第8話 そばにいて

「建志、お前が寝ている間、屋城さんと話したんだが、しばらく家に戻るか、屋城さんの所に世話にならないか?」

兄の提案を俺は呆然と聞いている。

「そうだ。何も気兼ねする必要はない。それに、来週から夜勤に回るんだ。俺も現場に入る。だから、俺のところに来れば一緒に通勤もできる」

「・・・すみません。それは、出来ないです」

「何故?」

「俺は、あの家に帰りたいんです」

俺の返事にやっさんはため息を吐き、兄は怒りでワナワナと肩を振るわせる。

「いつも言っているだろ!お前の事を心配している人の気持ちも少しは汲んでくれと!せめて、あの日が過ぎるまででいいんだ。俺は心配なんだよ。お前、年々ひどくなっているじゃないか・・・お前は、俺の大事な家族で、弟だ。

今回も屋城さんが気を止めてくれて家に行ってなかったらどうなっていた事か・・・」

最後は力無く話す兄に、俺は小さくごめんと呟いた。

「でも、行けないんだ。ずっと寂しかったあの家に、今は大事な物があるから・・・」

俺はそういうと、そばでまだ泣き続けている瞬太へと視線を向ける。

「だから、今はあの家を離れたくない」

「お前・・・だったら、俺か屋城さんに毎日連絡を入れろ。たった一言でいいから、無事だと知らせてくれ。それが約束できなければ、無理矢理にでも家に連れ帰る」

「あぁ。約束する」

「それから、お金を受け取ったと連絡が入った。もう送らなくていいと言ってはいたが、お前はやめる気はないんだろ?」

「・・・やめない」

力強く返答すると、兄は大きなため息を吐いて片手で頭を掻きむしる。

すると、ずっと黙っていたやっさんが言葉をかける。

「お前の決意は尊重する。だが、お前もそろそろ自分の人生を考えるべきだ。今のお前はいつでも消えて構わないという考えの元で、ただただ罪を背負っている。そんな風に生きてはダメだ。そんな風に生き続けて、もし、彼が回復してその後の人生を歩み始めた時、お前は絶対に壊れる」

やっさんの言葉に俺は黙り込む。

「そんな生き方は誰も幸せになれない。お前はまた、周りを悲しませたという新たな罪を被るだけだ。永遠に罪から逃れられない。なぁ、建志。お前の人生はまだまだ長い。彼の人生も・・・少しでいいから、自分の人生を生きてみろ」

自分の人生・・・俺の未来・・・そう言われても、何も浮かばない。

俺の人生はあの日で止まってしまったんだ。

もう顔も思い出せない彼も、あの日で止まったままだ。

それなのに、俺だけが歩き始める事はできない。

何も言い返さなくて黙り込んだまま、瞬太へと視線を向けると、いつの間にか瞬太の姿はそこになかった。

話を聞いて何かを思ったのか、瞬太はそこにいなかった。

それが、とてつもなく俺を不安にさせた。


一日だけ入院した俺は、兄に自宅へと送ってもらう。

あれから一度も姿を現さない瞬太が心配で、俺は気が気じゃなかった。

兄が車を止めたと同時に、部屋へと走り出す。

震える手で鍵を開けると、昔と同じ誰も待つことのない静かで暗い光景がそこにはあった。

瞬太が消えた・・・・。

その事実が、俺を深い悲しみへと落としていく。

後ろから慌ててかけてくる兄にどうしたのかと尋ねられるが、俺は言葉を発すること無く、その場に崩れ落ちた。


その夜、泊まっていくという兄に1人で大丈夫だと返し、兄を帰した。

念の為、今週は休んで夜勤に備えろとやっさんから言われた俺は、ぼんやりと急にできた休日をどう過ごそうかと考える。

いつもなら、瞬太があれをしよう、これをしようと休日の過ごし方を提案してくるが、今、瞬太はいない・・・。

前の俺は休日は何をしていたのかも思い出せない。

毎日ただ働いて、家に帰って寝る・・・そんな暮らしをしてた俺には、何をどうしたらいいのかさえわからない。

俺はベットに寝転ぶと、冷えた布団に体を入れる。

こんなに冷たかったのか・・・・そんな事さえ、今更気付く。

身を縮めながら、空いた隣を手で摩る。

視界がだんだんぼやけてきて、自分が泣いていることを知る。

瞬太は消えてしまったのだろうか・・・どうして、ここにいないのか・・・話を聞いて俺に幻滅したのか?

そんな考えばかりが頭を駆け巡る。

帰ってきて欲しい・・・まだ、逝かないで欲しい・・・そばに、そばにいて欲しい・・・虚しい願いだけが、心に残った。

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