょっとガッカリしたように肩を落としながら、じゃあ今日はこれでね、的な雰囲気を醸し出して駅の方に歩いて行った。……オトすのが目的かと思いきや、あの様子だと合意を得た上でヤれればそれでいいのかもしれない。きもいなぁ。


「はぁ……怖かった……」


 それからすぐ、寧々さんがファストフード店までやってきた。

 僕の隣に腰掛けながら、トートバッグをゴソゴソして、


「……でもほら、名刺はきちんともらえたよ」

「ありがとう、お疲れ様」


 ねぎらいながら、僕はその名刺を覗き込んだ。


飯島いいじま育生いくお……でいいのかな。……あ、出版社の編集かよ」


 それなりにデカい漫画編集部の社員のようだ。エンタメを作る側の人間が、他人の笑顔を奪う笑えない所業をやってんのかよ、と呆れてしまう。


「素性は知れたけどさ……これでどうするわけ?」

「んー、まぁ……それはこれから考えようか」


 会社に直接苦情を入れるにしても、イタズラ扱いされたら意味がない。

 もっと粘着の証拠を集めるか、あるいは内部の人に直接話が出来る機会とかを作れればいいんだけれど、そんなの簡単なことじゃないしな……。


 今日のところはひとまず、帰宅することになった。

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