第30話 予期せぬ一致

「はいよ、ナスのアラビアータだ」


 引き続き、イタリアンレストラン「モルトヴォーノ」の店内。

 まだディナータイムの開店時間に差し掛かっていないけれど、僕は特別にちょっと早めに料理をいただけることになった。オーナーシェフのカトゥーロさん自らが運んできてくれたそれは、ナスがふんだんに盛り付けられた唐辛子風味トマトソースアラビアータのパスタである。麺はスパゲッティではなくて、ペンネだった。めちゃくちゃ美味しそう。


「マチダちゃんお手製だから、きっと愛情が無限に――」

「――へ、変なこと言わないでくださいっ!」


 厨房から照れ臭そうな声が届くのをよそに、カトゥーロさんは「HAHA」と軽やかに受け流しつつ、


「ところで、他にも何か頼むかい?」


 と聞かれたので、僕は追加でミネストローネを注文した。アラビアータ一品だけで長居(張り込み)させてもらうのは申し訳がないからだ。

 そんなこんなで、これまた寧々さんが作ったというミネストローネも運ばれてきたところで、食事を開始。早速口に運んでみると――旨い。同じ寧々さんの料理でも、店で食べる方が美味しい気がする。店の雰囲気の影響なのか、あるいはコンロの火力や食材の問題なのか。……まぁ、両方かもしれない。


 ……さて。

 やがて午後6時を回り、この店はディナータイムの開店時間を迎えた。こうなるともう、いつ出待ちリーマンが来訪してもおかしくないので気を引き締め直す。

 

 僕は出待ちリーマンの顔を知らない。だからそいつが来訪した場合、寧々さんから合図が入ることになっている――「オーダー入りました」というひと言だ。厨房スタッフの寧々さんがそんなワードを口にすることは通常ないので、合図としては分かりやすい。


 やがて最初の客がやってきた。

 リーマン風の男性だったので、少しドキッとした。

 どうだ……この人が出待ちリーマン?

 そんな疑いの目で追いかけてみるが、寧々さんからの合図は……来ない。

 どうやら違ったようだ。


 その後も男性客が来るには来るものの、女性連れだったりするので寧々さん目当てじゃないのが目に見えて分かる。


 ……思えば、出待ちリーマンはさすがに毎日来るわけじゃないはずだ。今日は来ない可能性もあるんだろう。僕としては一応、遭遇するまで毎日通うつもりだ。寧々さんの安全を守るためなら、多少身を粉にするのはやぶさかじゃない。


「――っ」


 僕の心臓が大きく跳ねたのは、そんな風に考えていた直後のことだった。

 新たな男性客が来訪し、そいつの顔を捉えた瞬間、僕の心からは平常心が消え去っていた。

 なぜって……それはいきなりの、予期せぬ遭遇だったからだ。


(……あいつ……)


 咄嗟にメニュー表で顔を隠しながら、僕の視線はそいつを捉え続けている。

 さも仕事終わりと言わんばかりの若干汗の滲んだクールビズスタイル。

 ビジネスバッグを片手に、もう一方の手で額の汗をハンカチで拭っているそいつは、ホールスタッフに「カウンター席でお願い」と告げながら案内され始めていた。


 僕はそいつから目を逸らせなかった。荒む心で捉え続けるしかない。だってそいつは……こともあろうに――凛音の浮気相手だった男だからだ。

 僕の部屋で凛音とセックスをしていたクソ野郎である。見間違いかと思ったけれど、どう見たって間違いなくあのときの浮気相手だった……忘れようがない。

 しかも――


「――オーダー入りましたっ」


 寧々さんからの合図が木霊したもんだから、心がよりささくれ立った。

 ……あのリーマンは、凛音の貞操観念の低さがあったとはいえ、凛音とねんごろになった挙げ句に、今度は寧々さんに狙いを付けているらしい……偶然にしたって、悪い意味で出来過ぎている。僕の周りにばかり目を付けやがって……あまりにも、なんというか、面白くない。


 とりあえず、僕は長居することをやめた。会計は先に済ませておいたので、とっくに皿の中身がカラなこともあって、一旦店を出た――同じ空間に居続けるのが心情的にイヤだったし、気付かれて何か騒ぎになっても面倒だからだ。


 でもこのまま帰るわけじゃない……このお店は良い立地にあって、駅に近い幹線道路の傍だ。道路を挟んだ向こう側にファストフードの店があるので、僕はその窓際のカウンター席に居座って動向を観察することにした。


 もし寧々さんに余計な手出しをするつもりなら、僕んちで凛音とヤることをヤっていた件も含めて、タダじゃ済まさない。


 そんな意気込みと共に、僕は向かいのファストフード店で張り込みを再開した。仕事終わりの寧々さんが僕の不在理由を知れるよう、寧々さんのLINEに場所替えのメッセージを送りながら。

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