6 気づく
騒いでいたのは、イグニス家の分家の子たちだった。
一番騒がしいのが、カノン・ローズ・イグニス。鮮やかな真っ赤な髪に、溌剌とした表情が印象的な少年だ。年は十二。父親はイグニス公爵の従兄弟に当たる。
その隣でうんざりとため息を吐いているのは、ルベル・イグニス。イグニス家の名を賜った臣下の家の子で、年はやはり十二。明るい髪色の多いイグニス家には珍しく、髪は灰色、瞳の色も灰褐色で、その表情は暗い。
カノンとルベルは、性格が正反対であるにも関わらず、仲が良く、いつも一緒にいるのはイグニス家では有名な話だった。
そしてこの二人に絡まれ、汗だくでその場にへたり込んでいる少年は――……
「ちょ、ちょっとだけ、休憩してもいい……?」
ルカ・ローズ・イグニス。ソフィアの連れ子であり、公爵の愛情を一身に受ける少年。
母親とよく似た顔立ち、赤みがかった茶髪に、明るいオレンジ色の瞳。女の子に見紛うような、可愛らしい顔立ちの男の子だった。
何もかも与えられ、恵まれている子だ。愛情の話だけではない、彼は聖騎士の一人でもあった。
イグニス家には聖騎士が三人いる。一人はイグニス公爵、一人はフレア、そして最近になって発現したのが、ルカ。彼は起爆能力を有していた。よりにもよって愛人の連れ子が、自分と同じ聖騎士。その事実は、フレアのプライドをいたく傷つけた。
フレアは声を掛けず、三人の様子を木陰から見ていた。
今ルカに話しかけたら、苛立ちのあまり彼を燃やしてしまいかねない。あの気弱そうな様子、ソフィアによく似た顔が、フレアは心底嫌いだった。
「ほら、ルカもこう言ってるだろ。カノン、お前もそろそろ休憩しろ」
「仕方ねえなー」
「カノンはすごいな、ほんと……」
「ルカだってだんだん体力ついてきたじゃねえか! 根性あるよな」
ルベルが水を回し、カノンががぶ飲みし、ルカもちびちび飲んでいる。
どうやら、筋トレだか鍛錬だかをしていたらしい。三人とも仲の良い様子だった。どこからどう見ても、普通の友達だ。
フレアは「おかしい」と呟いた。実はフレア、ルカ憎しのあまり、同じイグニス家ではあるものの自分より身分の低いカノンとルベルに、ルカを虐めるよう命令していたのだ。
それがどうして三人で、仲良しこよしをしているのか?
まるで裏切られたような気分だった。
「ところでルカ、お母上の体調はどうだ? この前崩されたと聞いたが……」
ルベルの問いに、ルカは元気よく頷いた。
「うん、今はすごく元気だよ」
「そうか」
「よかったな! もうすぐ生まれるんだろ? 俺兄弟いねえから羨ましいな~」
ルカは当然だが、どうやら皆、ソフィアの妊娠を知っていたらしい。知らなかったのはフレアだけということだ。それだけではない。
「フレア様の嫉妬がまた大変なことになるだろうな。知らないんだろう? あの方は」
「うん。公爵様が、言うなって」
「なんでフレア様には言っちゃだめなんだ? よくわかんねえな」
「だから嫉妬が酷いって言ってるだろ」
「え~? フレア様ってルカのこと気に掛けてるじゃん」
カノンは首を傾げ、ルベルは「どこをどう見たらそうなるんだ」と呆れ顔だ。正直フレアも呆れていた。あの様子、カノンはフレアの命令を完全に忘れている。
ルベルは続けた。
「フレア様は聖騎士の風上にも置けない。イグニス家の者は皆そう言ってる。我が儘放題で傲慢で、発火能力を使って侍女やルカを何度も脅してる。そうだろ、ルカ」
フレアはピクリと眉を上げた。イグニス家の親戚連中が、自分のことをよく思っていないのは彼女自身よく知っている。彼らはイグニス公爵の味方であり、フレアにとっては敵だった。
「まあ、でも、フレア様の火って、そんなに……その、酷い思いをしたことはないよ?」
「火を付けられて平気だって言うのか? いくら起爆の聖騎士だからって、効かない訳はないだろ」
「それはそうだけど、彼女の火は、あんまり……いや、うーん、何でもない」
ルカは何か言い淀んだまま、結局何も言わなかった。
一方脳天気なカノンは、脳天気に目をキラキラさせた。
「フレア様の火ってすげえ格好良いよな!! 黄金でさ、ぶわーって燃え上がるんだ。ぶわーって! あれ剣に巻き付けて炎の剣とかできねえのかな? 絶対めちゃくちゃ格好良いよな! できるなら俺も使ってみてえ!」
「お前はそればっかりだな」
