第270話 やらしいわね

 王都北郊の森。


 三姫が毎朝ひらく茶会で、ロマナが眉をひそめた。



「……娼館?」


「そうだ」


「なによ……、やらしいわね」


「無頼姫なもんでな」



 と、悪戯っぽく笑うリティア。


 アイカは素知らぬ顔をして、お茶を飲んでいる。


 妓館とも呼ばれる、女性たちが春をひさぐ王都の娼館は《無頼の束ね》たるリティアの管轄下にあった。


 アイカも王都でのリティアの侍女時代には、娼婦たちと多少の接触があった。



 ――みなさん、おキレイでした。



 しかし、列候筆頭たる西南伯ヴール候の公女として育ったロマナには免疫がない。


 眉をしかめて、ほほを赤くした。



「だが、ロマナ。リーヤボルクの蛮兵どもにとって娼館の存在は大きい」


「……そうなんでしょうね」


「王都の治安が維持できているのに、娼婦たちの働きを認めない訳にはいかないほどだ」


「それで、その娼館をどうしようっていうのよ?」


「すべてメテピュリアに移転させる。そのための用地も確保してある」


「もう……、《無頼の束ね》の権限ってことでしょ? 勝手にしたらいいじゃない。なんで、わたしにまで聞かせるのよ?」



 ロマナが、そっぽを向くと、リティアは苦笑いした。



「蹂躙姫様が初心なのはよく分かったから、話は最後まで聞いてくれんか?」


「……なによ」


「娼婦が王都から去れば、付いて行くリーヤボルク兵が出てくる。それも、結構な数になるはずだ」



 王都にリーヤボルク兵が入った際、西域の大隊商マエルが最初に打った手が、娼館を格安で開放させることであった。


 西の元締ノクシアスを使い、柄の悪いリーヤボルク兵たちを娼館に収めることで、極端な治安の悪化を防いだ。


 それから、すでに1年近い月日が流れようとしている。



「素直に通して、メテピュリアに行かせてやってくれ」



 と、リティアがロマナの瞳をジッと見詰めた。



「それはいいけど……、メテピュリアは大丈夫? あんな連中を街に入れて?」


「メテピュリアの住民の多くは、元砂漠の賊だ」


「ええ……、それは聞いてるけど」


「その、おかみさんたちはスゴいぞぉ? どんな悪タレたちでも、しっかりと躾けてくれるはずだ」



 リティアは東の空に目をやり、苦笑いを浮かべた。



「……賊とは言うが、彼らは彼らなりに生業なりわいにしていたのだ」


「賊を生業なりわい……?」


「痩せた土地でほそぼそと農地を拓き、家畜を育て、足りぬものを隊商から奪う。それも、すべて奪えば次がない。必要なものだけを奪う。……褒められたものではないが、地に足付けた生活を営んでいた」


