第260話 とろけるような甘い笑顔
リティアがメテピュリアに帰着したのは、今年最後と思われる暑さの厳しい日であった。
季節は盛夏が終わりを迎え、まもなく晩夏に向かおうという頃――、
「リティア――っ!!」
と、額に汗を浮かべながら、駆けて飛び込んでくるフェティ。
「うおっとっとっとっ……、ただいま戻りました、旦那様」
「もう、遅いよ~」
リティアの胸のなかで、はちきれんばかりの笑顔を見せるフェティ。
リティアもやさしい笑顔で応える。
「申し訳ありません、旦那様。まもなくすべて終わりますから、もうしばらくの辛抱ですよ?」
「ええ~!? リティア、また行っちゃうの~?」
「ふふっ。つぎは一緒に参りましょうか?」
「いいの!! ほんとう!?」
目をキラキラと輝かせるフェティ。
やわらかに微笑むリティアは、見るたび「今年最後かな?」と思う入道雲を見あげた。
「ええ、ほんとうです。この世でいちばん絢爛豪華にして猥雑な交易の大都を、旦那様のお目にかけますわ」
「うわぁ――いっ! うわぁ――いっ! リティアと一緒だぁ~!!」
「ちょ、ちょ、旦那様……」
と、リティアは胸の中で両手両足を伸ばして喜ぶフェティに苦笑いし、
そっと、地面に降ろした。
しかし、喜びがその小さな身体に収まりきらずに跳びはねるフェティは、
「うわぁ――いっ! リティアと一緒なの! 今度のお出かけはボクも、リティアと一緒に行くんだよ――っ!!」
と、喜びを爆発させ、完成した白亜の公宮のなかへと駆けて行く。
その背中を微笑ましげに見送ったリティアは、感慨ぶかげにあたりを見回す。
新都メテピュリア。
リティアのラヴナラ遠征中にも都市建設は急ピッチですすみ、板張りだった城壁も高く頑強な石積みに作り替えられた。
城塞都市、そして都市国家としての威容を誇り始めている。
「よお、姫様!」
と、気安い調子で現われたのは、西の元締ノクシアスであった。
「ずいぶん、ゆっくりだったじゃねぇか? どこかで、躓かれましたか?」
「ふふっ。予定通りなのだが、なかなか思う通りにはいかぬものよ」
「なかなか難しいことを仰る」
「しかし、新都の建設は順調なようだ。元締の仕切りがいいんだな」
と、リティアは真新しい公宮を見あげ微笑んだ。
「まあね、と言いたいとこだが、実際は人手が増えただけだ」
「……増えた?」
産業機械の存在しないこの世界で、人手は国力そのものである。
メテピュリアの人口が増えることは、単純にそれだけ都市国家としての力が増すことを意味する。
「王都じゃ、西からの荷がいよいよ届かねぇらしくてよ、仕事にあぶれた無頼をどんどんこっちに呼んでるんだ」
「そうか」
ニヤッと笑ったリティアは、なぜ西からの隊商が途絶えたか、その訳をすでに知っている。
そして、まもなく再開してくるであろうことも。
しかし、ノクシアスに伝えるべきことではない。
そのノクシアス、すっかり日焼けして健康的で精悍な印象になっていた。
「現場でしっかり指揮を執ってくれているようだな?」
「まだ賭場も娼館もねぇ。力の使いどころが他にねぇんだよ」
「はっは。それは《無頼の束ね》として至らぬところであった。急いで開設せねばならんな。若い男の力を余らしておいては、ロクなことがないからな」
「それにしても、随分ひろく城壁を構えられましたね? だいぶ土地が余りそうですが」
「ふふっ。将来に備えてだ」
ノクシアスは腕を組み、かつて大隊商マエルに見せたものと同じ笑みを浮かべた。
「将来なら、それは大事だ」
「頼んだぞ、ノクシアス。街をゼロから作るなど、私にとってもお前にとっても、生涯に2度はない仕事だ」
「ちがいねぇ。丹精込めて大胆にやらせてもらうよ」
「はっは! 『丹精込めて大胆は』いいな! その言葉、覚えておいて、どこかほかで使わせてもらおう」
「そいつは光栄だ。……そういや、公宮には懐かしい顔が来てるぜ? 俺は相手にしてもらえなかったが、姫様にご用事のはずだ」
「……懐かしい顔?」
「ま、会ってのお楽しみってヤツだ」
と、片手を振りながら立ち去るノクシアス。
背中の筋肉も一枚厚みを増したように見え、かつての野心的で青白い陰謀家めいた気配は消えていた。
――変われば変わるもんだな。
と、含み笑いを浮かべたリティアは公宮に入り、
留守を守った侍女ゼルフィアやミトクリア侯からの復命を受ける。
そして、真新しい自室に腰を落ち着けると、
すぐに来客が通された。
「おおっ! ノクシアスが懐かしい顔といったのは、アイラか!?」
