第9話 確定

「おはよ、白木」

「おはよう、町田さん」


 僕は最近リビングで寝起きしている。言うに及ばず、個室を町田さんに譲っているからだ。テーブルをどかして布団を展開し、そこで休む分には特に問題ない。野球観戦から数日後の今朝もそんな感じで目を覚ましたら、町田さんがすでにキッチンで朝食の支度に取りかかっているところだった。


 それは今朝だけの光景、ではなくて、初日からずっとそう。ウルフカットの黒髪を短いポニーテールにまとめ上げた状態で、備え付けのIHコンロで今日も何かを作ってくれている。匂いからして、味噌汁。オーブンでも何かを焼いている。多分、先日買っているところを見た鮭の切り身だろう。


 町田さんはイタリアンの腕を磨こうとしている一方で、料理が趣味と言っていただけあって普通に和食も作れるらしく、朝は大体黄金パターンの和な献立を出してくれるのだ。


 起床した僕が身支度を済ませてリビングに戻ると、食卓には出来立ての朝食が並べられていた。湯気をくゆらす白米、良い香りを漂わせる味噌汁、脂をじゅわっと染み出させている焼き鮭。町田さんはそれにプラスして納豆パックを食卓に置きながら、


「はい、出来たから冷めちゃう前にどーぞ」

「ありがとう」


 食卓に腰を下ろし、僕は早速箸を手に取っていただくことにした。納豆をかき混ぜてご飯に掛けたのち、とりあえず鮭から味わおうと考えて、ホクホクの身をほぐして口に運んでみた。

 ――うん、旨い。焼き方に何か工夫でもあるのか、実家で母さんが出してくれていたモノよりも身がふわっとしているのが不思議だ。続けて納豆ご飯を頬張れば、もはや口の中は美味しさの坩堝と化す。


「味噌汁さぁ、ちょっと濃くし過ぎたかもしれんのよね」


 一方、正面で一緒に食べ始めている町田さんが、味噌汁を啜りながらぼやいていた。なので僕も啜って確認してみる。


「んー、まぁ……これくらいなら許容範囲じゃないか?」

「そう? 白木が平気ならそれで良いんだけどさ」


 とのことで、僕を最優先に考えてくれているのがありがたい。

 そんな町田さんはまだラフな寝間着姿で、幾つかある部屋着のうち、今は水色のキャミソールと灰色のホットパンツを着用中で、割と目のやり場に困るんだよな……現状足元は見えないにせよ、上半身は肩丸出しで胸元も開けっぴろげ。結構育ったモノをお持ちだから、谷間が気になって仕方がない。


 でもそれを指摘して厚着させるには、時期がな……6月も下旬に差し掛かって、正直もうエアコンがないと生きていられない。外はあっちぃし、室内でもなるべくなら薄着で過ごしたい季節だ。町田さんの格好は何も責められない。


「あ、そういえばさ、申し訳ないことに物件探しは難航中なんよね……」


 不意に町田さんがそう切り出してきた。


「不動産屋に顔出したりネットで情報漁ったりしてるんだけど、大学とバイト先との移動距離とか諸々ベストな条件に当てはまるのが、結構お高いところしかなくてさ……安いところもないわけじゃないんだけど……」

「……風呂トイレ無しとか?」

「まさにそれ……」


 ……うーむ、物件探しってムズいよなぁ。町田さんの予算は一応親持ちらしいけど、上限が4万で、それ以上のところに住みたいなら自分で足してどうにかしろ、って感じらしい。

 都会で4万はろくでもないところにしか住めない、ってことはないけど、それは場所を選ばなきゃの話であって、町田さんみたいに通勤通学圏内で探したいという前提条件が付くと、途端に選択肢は狭くなってしまう。


「ちなみにだけど……僕の部屋はちょうどいいんだっけ? 諸々通うのに」

「あ……うん、正直めっちゃちょうどいーよ」


 町田さんは焼き鮭をほぐしながら頷いた。


「でも……迷惑掛けらんないしきちんと出てくからさ、そこは心配しないで」


 そんな言葉も続けられた。


 僕としては正直……ずっと居てもらっていいんだが、町田さんはそもそも出て行きたいのかもしれない。僕みたいな男のもとに居るのはそもそもしょうがないことであって、本当ならさっさと1人で暮らしたいのかもしれない。


 でも一応……ここでコレを言わずにいたら後悔すると思うから、


「あのさ町田さん……ここがちょうどいいならずっと居ればいいんじゃないか?」


 と伝えてみた。町田さんのためというよりは、僕自身のためだ。町田さんが気になっているから、引き留めようとしている。僕は言葉を続ける。


「僕は町田さんと暮らすのイヤじゃないしさ、別に無理して出て行こうとしなくてもいいと思うんだ」

「でも……」

「もちろん町田さんが僕と暮らすのがイヤなら、しょうがないんだけどさ」

「そ、それはないから……別に白木と暮らすの全然イヤじゃないし。ていうか白木の方こそ、無理してそういうこと言ってるんじゃないの?」


 町田さんが僕の表情を窺ってくる。


「……ホントは出て行って欲しいのに、無理に気遣ってるだけなんじゃない?」

「それは絶対に違う」


 僕は首を横に振ってみせた。


「彼女と過ごしてた時間よりも、町田さんと過ごす時間の方が楽しいし」

「……そ、そうなんだ」

「うん。だから別に居てくれていいんだよ」


 そう告げると、町田さんはどこか照れ臭そうに視線を逸らしていた……ちょっとクサいことを言ったような気がするもんな。でも、別にいい……言わない方が後悔することだから。


「あのさ……」


 そんな中、町田さんが僕に視線を戻してくる。

 そして赤い頬のまま、どこか恐る恐る、


「ホントに……居候し続けていいわけ?」


 と尋ねてきた。

 ということは、これはきっと最終確認だろう。

 気持ちを傾けることに成功したんだと思う。

 だから僕はすかさず、


「もちろん」


 と言った。


「じゃあ……あたしとしてもその方が助かるし、白木がそう言うならそうさせてもらおうかな……ありがとね、白木」


 とのことで。

 間違いなく、これは僕にとっての大勝利と言えた。

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