第269話 かつてない大戦

 遠くにそびえる王宮を見あげ、悪戯っぽい笑みを浮かべるリティア。



「交易の大路を付け替えます」


「ん? どういうことだ?」



 怪訝な声で応えるステファノスに、リティアが地図を広げた。



「わたしの新都メテピュリアから北西にミトクリアを経て旧都へ。そして、ハラエラを経てコノクリアから西域へ」


「……王都の交易を止めるというのか?」


「付け替えた新しいルートを選ぶ隊商は、おそらく半数程度」


「ふむ……」


「王都の交易を完全に死に絶えさせるつもりはありません。……が、なにせ王都では16万と5万の軍勢が睨みあっているのです。避けたいと考える隊商も出てきます」



 交易の要路を押さえていることは、テノリア王国の繁栄と権力の源泉である。


 聖山戦争を戦ったのは、隊商たちが思い思いのルートで行っていた交易を、大路にまとめるためであったと言っても過言ではない。


 リティアの策は、その大路を分散させることである。


 その意味をよく知るステファノスは、眉を寄せ険しい表情で地図を睨む。


 リティアも真剣な表情で、話しをつづけた。



「付け替えると言っても、あらたに大路を開削するところまではやりません。あくまでも誘導するだけ。それも、われらが王都を制圧するまでの一時的な措置です」


「……なるほど。我慢比べだな」


「その通りです! ……そこで《隊商の束ね》であったバシリオス兄上に仕えた、サラナの知恵を借りたい」



 リティアに眼差しを向けられたサラナは、主君アイカに確認する。


 アイカは無言で力強くうなずいて、承諾の意を伝えた。



 ――王都ヴィアナ、そして王宮を無傷で取り戻したい。



 その想いで三姫は一致している。



「承知いたしました」



 と、サラナが応えると、リティアは自身の侍女長アイシェの肩を抱いた。



「実務はアイシェにやらせる。こう見えて細かなところまでよく気がつく。サラナから助言をもらえれば、鬼に金棒だ」


「かしこまりました」



 サラナとアイシェが互いに頭を下げあうのを、満足げな笑みで見たリティアは、


 今度はステファノスに顔を向ける。



「すでにミトクリア候には先行して準備を始めてもらっております。ステファノス兄上と……」


「ナーシャよ?」



 と、リティアの視線が向いたナーシャが、ふふっと微笑んだ。


 リティアも笑みを返して、



「……ナーシャには、旧都とハラエラでも受け入れの準備を始めていただきたい」


「うむ。早馬を出そう」


「こちらも、そういたしますわ」



 ステファノスとナーシャがうなずくのを見て、リティアの顔はロマナを向いた。



「それから、ロマナ」


「ん? わたしも?」


「もちろんだ。王都から西への大路沿い、フィエラなどは交易量の減少で打撃となる策だ」


「あ、そうか」


「あくまでも動乱が鎮まるまでの一時的な措置だとして、呑ませてくれ」


「……また、面倒なことを」



 と、眉間にしわを寄せながら笑うロマナ。



「頼んだぞ、蹂躙姫さま」


「はいはい、無頼姫さまの仰るとおりにいたしますわよ」


「それから救国姫」


「ま、まっすぐ呼ぶのはやめてくだいよぉ……」



 と、アイカは唇をすぼめた。



「ふふっ。アイラを借りたい」


「……アイラさんを?」


「うむ。隊商を動かせば無頼も動く。その調整にあたってもらいたい。あいにくクレイアは王宮への工作、ゼルフィアは大神殿への工作中だ。ここは、無頼の娘であったアイラにやってもらいたい」


「分かりました。すでに王都内で情報収取にあたってくれていますので、密使を出します」



 王都ヴィアナには三姫の網が幾重にもかかっている。


 まずは《無頼の束ね》であるリティアが握る無頼のネットワーク。


 そしてルーファを通じて懇意にする大隊商メルヴェのネットワーク。


 これらを利用して、元は砂漠の賊だった第六騎士団から、無頼に扮した者たちが王都に潜入し始めている。


 さらには、ロマナの近衛兵アーロンとリアンドラは、《鍛冶の束ね》のネットワークをカリストスの侍女長であったサラリスから引き継いでいた。


 すでにリアンドラは、かつてと同様に商人に扮して王都に潜入している。


 城壁をもたない王都ヴィアナ。


 天空たかくそびえる王宮と大神殿を、あらためて皆で見上げた。


 目をほそめたリティアが、険しい声を発した。



「かつてない大戦おおいくさ、血の流れない大戦おおいくさです。それも短期間で終わらせなければ、交易の血流が止まり、王国は瓦解する。《聖山の大地》は、ふたたび小さな村落が点在するだけの辺境の地に戻りかねない」



