第4話 何故読まれたいのか

 今回は承認欲求について書いてみます。


 貴方は何故、読まれたいのでしょうか?

 これはもう承認欲求でしかないと思います。色々拗らせている人でも捻じ曲がっているだけで根っこは承認欲求でしょう。最初に言っておきますが承認欲求は悪ではありません。人間が獣としてではなく、知的生命体として生きる上で必須の欲求です。


 承認欲求は心理学者として超有名なマズローが提唱した、欲求5段階の内で下から4番目。生きるのには必須ではないレベルの高次欲求です。


 第一段階におけるのは食欲、性欲、睡眠欲の三大欲求と生命維持に関わる行動、排泄や呼吸などでこれを満たさない限りは次の欲求を積み上げることが難しくなります。これらの欲は低次欲求とは言われますが、創作のテーマの一つになる程度には重要なものです。しかしながらこれらに障害を持つ人もたくさん居ます。私は仕事により睡眠障害が完全に悪化しましたが、これは今語るべきことではないですね。しかし、こうやって書くことで書きたいことが出てくるというのはエッセイや評論を書く利点かも知れません。何かしらのハンディがあることすら書くことができるのならば創作のテーマたりえます。

 マズローについて語りたいわけではないので詳細は省きますが、欲求のうち悪者にされがちなのが上記の中だと性欲、そして承認欲求ではないでしょうか。


 性欲については、あけすけに開陳させることのできる人もいますが、基本的に恥ずかしいことや忌避感があることでしょう。とはいうものの、小説にはどうしても性的なことを避けることは難しいところがあります。少なくとも成人以降の青年が主人公として登場する物語において性欲の要素を完全に排除することは違和感を覚えます。特に恋愛は先程のマズローの欲求を5段階とも満たす要素があるからです。あ、でも純愛のお話は嫌いではないです。先程の違和感と矛盾していますけどね。

 色んな小説投稿サイトでは青年対象作品投稿が可能ではない限り直接的な性表現はアウトなのですが、行為を詳細に書かなければキャラクターの性交渉については多くの投稿作品で見られます。

 そう、子供や読者に配慮が必要なだけであって、性的なものは悪ではないのです。わかりやすい悪や気に入らない人物、そしてトラブルを描くには性欲に限らずそのキャラの欲を暴走させてやればいいんです。


 話を承認欲求に戻します。

 承認欲求は決して悪ではないのですが自他に与える影響が非常に大きい欲求です。特にコントロールしないと自分に不利益が多くなります。


・しつこい空気を読まない自慢話

・過去の武勇伝を語る(しかも何度も)


 この2つは承認欲求が悪いように現れた例です。どちらも自分が凄いぞ、ということを誇示したいがために出てきた結果です。これらは同じクラスや職場にいた場合に避けようがないので嫌われます。もう聞きたくないよ、評価されてしまいがちです。

 私もまぁ、その話は一度でいいかなって思ってしまいますが過去の成功体験はどうしても話したくなりますよね。そういう意味では前話のバズ話は自慢話に類するものですから不愉快だった人がいるかも知れません。


 承認欲求とは『あなたには価値があります』と誰かに認めてもらいたい気持ちなので不足すると精神的に不安定になりがちです。子供は親から無条件の承認、つまりは愛を受けるべきなのですが、足りていなくて成長してから悪影響を及ぼす例も多いです。価値を示さずとも認めてくれる家族や友人の存在は本当に重要です。家族に恵まれずに承認欲求が満たされていない方がこれを見ている人の中にもいるかも知れませんが、もしそうならば良き出会いに恵まれることを切に願います。


 創作とは物を創り、見てもらい、評価される。これは承認欲求を満たすことの出来る趣味として最高のものだと思います。作者の方の中にはただ単に書かずにはいられないという書くこと自体が好きな人もいるでしょうが、それに対して『価値があります』と宣言されることが嬉しくないはずがないですよね。自慢話や武勇伝も文章としてノンフィクション作品にして公表してしまえばそれも物語です。学校や職場のように押し付けでもないので嫌がられることもないでしょう。そのままでは大抵は読まれないという欠点はあるものの。

 文章のテクニックについては書いて鍛えるしかないのでしょうね。私も上手い文章が書けるわけでもなし、ユーモアやセンスにも自信がないです。私の文章をまだ読める物と思っていただけるのならば、それは社会人になってから鍛えられたからでしょう。学生時代の作文やメール、論文を見返すと控えめに言って切腹したくなります。それくらいには変化があったということで喜ぶべきことなんでしょうが……過去に向き合う勇気もまた必要です。


 今、上手くなくても書き続ければそれは無駄にはなりません。大事なことは積み上げることです。書いて発表して評価をされてください。カクヨムはその場として非常に優れています。昔はそういうものはクラブやサークルに参加するか、コミケに参加するくらいしか無かったのです。ハードルが高くて飛ぼうとすら思わなかったですが、勿体ないと思うと共に書きたいと思ったのならばとにかく筆を取って書いたら良かったのでは、と思います。中高生くらいの時は少なくとも小説を書きたかったのですから。積み上げなかった罪、とでもいいましょうか。逆に当時でしか創れなかったものがあったように思います。


 創作に遅すぎる、早すぎるはないです。歳は関係ありません。作家デビューが10代である天才作家もいれば、40代、50代でデビューする遅咲きと言われる作家も沢山います。執筆や発表することが簡単になった今ならば70代以降デビューの作家も珍しくなくなるのではないでしょうか。歳を気にして発表しない、というのは勿体ないと思います。


 次回、『続けること』についての考えを書いてみます。

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