第22話 ホテル 1

 新しい週が始まったこの日の夕方、僕は大学の図書館で小説の執筆を行っていた。自習室みたいな感じでも使われているから、僕以外にもノートPCを開いたり、あるいはノートとにらめっこしている学生が割と居る。


 そんな中――


「ねえ壮介、ちょっといいかしら?」


 同じ大学に通う羽海が、僕の傍にやってきたことに気付く。

 講義のあとに別れているが、こいつもまだ残っていたようだ。


「ああ、どうした?」

「実は壮介にお願いがあるのだけど……ちょっとここじゃ言いにくいことだから、こっちに来てもらえる?」


 そう言って羽海が廊下の方に歩いていく。

 はて、なんの用事だろうか。

 ちょうど帰ろうとしていた僕はノートPCをリュックにしまい、羽海の背後を追随する。


「人前じゃ言いにくいお願いってなんだよ」


 羽海は結局大学からも出て駅の方向に歩き始めている。隣に並んで問いかけてみれば、羽海の綺麗な瞳がちらりと僕を捉えてくる。


「……ホテル」

「え?」

「私と……ホテルに行って欲しいのよ」


 と言われ、僕はキョトンとしてしまう。


「……ほ、ホテル?」

「そう……ホテルよ」

「ホテルって……どこのだよ」

「どこでもいいけど……要するにラブホテルのことよ」

「!?」


 今度こそ僕はしっかりと驚かざるを得なかった。


「な、何言ってんだよお前……っ」

「……別に冗談で言っているわけじゃないわよ?」


 羽海はちょっと気恥ずかしそうに言葉を続けてくる。


「資料がね……欲しいのよ」

「……資料?」

「ええ……私の隠れた趣味は知っているでしょう?」

「漫画だろ……読むんじゃなくて、描く方の」


 意外にも、羽海はオタクだ。表に出している趣味じゃないので、多分僕くらいしか知らない情報だが、こいつは高校のときからひっそりと漫画を描いている。成果らしい成果はまだ出ていないそうだが、出版社に送ったりもしているらしい。


「今、ちょっとオトナな感じのラブコメを描いているのね? ……それで、ラブホのシーンを入れるべき展開に差し掛かっているのだけど、私は、その……ラブホに行ったことがないものだから、雰囲気とかを上手く表現しきれなくて……」

「なるほど……それで資料として実物を見に行きたいってことなのか」

「……その通り」

「それはさ、女友達とでも行けばいいんじゃないか?」


 僕はそう言った。


「今はほら、ラブホで女子会とかも出来るわけで」

「だけど男子と行かないと、なんていうか……ほら、雰囲気は分からないじゃない」


 まぁ……言わんとすることは分かる。男と入る場合と、女子同士でおちゃらけて入る場合とでは、空気感がまったく違うだろうからな……。


「壮介は今フリーなんだし……別に私とラブホに行っても問題ないでしょう?」

「そりゃ問題ないけどさ……でもなんかこう……」

「何よ……」

「羽海にとっての……汚点にならないか?」


 初めてラブホに行く相手が僕でいいんだろうか、と思っているわけだ。別に本番をヤるわけじゃないから重く考える必要はないんだろうが、それでも初めての相手が僕というのは、羽海という存在を考えたときに釣り合わない気がする。


「別にいいのよ」


 しかし羽海は、そう言ってくれた。


「むしろ壮介じゃないとダメよ……他の男子とは行きたくないわ」

「……なんで?」

「そんなの自分で考えなさいよ……ばか」


 ツンとそっぽを向く羽海であった。

 女子はなんで言葉にせず、察することを男に求めてくるのか。

 言葉にしないと思いや感情は相手に伝わらない、って偉い人が言ってんのにさ。

 まあいいや。


「とにかくお前は……僕とラブホに行きたいんだな?」

「そうよ……」

「分かったよ……まぁ、資料目的なら行ってやってもいいさ」

「ほんとに?」

「ああ……でも大学のヤツらに見られたらめんどくさ過ぎるから、何駅か離れるぞ。いいよな?」

「ええ、異論は無いわ……」


 というわけで、僕は羽海とラブホへと向かうことになった。

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