第15話 怪我の功名

「ごめん白木……あたしのせいで……」

「町田さんのせいじゃないってば。気にしなくていいよ」


 現状は病院からの帰り道だ。

 ……あのあと、凛音は駆け付けた警察に現行犯で逮捕され、僕は救急車で病院に運ばれた。命に別状はないけれど、ペンが刺さりっぱなしの左手を処置してもらうためである。病院到着後は局所麻酔で感覚を鈍らせながらペンを抜かれて、軽い形成手術を施されてから縫われた。僕は処置のあいだ、グロが苦手なのでずっと目を閉じていた。

 それから病院で事情聴取を受けて、さっきようやく解放されての帰宅中。

 左手は麻酔が切れて痛みが出始めているけれど、我慢出来ないほどじゃないから別にいい。町田さんを守れた勲章と思えば、誇らしい気分だった。


「……凛音はさ、これからどうなるんだろうね」


 マンションへの帰路を歩きながら、町田さんがぽつりと呟いた。西日に照らされているその表情は浮かない。でも凛音の心配をしての呟きじゃなくて、それは単なる好奇心から来る疑問だと思う。


「まぁ、僕が示談に応じなきゃあいつは刑事罰もありえる立場だな」


 示談に関しては向こうがどう出てくるか次第だな、と思っている。一応、警察の話を聞く限りあいつは取調室で憔悴し、反省しているらしい。カッとなってやった、というテンプレじみた動機を口にしているそうで、ヒステリーは勘弁してくれよ、って感じだ。


「ま……これで凛音との真っ当な縁は途切れたよ。あいつは大学にも居られなくなるだろうから」


 警察経由で事件を知った大学からさっき連絡が来て、割と処罰感情のある態度で僕の話を聞いてくれた。恐らく凛音は、除籍処分を免れない気がする。

 そして示談の結果次第じゃ、やらかした悪事の責任だって取らないといけない。

 でもあいつの親とかがまともな誠意を見せてくれれば、僕はこれ以上大ごとにするつもりはない。なんせ面倒ごとは御免だ。静かに暮らせればそれでいい、って僕は今回の件で強く思うようになった。


「ところで」


 隣を歩く町田さんに目を向けて、僕はひと言。


「僕のために怒ってくれたの、嬉しかったよ」


 そう告げた。まだそのことに触れていなかったので、お礼がてらである。


「昔のことを反省してる、って改めて言ってくれたのも嬉しかったし、僕と暮らすのは望んでることだ、って言ってくれたのも、嬉しかった」

「言っとくけど……他意はないからね?」


 恥ずかしそうに目を背けながら、町田さんはそう言った。


「あくまで、白木と友達としてやり直したい、ってだけだから……」


 ……友達として、か。

 まぁ、高望みはしないでおく。

 僕らはまだ所詮、再会して2週間程度の腐れ縁なのだから。


「それより白木……その左手は生活する上で不便なさそう?」

「……んー、いや……多分思いっきりあると思う……」


 なんせ僕は左利きだ。今の状態だと痛みと腫れで箸もペンも握れないという有り様である。全治は2~3週間と言われている。地味につらい。


「そういうことなら、あたしが居て良かったじゃん……お世話してあげられるし」

「お世話……してくれるのか?」

「そりゃ、今回のことは明確な借りだしさ……借りたままじゃいられないっていうか……昔のことも含めて、あたしは白木に返すモノが多いってことね」


 やがて部屋の前に到着すると、町田さんが先んじて鍵を開けてくれた。


「じゃあ夕飯作るから、安静にしてなね?」


 部屋着に着替えたりして、一段落ついたところでそう言われる。でも僕は食卓でノートPCを起動した。将来への投資。小説を書くためのプロット作り。やりたいことをやっている町田さんに負けじと、僕もやりたいことをやる。立ち止まってはいられない。


「ちょ……大丈夫なの?」


 調理を始めた町田さんが振り返って心配してくれる。


「タイピングはまぁなんとか大丈夫」

「……ホントに?」

「ホントに大丈夫だって」

「ホントかなぁ……」


 町田さんは心配そうに呆れていた。でも僕を信用してくれたのか、それ以上の小言はなかった。


「――はい、出来たよ」


 やがて食卓に夕飯が並べられた。今夜の献立はご飯、味噌汁、豚の生姜焼き、ピーマンの肉詰め、ほうれん草のおひたし、茹でオクラ、酢の物といった様相で、いつも通りに旨そうだ。


「よいしょ、っと……」


 そんな中、いつもなら僕の正面に座る町田さんが、今日は隣に腰を下ろしてきたことに気付く。


「……どうして隣に?」

「どうしてって……食べさせてあげようと思って」

「え」

「え、って何さ……迷惑?」

「め、迷惑ではないよ……けど……」


 ……驚いた。

 まさかそこまでしてくれるつもりだったとは。


「じゃあほら……何から食べたい?」


 町田さんのぱっちり猫目が僕の顔を覗き込んでくる。少し照れ臭そうにしているのが、可愛らしい。


「なら……生姜焼きから」

「……おっけ」


 町田さんが箸で生姜焼きを掴んで、僕の口元にそっと運んでくれる。


「はい……口開けて?」


 引き続き、町田さんの顔は紅潮していた。


 かつて所属していた女子軍団のリーダーが、今は甲斐甲斐しくお世話してくれる。

 これぞまさに怪我の功名……と言うには、ちょっと重すぎる怪我をしてしまった気がするけれど――何はともあれ、こんなにも健気な町田さんを見られるのは、世界中で僕だけであって欲しい。


 思わずそんな風に考えながら、僕は生姜焼きをひと口頬張った――。




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