10 絶望する
「ぐッ!?」
「離れなさいこのド変態!!」
「なんッ――ぐえッ」
投げつけた椅子は、見事に男の顔面に直撃した。
一人が倒れている間に、もう一人の男に突進しながら足を掴み、そのまま床にたたきつける。男の顔が苦痛に歪む。
「このガキッ――」
「ああ!? 誰がガキですって!? 私は、フレア、ローズ、イグニスよ!! フレア様とッ、お呼びなさいこのクソ変態がッ!!!」
「ぐわあああ!?」
フレアが両手に思いきり力を込めると、腕の中でボキボキと骨の折れる音がした。暗殺者ならば多少の痛みには慣れているだろうが、さすがに複雑骨折は耐えられなかったらしい。追い打ちをかけるように、立ち上がりながら股間を踏みつけ、それがトドメとなった。
男は蛙の潰れるような音を出して、動かなくなった。
「このバケもん!!」
椅子を顔面に食らっていたもう一人が、フレアを罵りながらナイフを振りかざす。
この暗殺者、歴は案外浅いのかもしれない。遅いし隙がありすぎる。フレアは足下でピクピクしている暗殺者を掴み、もう一人に思いきり投げつけた。
「ぐえええ!?」
男たちは揃って壁に叩きつけられ、ずるずると崩れ落ちていった。もう一人の男も失神したらしい。
意外に弱っちいものだと、フレアは鼻で笑った。
「んー……」
パッと振り返ると、ソフィアが丸い目でこちらを見上げている。
「大丈夫? 怪我はないわけ?」
慌てて駆け寄り、口に噛まされていた布を外すと、ソフィアは「ぷはっ」と息をした。
手足の縄も引き千切る。どうやら怪我はなさそうで、フレアはほっと胸を撫で下ろした。
ソフィアは涙で濡れた目をフレアに向けた。
「あ、ありがとう、ございます。何てお礼を言ったら……」
「やめてよ。貴方にお礼なんて言われたくない。さっさとここを離れるわよ。見てよこれ、油でぬるぬるでほんと最悪――」
その時、バタバタと階段を駆け上がる音がした。ルカたちが騒ぎに気づいて助けに来たのだろう。
フレアは咄嗟に窓の方へ走っていった。
「フレア様!?」
「いい? 私の事は口が裂けても言わないでよね!!」
それだけ言い残し、フレアは窓から外へ飛び降りた。直後、「お母様! 大丈夫ですか!?」「一体何が――この男たちは――――」頭上でルカたちの声が聞こえる。
フレアは受け身を取りながら地面に転がった。受け身なんて生まれ変わってから一度も取ったことはないはずだが、前世の記憶があったおかげだろう、我ながら美しい受け身だった。その代わり、ドレスは泥だらけになってしまったが。
フレアは「あーもう」と、ドレスの泥を見下ろして、うんざりとため息を吐いた。
運命は変わった。
ソフィアとその子は生き延びる。
この事がこの先、どんな風に小説を変えていくのかはわからない。
元々小説の内容をそこまではっきり覚えている訳ではないから、どんな風に変わろうが結局フレアの手には負えないかもしれないが。
「私の首だけは締めないでよ……!」
泥を払い、立ち上がった。よろよろと屋敷から離れようとした時だった。
「フレアああああああああ!! 貴様そこで何をしている!?」
怒号が響き渡った。思わずビクついて振り返ると、髪色みたいに顔を真っ赤にしたイグニス公爵が、馬車から飛び降りてどすどすとこちらに走ってくる。
地獄の閻魔。
そんな言葉がふっと脳裏に浮かんで、冗談じゃないと頭を振る。
フレアは何でもないというように平然を装い、公爵を見上げた。
「な、何でしょう? 何をそんなに慌てて――」
「貴様今ソフィアの部屋から飛び降りただろう!?」
「え? そう? そう見えました? 勘違いじゃないです?」
「勘違いな訳あるか!! そのドレスの泥は何だ!? 貴様一体何を企んでいる!?」
「いや、別に何も企んではないです、けど――」
その時、窓からソフィアが顔を覗かせた。
「フェ、フェルド!? 何をして――うっ」
ソフィアの顔が奥に引っ込む。ルカたちの悲鳴が聞こえる。
「お母様!?」
「だ、だだ、大丈夫すか!?」
(え? 何? もしかして陣痛、始まっちゃった?)
まさかね、と思いながら、フレアの額から嫌な汗が流れた。
イグニス公爵は「ソソソソフィア!?」と素っ頓狂な声で彼女の名前を呼びながら、あっという間に屋敷の中に飛び込んでいく。
この間に逃げてもいいが、それはそれで後々面倒なことになりそうだ。フレアは冷や汗を流しながら必死で頭を回転させたが、うまくまとまらない。
そうこうしているうちに、公爵が「医者を呼べ!!」とあの二人組を腕に抱えながら出てきて、辺りは騒然となった。彼は捕縛した二人組を騎士に任せると、真っ赤な髪をぐしゃぐしゃ掻きむしりながら、フレアに近づいてきた。今にも人を殺しそうな顔をしている。
「説明しろ。あの二人組は何だ。貴様はここで何をしていた」
「説明しろも何も、私は別に何もしてないし関係ないですけど……」
「関係ないわけないだろう! お前があの二人組を雇ったんじゃないのか!?」
「え?」
「だがあの二人組が仲間割れか何かを起こしてああなって、お前は慌てて逃げ出したんだ! そうだろう!?」
「私がそんなことする訳ないでしょ!? 言いがかりも大概にしてくれません!?」
「じゃあどうしてここにいる!? ソフィアの部屋で何をやっていた!?」
「そ、それは……」
そもそもの発端は、小説の内容を思い出したことだ。
公爵とソフィアの死の原因を探るために、何となくこの屋敷に来て、そしてさっきの現場に遭遇した。
今思えば、裏口の鍵が開いていたのも、あの二人組が外していたのかもしれない。
(てなると侵入経路まであの二人組と一緒!? 私が助けたことはソフィア以外知らないしソフィアはソフィアで今大変な時だし! どうしよう、怪しすぎる!)
