第282話 心に秘めた想い

 ペトラとの密会を終えた翌朝、


 いつものように北郊の森で、三姫が茶会をひらく。



 ――やれることは、やり終えた。



 という想いは3人の間で共有されており、涼しい朝を、いつになく静かに過ごした。


 ロマナが、ふふっと笑った。



「結局、ペトラ殿下のお気持ちは、わたしにはさっぱり分からなかったわ」



 ロマナを見たアイカも、ちいさくうなずいた。



 ――王の血をあがなうために、私は討たれねばならぬ。



 という言葉に、ペトラの情念を感じることはなかった。


 かたい決意のようなものは揺さぶることが出来たと信じたいが、気持ちの奥底にまで届いているのか、それは三姫ともが、確信にまでは至らない。


 ただし、気持ちも心の働きも解らないが、



 ――きっと、王都を脱出してくれる。



 ということだけは、信じられた。



 ロマナは、飲み終えたティーカップの縁を、指でツーッとなぞった。



「やっぱり、ペトラ殿下が偉大であられるってことなのかしら?」


「う~ん、……ペトラ殿下が、ご自身でお認めになることはないかもしれないが……」



 と、王宮を見あげたままのリティアが、つぶやくように口をひらいた。


 逡巡するように眉を寄せたリティア。



「サミュエルとやらに、……惚れたのだろうな」


「……え? そんなことある?」


「ご本人とて、分かっておられるかどうか怪しいがな……。形はどうあれ、1年近い間、夫婦として過ごし、ともに王都の治政を担ったのだ」


「ますます分からないわね」



 と、ロマナは考えるのを諦めたように、空を見あげた。


 リティアはペトラの複雑な心中を思いやり、戦友を慕うような微かな笑みを浮かべた。



「……だから、ペトラ殿下がを出されたとしても、われらは黙って受け入れよう」


「ええ、そうね……。誰にも真似できないことを、やってのけられたのだから」


「壮絶……、の一語だな」



 と、リティアはふたたび王宮を見上げた。



「なにを置いてもまずは、陛下、カリストス叔父上、バシリオス兄上、ルカス兄上、わたし、それにロザリー、サラナ、その他大勢の王族と侍女が分担して受け持っていた王都の治政を、ほぼひとりで回されたのだ。それもリーヤボルク兵との調整を図りながら。……想像を絶する手腕と責任感だ」


「……ほんとうですね」



 と、アイカの眉は寄り、自然と唇がまえに突き出る。


 ザノクリフの王都ザノヴァルの治政にしても、主要太守5公と中堅太守22公が合議によって、分担して受け持ってくれていた。


 あれを一人でやれと言われても、そうそう出来るものではない。


 想像を絶するというリティアの言葉の意味が、身に染みて分かる。


 リティアは淡々とした口調で続けた。



「……父親であるルカス兄上を誑かして王都を壟断し、ご自身の純潔をも汚したサミュエルを、当然、憎んでおられただろうが、その過酷な状況をともに乗り越えた……、戦友でもある」