 そして、白い歯を見せ、みなを見渡した。



「秋の祝祭。総候参朝をとどこおりなく挙行する。それが、我らの絶対的な命題になります」



   *



 隊商に扮した侍女クレイアは、王宮3階の政庁にいた。


 人払いした応接室で向き合うのは、筆頭書記官オレストである。


 ファウロスの治政下では、雑用係のように扱われていた書記官であったが、今は摂政正妃ペトラのもと、王都の行政を担う主力部隊のひとつに育った。


 文官らしい容貌をしたオレストは、ほそい銀縁をした眼鏡の片側をクッと持ち上げた。



「クレイア殿。お話は分かりました。……しかし、われら書記官は、王都のすべてを把握している訳ではありません」


「承知しております」


「……今の王都は、いくつもの権力が混在している状態です。ペトラ殿下、摂政サミュエル殿下、さらにリーヤボルク兵の中では目まぐるしく権力が入れ替わる状態で安定しません」


「なるほど……」


「……そして、ザイチェミア騎士団。互いに連携のとれないそれらの間で、我ら書記官が右往左往しながら、なんとか調整を図っているのが、実際のところです」


「……ザイチェミア騎士団もですか?」



 オレストは、その知性的な眉をピクリと動かした。


 ザイチェミア騎士団――、


 ルカスを団長に仰ぎ、テノリア王国統治の一角を担ってきた。


 スパラ平原の決戦でヴィアナ騎士団と激突したことで兵の損耗はあったが、いまだ8,000人を擁している。


 オレストは眉をひそめ、声を落とした。



「今さら隠し立てすることでもありませんが……、ペトラ殿下はザイチェミア騎士団万騎兵長のシリル殿を毛嫌いされております」


「……そうなのですね」


「シリル殿は、ルカス陛下がリーヤボルク兵を招き入れることを止めなかった……。ペトラ殿下はそのことが許せないのです」


「……オレスト殿のご苦労がしのばれます」


「いえ。それでもペトラ殿下の手腕を抜きに、いまの王都を維持することは出来ませんでした。我らはその下働きをさせていただいているだけです」



 と、オレストはソファから立ち上がった。



「しかし、リティア殿下たちの大軍に王都が包囲されて以降、ペトラ殿下が政庁にお越しいただくことはマレになりました」


「オレスト殿は……」



 と、クレイアがまっすぐにオレストを見つめた。



「ルカス・リーヤボルク体制の継続をお望みですか?」


「……難しい質問です。正直に申せば、私の心はいまだファウロス陛下にあります」


「心中、お察しいたします。……ならば、質問を変えましょう。オレスト殿は、今の王都をファウロス陛下に誇れますでしょうか?」


「ふふっ。……さすが、上手な言い回しをされる」


「交易が減り、王都を訪れる隊商の数が減れば、無頼が仕事にあぶれます。その多くはメテピュリアに移動させることになります」


「ええ……」


「無頼によって、なんとか維持されていた治安が乱れることも想定しなくてはなりません」



 クレイアはソファに腰かけたまま、淡々と語る。


 オレストは銀縁の眼鏡をはずし、閉じた両目を指でつよく押さえた。



「……分かりました。書記官すべての意志を統一することは無理にせよ、少なくとも私は、リティア殿下の指揮下に入りましょう」


「ご決断に感謝いたします」



 リティアの調略の手が、じわりと王宮の中にまで忍び入る。


 最後は武力を用いざるを得ないかもしれない。


 しかし、それまでに出来るかぎりリーヤボルクの力を削いでおく。


 その日のために、クレイアをはじめとした侍女たちの暗躍がつづく――。

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