詰んだ。
部屋の窓から飛び降りたことも、どんなに頑張って説明したところで怪しまれる未来しか見えない。
こんな事になるなら、常日頃からソフィアの屋敷を訪れていればよかったのか? いや、それはフレアのプライドが許さない。
こんなところ、来なければよかった。公爵が死ぬかもしれないからそれを阻止しようと、もしうまくいけば今度こそ愛してくれるかもしれないと、闇雲に動いたのがよくなかった。何もしなければよかったのだ。
まさか犯人扱いされることになるなんて。
「説明できないのか? 認めるんだな? お前が全て仕組んだことだと!」
「やってないってば! 私は、ただ、その……」
その時、ポケットにロケットペンダントを入れていたことに気づいた。
川辺で拾った、ルカのペンダントである。フレアはパッと閃いた。
「これです! ペンダント! 川辺で拾って、それで、ルカのものだってわかったから、届けに来たんです!」
「何……?」
「そ、そしたらたまたまあの二人組に遭遇しちゃって、びっくりして逃げ出したところだったんです! それだけです!」
我ながらまだまともな理由だろう。ルカに渡そうと思っていたのも嘘ではない。
公爵はフレアからペンダントを受け取ると、じっくりと時間をかけてそれを調べた。やがて、「確かに、ルカのもので間違いない」と認めた。
これで犯人扱いは免れるだろう。フレアがそう確信した直後
「……まさか、ここまで性根が腐っているとはな」
低い唸り声のようなものが、公爵の喉から絞り出された。
聞き間違いかと瞬きしたフレアに、公爵は再び鬼のような顔を向けた。
「拾ったなんて嘘を吐いて、本当はお前が盗んだんだろう!!」
「は……?」
「ルカを嫌っているお前が、わざわざルカのために落とし物なんて届けに来るか? 天地がひっくり返ってもあり得ないだろうが!! 俺は騙されないぞ!!」
フレアは呆然とした。まさかここまで信用して貰えないとは思わなかった。
自分は、公爵の実の娘のはずなのに。
「これは、ソフィアがルカの誕生日に贈ったものだ。ソフィアにとってもルカにとっても、大切な大切な宝物なんだぞ。それを、貴様は――――……!!」
「だから盗んでないってば!! 言いがかりもほんと大概に――――!」
しろ、と言おうとして、言えなかった。
「ッ!?」
直後、爆音と共に焼き切れるような痛みが全身に走った。
体が言うことを聞かない。
フレアは悲鳴を上げることもできず、その場に膝をついた。
この期に及んで罪を認めなかったことが彼の逆鱗に触れたのか。何が悪かったのは、結局よくわからない。ただ、聖騎士の一人である公爵の特殊能力『放電能力』によって、特大級の雷を落とされたのは、確かだった。
薄れ行く意識の中で、公爵の声が聞こえる。
「母親と同じだ。どうせこうなるとわかっていた。邪悪な娘め! あの時、お前の母親がソフィアに暴漢を――――。そのせいで、そのせいで彼女は……ソフィアは……――――!!」
そこで、ぷつ、と完全に意識が途切れた。
真っ暗闇の中、フレアは母のことを考えていた。
彼女のことは、あまり覚えていない。フレアが三歳の頃に亡くなった。
母について知っていることは、全てイグニス家の親類たちが話しているのを聞いて知ったことばかりだ。
母は、どこか遠くの国の令嬢で、パーティーの日にイグニス公爵に一目惚れしたらしい。
けれど、その時イグニス公爵には、すでに婚約者がいた。それがソフィアだった。
母にとって、ソフィアは邪魔な存在だった。だから二人の婚約を破談にするために、暴漢を差し向け、ソフィアを襲わせた――……。
証拠はない。
けれど、イグニス家の者は皆その話を信じている。事実、公爵とソフィアの婚約はその事件によって破談となり、結果的に公爵は母と結婚することになった。遠い異国の、圧力もあったらしい。
(お母様は、それで幸せだった……?)
フレアには、どうしてもわからない。
結婚はできたけれど、愛は得られなかった。公爵は、今も母の事を憎んでいる。墓参りすらしない程。それに母に瓜二つなフレアの事も、同じように憎んでいる。せめて一つでも、公爵に似ているところがあったら、愛してくれたのだろうか? ……いや、母の娘であるという時点で、きっと公爵は、フレアの事も憎み続けるのだろう。
フレアが何をしたって、彼がフレアを愛してくれることはない。
(どうして、私は生まれたの?)
せめて母親には愛されていたのだろうか? フレアには、それすらわからない。
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