 いまいち釈然としない笑みを浮かべるロマナに、


 リティアはいつもの悪戯っぽい笑顔を向けた。



「ロマナ。お前も、はやく結婚しろ、結婚!」


「はあぁぁ!? なんで、そんな話になるのよ?」


「サヴィアス兄とは、もう婚約したのか?」


「ま、まだ王都に着いてもないわよっ! ……もうすぐ着くと思うけど」


「なんだ、ロマナ。文ではなく、ちゃんと会って、直接プロポーズしたかったのか? 可愛いところあるじゃないか」


「バ、バカ! ……そんなんじゃないわよ」



 と、口では毒づくロマナであったが、


 ウラニアを通じて、まだ自分との結婚の意志があるか、サヴィアスに確認してもらっていた。


 サヴィアスは、盛大に自己否定の言葉を繰り返したが、



「……ロマナ殿が、わたしで良いと思ってくれるのなら」



 との言葉が、ロマナに伝えられていた。


 しかし、いまそれをリティアとアイカに言えば、どれだけイジられるか分かったものではない。


 しっかり話がまとまるまで黙っておこうと、ロマナは堅く心に決めていた。



   *



 茶会を終えたリティアが本陣に戻ると、懐かしい顔があった。



「ヨルダナ叔母上!」


「お久しゅうございます。リティア殿下のご威名はプシャンの砂漠を超え、遠くルーファにも鳴り響いております」



 と、変わらぬ無表情フェイスでお辞儀したのは、リティアの母エメーウの妹、ヨルダナであった。


 砂漠のオアシス都市ルーファにも、総候参朝への聘問使を招く〈聘書へいしょ〉が、三姫から届いた。


 同様に召喚状を受け取った列候たちも王都周辺に集結し始め、野営をしながら決戦の行方を窺っているが、


 ヨルダナもまた、リティアの幼き婚約者フェティを聘問使に任じる書状を携えて、天幕を訪ねたのであった。



「フェ、フェティを……?」


「祖父である大首長セミールの考えです。リティア殿下との婚約を正式に世に知らしめる、絶好の機会かと」


「……お、大人しく座ってられますかね?」


「ふふっ。そのサポートのために、わたしが遣わされました」


「あ、それは……、助かります」


「あと……、大首長セミールの命により、ルーファから財貨を運ばせていただきました。どうぞ、軍資金として、また総候参朝の開催費用として、ご自由にお使いくださいませ」


「それも助かります! ……正直なところ、わたしが王都から持ち出した財貨は底を突いていたのです!」



 素直に喜ぶリティアにも、ヨルダナの美しい人形のような表情が動くことはない。


 リティアは鼻の頭をかいた。



「……王家の招いた動乱です。こればかりはロマナの西南伯領や、アイカのザノクリフ王国に頼るわけにはいきません。メテピュリアの交易から上がる資金で、どうにか繋いでいたのですが……、いや、ほんとうに助かります!」


「ルーファはリティア殿下を全面的に支持し、持てる限りの力を提供させていただく……と、お約束いたしました。どうぞ、ご遠慮することなく頼ってくださいませ」


「ヨルダナ叔母上」


「はい」


「必ずや王都と王国に平穏を取り戻し、いただいた財貨以上の富を、ルーファが儲けられるようにいたします!」


「ふふっ。それは頼もしいお言葉。……それではルーファは、リティア殿下に投資させていただきますわ」


「はい! ご期待くださいませ!」


「殿下……、いかがですか? 王都は陥とせますか?」


「……まもなく、その結果が出ます」


「結果……」


「わたしたちの楽園を、そのままに取り戻せるのか、それとも灰燼に帰した王都で、最後の総候参朝を開くのか」


「……灰燼に帰せば、どうなさるおつもりですか?」


「アイカにもロマナにも、今は言えませんが……、王国を解体します」


「そのお覚悟が……」


「ええ。テノリア王国は列侯の緩やかな連合体に再編し、王都ヴィアナは、ルーファのような交易都市として再建します。メテピュリアの建設は、そのでもありました。……たとえ灰になっても、ヴィアナが交易の要地であることに変わりはありませんから」


「……そうですわね」


「ですから、ルーファからのは決して無駄にはなりませんよ!?」


「しかし、リティア殿下が無傷で陥落させられたら、それがルーファにとっても一番儲かります」


「ええ、もちろん! 最後の最後まで、わたしが王都を諦めることはありません!」


「……焦れることですわね」



 王都の東に布いたリティアの本陣からは、王宮と大神殿を真正面から見ることができる。


 王宮の玉座は、昇る朝日が照らす東向きに置かれており、太陽が育む生命と再生を象徴している。


 手を伸ばせば触れそうな至近にありながら、なかなか届かない。



 ――しかし、あの玉座を取り戻さなければ、われらの負けだ。



 と、リティアは険しい表情で、遠くて近い王宮を、睨みつけた――。



   *



 リティアの睨む王宮最上階に位置する国王宮殿。


 昨晩はペトラに面会を断られたサミュエルが、ひとり玉座に座り、答えの出ない考えにふけっていた。


 祖国の復興のため、いらなくなった質の悪い兵士を棄てようと、テノリアまで棄兵の軍を率いた。


 数だけは多い軍勢で華々しく戦い、敗れたところで、なにも惜しくはなかった。



 ――結局、王都ヴィアナの莫大な富に目がくらんでおったか。



 いま自分が置かれるのは、想定したこともない状況であった。



 ――どこで間違えたか?



 この問いは、答えを出さないままグルグルと頭のなかを這いずり回る。


 しかし、



 ペトラに出会ったせいだ――、



 という答えに至ることだけは、最初から拒絶していた。


 ふと、人の気配に気が付いて顔を上げると、そのペトラがひとりで立っている。


 手には短剣。


 よく磨き込まれた刃が、サミュエルに向かって鋭い光を放っていた――。

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