ルベルは他の親戚連中と同じ。カノンはただ聖騎士というものに憧れがあって、ルカは気弱故にフレアのことを酷く言えない。大体そういうところだろう。
「て言うか、もうこんな時間か……」
おもむろに懐中時計を取りだしたルベルが、小さくため息を吐く。
「何か予定か?」
「家庭教師が来る時間だろ。カノン、お前もだぞ」
「あー……帝王学か? あの先生苦手なんだよなー……」
「苦手とか苦手じゃないとか関係ないだろ。まさかお前、また授業サボるつもりか?」
「ルベルは真面目過ぎんだって」
「サボろうとしても無駄だぞ! 旦那様と奥様に頼まれてるんだ。お前を絶対に逃がすなと」
鬼のような顔のルベルが、嫌がるカノンの腕を掴み引っ張って行く。
ルカは困った様子で「まあまあ」と言いながら、二人と一緒に小川を離れていった。
臣下の家の子のルベルにとって、カノンの家はずっと格上だ。カノンの両親に頼まれれば、ルベルは喜んでそれに従うだろう。しかしそれでどうしてカノン本人に対してはあんなにキツい言い方ができるのか、カノンはどうしてそれを許しているのか、フレアには到底理解できそうになかった。
フレアは誰もいなくなったことを確認してから、小川の傍に座った。
じっと水面を見つめて考え事をしていると、視界の端で何かがキラッと光った。水面の光かと思ったが、違う。どうにも気になって立ち上がり、手を伸ばして小川の水を掬う。何度かそうしていると、何か硬いものが指に触れた。
「……ペンダント?」
金色の、丸いペンダントだった。掌にすっぽり収まるくらいのサイズ。表面には赤い薔薇の文様が刻まれている。
ぺたぺた触っていると、カチッと音がして、チャームが開いた。中に絵や写真を入れられるようになっているらしい。
「一体誰の――」
フレアはハッと息を飲んだ。チャームの内側に、名前が彫られてあったのだ。
「ルカ」
思わずペンダントを放り投げそうになる。どうやらルカが落としていったらしい。
恐らく公爵か、それとも母親からのプレゼントだろう。名前入りの、心のこもったプレゼント。黒々とした嫉妬の炎が、腹の底から込み上げる。
フレアは、今まで一度だってこんなものをもらったことがなかった。一度だって。
ドレスも宝石も、必要なものは何でも持っている。飢えた事もない。けれど、特別なものは何一つ持っていない。
フレアは、ぎゅっとペンダントを握り締めた。
これから、ルカは本邸で暮らし始めるのだろう。大好きな母親と、自分を愛してくれる公爵、それに弟か妹と一緒に。カノンやルベルのような友達もいる。
何不自由なく暮らして、小説の世界では、つまりたった六年後には、彼はイグニス公爵となっているのだ。
起爆の聖騎士だし、公爵の義理の息子となる訳だから、資格としては充分。
フレアはゆっくりと小説の内容を思い出しながら歯噛みした。あんな弱虫が、たった六年後には誰からも崇められる存在になるというのだからこれほど悔しいことは――……
(あれ……?)
フレアは首を傾げた。
おかしい。
思い出した記憶に誤りはないはずだが、それはおかしな話だった。
たった六年後、つまりその時ルカは十八歳。イグニス公爵はまだ四十代。公爵位を継がせるには早すぎる。爵位の生前譲渡は法的には認められているが、特別な事情でもない限りまずあり得ない。
ほとんどの場合、爵位は先代の死によって受け継がれる。
『このペンダントを見る度、僕は責められているように思うんです。どうして、お前だけが生きのびたんだ、って。お前さえ、生まれて来なければ――……』
その時、脳裏に、とあるセリフが浮かんだ。
小説の中の一場面だ。主人公のサクラが、傷ついたイグニス公爵にそっと寄り添う。小説の中でのイグニス公爵――つまり、ルカに。
『公爵、そんなことはありません。誰も貴方を責めていない』
『でも、僕は……僕は、穢れた子だ。生まれるべきじゃなかった。なのに……僕以外、皆死んでしまった!』
悲痛な叫びだった。恋愛小説と聞いていたのにどうにも重たい話で、これを読みながら、前世の自分は、ぎゅっと胸を締め付けられるようだったのを覚えている。
「ちょっと待って。皆死んだってつまり……お父様は、死ぬということ? 六年以内に?」
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