第27話 偽彼氏

 翌朝、寧々さんの態度は普通だった。昨晩をさせた、というかされてしまったけれど、何事もなかったかのように、


「――ベーコンとウィンナーどっちがいい?」


 と、キッチンで朝食の支度を始めながら、そう尋ねてきてくれた。

 正直、その態度がありがたかった。

 昨晩の僕は……なんというか気が触れていたと思う。あんなの、嫌われても文句が言えない愚行だった。寧々さんも乗り気だったとはいえ、そこはだからこそ僕が冷静に自重するべきだったと思う。寧々さんは彼女じゃないんだから、節度を持って接していかないといけない。


「……ベーコンで」


 と答えながら、僕は気を引き締め直す。羽海ともあんなことがあって、どこか浮き足立っている部分があるのかもしれない。とりあえず初心に返って、童貞だった頃くらいに慎重な動き方をしていきたいと思う。


「ねえ壮介、あのさ」


 やがて朝食が出来上がり、僕らはいつものように食卓で向かい合って食べ始めた。

 そんな中、


「壮介のこと、彼氏にしてもいい?」

「――ぶっ!!」


 寧々さんが突拍子もないことを言ってきたので、僕は口に含んでいた付け合わせのコンソメスープを吹き出しそうになってしまった。正面の寧々さんにぶっかけるという大惨事はなんとか免れたけれど、しかし僕の鼻からコンソメの滝が滴り始めていたので、これはこれで大惨事に違いなかった……。


「ちょっ、大丈夫!? はいこれティッシュ!」

「あ、ありがとう……」


 食卓や床に滴ったコンソメスープを拭いてから、一生懸命チーンして鼻の違和感を取り除く。

 まぁそれはそうと……、


「……今の質問はなんだ?」


 彼氏にしてもいい? とは一体どういうことなのか……。

 ガチの告白……ではないよな? さすがに……。


「まぁ、えっと、要するにさ」

「……要するに?」

「カモフラに使わせてもらってもいいか、ってことなんだけど」

「……カモフラ?」

「端的に言えば……偽彼氏」


 と言われて、「あー……」と納得の唸りを上げた僕である。


「そういうことだったか……いやビビったよ、今の問いかけはホントに……」

「ごめん、反省してる……」

「でもさ……なんで偽彼氏?」


 急にそんなことを言い出すからには、何か理由があるんだろうけれど。


「あのね……前にちょっとだけ話した気がするけど、同じ料理サークルに所属してるチャラ男が相変わらずウザいから、彼氏持ちの設定にしとこうかなって思って」

「なるほど」

「あと、こっちの方が気持ち悪さは上なんだけど……」

「?」

「……最近、バイト先にあたし目当てのお客さんが来てんだよね……」

「え、寧々さん目当てのお客さん?」

「うん……」

「……コンカフェとかガールズバーじゃない普通のレストランなのに?」

「そう……なんかさ、厨房で働いてるあたしの姿に惚れたとかなんとかって話で、わざわざシフト終わりの出待ちまでされちゃってる状況でさ……」


 うげ……なんだそりゃ。


「怖い人とかじゃない普通のリーマンっぽい人なんだけど、しつこいからさっさとお断りしたくて……」

「……大変なことになっていたんだな」


 調理中の寧々さんはカッコ可愛いから惚れるのは分かるし、だからこそ言い寄りたくなる気持ちも分かる。でも寧々さんがそれを迷惑に思っているのなら、そのリーマンには大人しく身を引いてもらいたいもんだな……。


「分かった……そういうことなら僕を幾らでも彼氏扱いしてくれていいよ」


 僕の返事は当たり前だけどそれ一択である。


「ツーショットの写真でも撮ってさ、それを相手に見せれば彼氏持ちの証拠としては有効だろうし、やってみたら?」

「あ、うん……じゃあお願いしてもいい?」

「お安い御用さ」


 そんなこんなで朝食後、僕らは身支度を整えてソファーに並んで座った。寧々さんが自撮り棒を持っていたので、それを利用してのツーショット撮影である。


「んー、あたしら表情硬くない……?」

「……うん、硬いと思う」


 早速1枚撮ってみたけれど、証明写真みたいになっていた。あずきバーよりも硬そうな表情をしている。こんなカップルが居てたまるか。


「とりあえずアレだな、お互い笑顔は必須だと思う……その上で、寧々さんがもっと僕にくっつく感じがいいんじゃないか?」

「じゃあ……こういう感じ?」


 そう言って寧々さんが僕の肩にこてんと頭を乗せてきた。少しドキッとしてしまう。でもこれでいいはずだ。


「……あとはこの状態で笑顔だ」

「おけ」


 そんなやり取りをしつつ――ぱしゃりと撮影。


「……お、悪くないかも?」


 寧々さんが先んじて画像をチェックしてから僕にスマホを見せてきた。

 良い感じのカップルにしか見えない僕らが写っている。

 けれど、まだちょっとぎこちなさがあるなと思い、


「寧々さん、妥協しないでおこう」


 と告げた。

 

「見せる写真次第で相手のひより具合も変わるだろうし、もっとカップルっぽさを追求してもいいと思うんだ」

「それは確かにね……うん、じゃあもっといいの撮ろうっ」


 そんなわけで、僕らは構図を変えて更に数十枚の写真を撮った。

 そしてついに、納得の行く1枚にたどり着く。

 ソファーで肩と頬を寄せ合う幸せそうな1枚だ。

 何も知らない人がこの写真を見たら、10人が10人カップル認定してくれるのは間違いないと思う。


「なんかハズいね、この写真……マジでカップルっぽくてさ……」


 寧々さんがその奇跡の1枚を見て頬を赤らめていた。

 僕もちょっと照れ臭くなるけれど、まぁ自分らが照れるくらいのクオリティーじゃないと相手を騙すことは出来ないはずだし、これでいいだろう。

 寧々さんもそう思っているようで、追加の撮影が行われることはなかった。


「じゃあとりま、これを相手に見せて反応窺ってみる……。壮介の顔はモザイク掛けとくね? もし逆恨みとかされたら怖いしさ……」

「……あぁうん、じゃあそうしてもらえたら」

「それとさ……」

「ん?」

「……ありがとね、協力してくれて」


 上目遣いにお礼を言われ、僕はゆっくりと首を左右に振った。


「気にしなくて大丈夫。見せるにしても、ひとけのある場所でやるようにな?」


 何かあったら怖い。

 とにもかくにも、寧々さんに言い寄るそのリーマンがこれで撃退されてくれることを祈るばかりだった。

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