「失礼いたします。アイカ殿下の使者として参上いたしました」
「うむ、まあ座れ」
と、リティアが勧めたのは、ルーファ産の瀟洒なデザインのソファだった。
この街には様々な文化が混然一体に存在するが、やや砂漠の色が濃い。
女官たちが来客のもてなしを準備するなか、
やわらかな座面に腰を沈めたリティアが、アイラに微笑みを向ける。
「わたしはラヴナラの戦陣で会ったばかりだが、ノクシアスには懐かしい顔だな」
「王都脱出以来でしたから」
「ラヴナラでは、すっかりキャイキャイ遊んでしまって、アイラの話を聞かずにいたことが心残りだったんだ」
「お気にかけていただき、光栄です」
「ふふっ。振る舞いがすっかり王国の侍女ではないか?」
「カリュ様、それにサラナ様にも仕込まれておりますから。草原ではロザリー様とサラリス様の教えも受けました」
「はははははっ。それは侍女としては超がつくエリート教育だ」
「得がたい環境に感謝しております」
「うむ」
と、リティアは女官長シルヴァが淹れたお茶に口をつけた。
そして、女官たちを下がらせアイラと向き合う。
「それで? アイカの使者とは?」
「まもなくザノクリフ王国軍4万が旧都に入ります。あるいは既に到着しておるやもしれません。アイカ殿下……、イエリナ=アイカ陛下の指揮下で、リティア殿下への援軍として参陣いたします」
「なんとっ!! それは聞いてなかったな」
「それにつきましては『言うの忘れてました、ごめんなさい』と、アイカ殿下からご伝言を預かっています」
リティアはおもわず苦笑いを浮かべる。
「全然、話し足りないとは思っていたが、4万の兵を忘れるとは豪気な
「されど、リティア殿下の電光石火のご判断。アイカ殿下はベスニク公のご臨終に間に合われました。絶妙なご差配にロマナ様も感服され、また感謝されておりました」
「……ロマナはどうだ? 元気か?」
「ベスニク公の無念を晴らす復讐、憤怒の心に突き動かされておられましたが……」
「が?」
「わたしが西南伯軍を離れる時点では、アイカ殿下のお支えもあり、平静とまでいかずとも、……ふつうに怒ってました」
「そうか。そりゃまあ……、怒るわな。ふつうに」
「ええ」
「使者とは、ザノクリフのことだけか?」
「申し訳ありません、あと2つ」
「うむ」
「バシリオス陛下……、コノクリア王国からも援軍が1万。アイカ殿下の旗下に入られます」
「それも心強い」
「最後に、アイカ殿下より『
「……そうか」
と、リティアは微笑みながら、窓辺に立った。
「……カリュに導かれ、サラナに学び、《王国の白銀の支柱》ロザリーから薫陶を受け、王国三大侍女長の系譜を一身に受け継ぐことになった侍女アイラ殿よ」
「はっ」
「機はいつと見る?」
「……恐れながら、リティア殿下が声をあげられたとき、その時が機でございましょう」
「はっは。……そうか」
「はっ」
「……たしかに、そうだ」
窓に背を向け、逆光になったリティアが悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「それでは新時代の侍女にして我が従姉妹ルクシア殿の愛娘でもあるアイラ殿のご進言どおり……、そろそろ始めるとしよう」
「ははっ」
ソファから立ち上がったアイラが、片膝を突く。
「わが主君アイカ殿下に、しかと申し伝えます」
「秋には《総候参朝》をつつがなく執り行いたいしな」
と、窓に背を預けたままのリティアは、その美しい顔だけを外に向けた。
――夏の日差しの逆光が描くその輪郭が、どれほど神々しかったことか!! 神の引きたもう曲線とはあのことだ!!
アイカのもとに帰ったのちのアイラが、夜通し語り続けることになる、
とろけるような甘い笑顔を浮かべたリティア。
王国全土を震撼させる檄文を発した。
曰く――、
《聖山三六〇列候におかれては総候参朝に備えられたし。リティアが新しき王を戴き、王都にて歓待する》
王都ヴィアナへの侵攻を宣言し、リーヤボルク討伐のみならず、
ルカス廃位と新王推戴の意志まで明確にした。
しかも、秋の祝祭までに王都を陥落させるという宣言は、一大決戦がただちに開始されることを意味した。
王都で摂政サミュエルが引き千切り、床に叩きつけたその檄文により、
《聖山の大地》は皆がアッと驚く、激動の局面を迎える――。
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