「へぇ~」


「子を育て、孫を慈しみ、彼らなりにに生きていた」



 アイカが、パッと笑貌をひらいた。



「だからなんですね!? ジョルジュさん、悪い人な感じがしないんですよね! お孫さんのこと大好きですし!」


「そういうことだ」



 と、野原でフェティの相手をしてやるジョルジュに、リティアが目をほそめた。



「だから、若い者たちほど、わたしと新しい街をつくるという考えに賛同してくれたのだ。……決して、いまの生き方が良い生き方だとは思っていなかったからな」


「なるほどね」



 ベスニクを載せた馬車がヴールに向かう途中、ペノリクウス軍に襲撃された際に見せたジョルジュの活躍は、


 ロマナもアーロンとチーナから報告を受けていた。


 主君を守るため、自らを囮として命を棄てようとした行為と〈元賊の大将〉という触れ込みが重ならず、不思議に思ったものであった。


 また、草原での大戦おおいくさでは一軍を率いて武功を上げたとも聞く。



「……《天衣無縫の無頼姫》の面目躍如といったところね」



 と、ロマナは口の端を上げた。


 賊と聞いて、彼らがどう暮らしているか、なにを考えているかなど、ロマナが疑問を抱くことはない。


 単に討伐対象として認識するだけである。



「だって、砂漠で数万の賊が暮らしていて、孫までいるって、それはもう〈賊〉というより〈族〉だ。興味をそそられるだろ?」



 と、悪戯っぽく笑うリティアに、ロマナは両手を挙げた。



「まったく、リティアには叶わないわね。……分かった。王都を出るリーヤボルク兵を見つけても、そのまま通すように触れを出すわ」


「頼む。……ただ、これに乗じてリーヤボルク側がなんらかの計略を仕掛けてくる可能性もある」


「分かってるわよ。警戒は緩めさせないわ」


「アイカも頼んだぞ」


「はいっ! ……あの、……わたしからも、ひとついいですか?」



 と、上目遣いに見あげたアイカに、リティアが微笑んだ。



「うん。なんだ?」


「……ナーシャさん、……アナスタシア陛下ですけど」


「うん」



 三姫の軍が王都に集結して以降、アイカがなにかを言いにくそうにするのは初めてのことであった。


 リティアはゆったりとした笑みでアイカを見つめ、ロマナも雰囲気を和らげた。



「……鎮東将軍だなんて仰ってますけど、……ほんとうはルカスさんを救けたくて、いても立ってもいられなくて、ご自分で兵を率いて来られたんだと思うんです」


「そうか……」



 と、リティアとロマナは虚を突かれたように口をポカンとあけた。


 王都で摂政サミュエルから国王として祭り上げられているルカスは、元王妃アナスタシアの実子である。


 煌びやかな鎧を身にまとい、コノクリア草原兵団を率いて着陣して以降、アナスタシアの振る舞いは常に明るく、


 胸の奥に秘めた想いにまで、リティアとロマナの考えがいたることはなかった。


 それは、ザノクリフからコノクリアへと旅をともにしたアイカと異なり、リティアとロマナにとって、アナスタシアが遠い存在であることも大きい。


 ロマナはアイカの手の上に、みずからの手を重ねた。



「アイカ、よく言ってくれたわ。……わたしは、アナスタシア陛下の想いにまで気が回っていなかった」


「それは、わたしも同じだ。ありがとう、アイカ」



 と、リティアもアイカの手をとった。



「え、えへへ……」


「……いま、ゼルフィアが大神殿を守る儀典官メニコスの調略にかかっている。ルカス兄を王都から救出したいという思いは、わたしも同じだ」


「はいっ! ……リティア義姉ねえ様も、いちどナーシャさんとお話してあげてください」


「うむ。わかった」


「わたしもご一緒させてもらっていいかしら?」


「はいっ! ロマナさんもぜひ! ナーシャさんも喜ばれると思います!!」



 アイカは、ほほを赤くして会心の笑顔を見せた。


 旅のあいだ、自分を母親のように慈しんでくれたナーシャ。


 そして、実子バシリオスとルカスのことを常に案じていた。


 できれば、無事にルカスと再会させてあげたい。


 現在の混乱の元凶ともいえるルカスであるが、リティアとロマナが、アナスタシアの想いに同情を寄せてくれたことが、嬉しくて仕方なかった。



   *



 アイカたちが朝の茶会を終え、それぞれの本陣にもどった頃、


 王都ヴィアナの北街区、かつて〈孤児の館〉であった建物を、アイラが訪れた。


 以前、ベスニク虜囚の一報がヴールに漏れていたことを訝しんだリーヤボルク兵に目をつけられたことから、


 ガラの弟レオンをフェトクリシスに逃がした後、


 孤児たちにはひとりずつ〈里親〉を見付けてゆき、いまでは無人となっている。


 アイラにとっても懐かしいその建物の奥には、王都の顔役たちがそろっていた――。

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