7 【フェルド】苛立つ



 フェルド・ローズ・イグニス公爵は苛立っていた。


 今日は記念すべき日になる予定だった。


 愛するソフィアを屋敷に招き、ようやく共に過ごすことのできる、素晴らしい始まりの日になるはずだったのだ。




 それが台無しだ。馬鹿娘のフレアの所為で。




「ソフィア、考え直してくれ。もう君の部屋も用意してあるんだ。君も気に入ってくれたじゃないか。決して不自由はさせない。だから――」


「でも、フレア様には何も説明していなかったのでしょう? 今日からここで暮らすということも、私の妊娠も、何もきちんと。ちゃんとお伝えしてくださいと、私は何度も言っていたのに」


「そ、それは……」




 ソフィアは元々イグニス家の分家の娘だ。


 彼女が暮らしている屋敷は両親から譲り受けたもので、ここから程近く、場所としては問題ないのだが、立て付け等には大いに問題がある。つまりあまりに粗末である。しかもそんな屋敷に、ルカとたった一人の腰の曲がったお手伝いさんと、三人きりで暮らしているのだ。


 慎ましやかな彼女はそれでよしとしているようだが、イグニス公爵にとって、それは我慢のならない事だった。


 ソフィアはもっと丁重に扱われるべき女性だ。それにルカだって、イグニス家に三人しかいない聖騎士の一人。馬鹿娘のフレアよりよほど賢く心優しい少年だというのに、それがどうして、庶民が暮らすようなあんなボロ屋敷に、肩身の狭い思いをして暮らさなければならないのか。




 もう何年も前からずっと、二人を一刻も早く自分の屋敷に住まわせて、面倒を見て、何不自由ない生活を与えたいと考えていた。


 だから着々と準備を重ね、今日この日から、この屋敷で一緒に暮らす予定だったのだ。屋敷には医者も常駐させているし、お腹の子に何かあってもすぐに対処できる。




 なのに、ソフィアは自分の屋敷に帰ると言い出し、馬車に乗り込んでしまったのだ。


 イグニス公爵は狼狽し、彼女を追って馬車に乗り込み、戻るよう必死で説得している。




「フレアには何を言っても無駄なんだ! だから決定事項だと、この日に言うしかなかった!」


「そんな馬鹿な。もっと他に方法はあったはずです。フレア様の許可が得られるまで、私はあそこで暮らす訳にはまいりません」


「ソフィア……!」


「ましてや、フレア様を別邸に住まわせるなんて……追い出すなんて、何を考えているのですか。そんな残酷なこと、私は承諾しかねます」




 イグニス公爵が何を言っても、ソフィアは首を縦に振らなかった。


 彼女は穏やかに見えて少し強情なところもあって、それが公爵にとっては常々より好ましく映っていたものだが、今日ばかりは困り果ててしまった。




 ソフィアがどうしてこんなにフレアの肩なんて持つのか、彼には理解ができない。


 フレアは我が儘で、浅はかで、聖騎士なんてものになってしまったのが何かの間違いとしか思えない、邪悪な娘だ。


 イグニス公爵にとってはずっとそうだった。あの娘を愛しいと思ったことなど、ただの一度もないと胸を張って言える。




 これからもしあの娘がソフィアと暮らすことになれば、一体どんな嫌がらせを彼女にするかわからない。ルカにも、これから生まれてくる子どもにも悪影響を及ぼすだろう。


 公爵には使命があった。ソフィアたちを、あの邪悪なものから守らねばならないという、使命が。




「ソフィア、頼むから考え直してくれ。フレアの事など忘れろ。君はわかっていないんだ。あの娘が、どれだけ――」


「貴方は、まだイザベラ様を憎んでいるのですか」




 急に図星を突かれ、イグニス公爵は言葉に詰まった。ソフィアは小さく息を吐いた。




「あの御方が企んだこととは、思えません。私には」


「…………あの女がやったに決まっている」


「何の証拠もございません。私は、そうは思いません」


「君は騙されているんだ! あの女の所為で君は……‼」


「もし、仮にそうだとしても、フレア様には何の関係もないでしょう」




 真摯な瞳に見つめられ、イグニス公爵は今度こそ顔を逸らした。


 お願いです、と言いながら、ソフィアは強張った彼の手を、柔らかな手でそっと包んだ。




「フレア様は貴方の娘でもあるのです。どうか、彼女と向き合ってください。フレア様にとって、父親は貴方だけなのです」


「…………」




 公爵は答えられなかった。ソフィアの頼みならば何でも二つ返事で聞いてきた公爵だが、フレアの事となると話は別だ。




 ソフィアは悲しそうに表情を曇らせ、丁度その時、馬車が停まった。


 公爵は渋々扉を開け、彼女に手を差し出した。ソフィアはゆっくりと馬車を降りて、自分の屋敷へ入っていった。


 公爵はその背中が見えなくなるまでそこに佇んだ後、すごすごと馬車に戻り、来た道を戻っていった。


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