第257話 天をまたぐ
岩をも砕く猛々しい荒波のごとくに襲いかかる西南伯軍。
雨中、敵の接近を察知するのが遅れたペノリクウス候率いる西方会盟軍は、
もろくも崩れた。
西南伯軍に陣形も策略もなく、ただ激しい憤怒をぶつける怒涛の突撃を、際限なく喰らわせる。
通り雨が、思わぬ長雨となって降り続くなか、ほとんど休むこともなく数日の行軍を走破した疲れは、微塵もみられない。
ロマナはその身を雨に打たせるがままに、高台に布いた本陣から冷然と戦況を見下ろす。
昼間だと言うのに、分厚い雨雲に遮られ、陽光は届かず薄暗い。
ロマナのアッシュグリーンのドレスは、雨にぬれて鮮やかな緑色となり、緑がかった金髪によく映えている。
祖父ベスニクに最期に目にしてもらえたドレスには、その魂が込められているようで、着替える気にはなれない。
ロマナの傍らには桃色髪を雨に濡らすアイカが立ち、
ウラニア、ソフィアも並び、
うしろにはガラやカリュたち、侍女が控える。
そして、その背にある馬車には、カリュが防腐処理を施した、ベスニクを納めた棺がしずかに佇む。
元賊の老将ジョルジュが、ロマナの近衛兵アーロンの横にそっと近付いた。
「……アーロン殿」
「これは、ジョルジュ殿……」
ふたりは草原の
「本陣の守りは、われらアイカ殿下旗下の兵300にお任せくだされ」
「それは……?」
「アーロン殿はじめ近衛兵の方々も、大君ベスニク公のご無念を晴らされたかろう。……前線にお行きなされ」
思いがけないジョルジュの申し出。
奥ではアイカ旗下の大将軍格であるカリトンも目に力をこめて、頷いてくれている。
眉根に力をいれ、うなずきを返すアーロン。
それを受けたジョルジュが、アイカに歩み寄り耳打ちする。
首を力強く縦にふったアイカは、
となりに立つロマナを見あげた。
「ロマナさん。……近衛兵の皆さんも行かせてあげてください。本陣のロマナさんやウラニア
「……うん。そうだな」
ふり返ったロマナは、背後に控える近衛兵たちに烈火の令を発する。
「ゆけ! この戦場にある限り、どこにおろうとも、わが近衛である! わが手となり、わが腕となり、わが怒りの剣となり、憎きペノリクウスを撃ち払え!!」
「はは――っ!!」
ただちに駆けおりて行く、ロマナの近衛兵たち。
アーロン、リアンドラ、ブレンダ、そのほか皆の表情は猛り狂っている。
憤怒の激情に身を委ねる西南伯軍。
しかし、歴戦の猛者たちはその習性として的確に敵を追い詰め、逃げ道をふさぎ、確実に仕留めてゆく。
むやみやたらと蛮勇をふるう訳ではない、ヴールの強兵ぶりがいかんなく発揮されていた。
ふと、ロマナがつぶやく。
「……わたしは、リティアのようには出来ぬ」
「いいじゃないですか」
アイカは眼前でひろがる数万人の争いに、目をかたく細めながら応える。
その風景には、西候セルジュ、そしてリーヤボルク王アンドレアスの姿が重なる。
――仕方がない。
とは、思いたくない。
しかし、一度起きてしまった動乱を鎮めるのには、戦わなくてはならない時がある。流さなくてはならない血がある。
そのことが、アイカのちいさな胸の奥で、チリッと苦く燃える。
そして、
――避けられぬ
ヒメ様のやさしい声が耳によみがえり、その苦さをわずかばかり和らげてくれる。
目のまえで壊滅してゆく西方会盟軍。
撃ち破らなければ、ヴールの街を蹂躙し、ロマナの弟セリムや領民たちの命が危うかったであろう。
――むこうの都合で降りかかる。
ヒメ様の言葉をよすがに、アイカは、グッと拳に力を込めた。
「……リティア
「ふっ……、そうだな」
「だけど、ロマナさんの真似も、誰にもできません」
「……」
「ただただお祖父様のために尽くし、お祖父様の名誉を守り、ご家族の名誉を守り、どんな状況にも踏ん張って踏ん張って耐え抜いて、……どんなことがあってもご家族を愛して、愛して、愛して、愛して、愛して……」
――愛されなくても……、愛して。
言葉には出来ないそのアイカの想いは、ロマナにもやさしく伝わった。
いまロマナを傍らで支えてくれる、祖母ウラニア、大叔母ソフィア。
いずれも包み込むような愛情で、やさしくロマナを見守りつづけてくれている。
しかし、そこに母レスティーネの姿はない。
「アイカ……」
「……はい」
「抱っこさせろ! 抱っこ!」
「うえぇ~~~~~~っ!? ロマナさんまで、なにリティア
逃げるアイカに、追うロマナ。
「なんだ、リティアには抱っこさせてるのか!?」
「いや、そうですけど~~~~!」
「なら、わたしにも抱っこさせろ、抱っこ~~~っ!!」
「なんなんですか、もぉ~~~~!? とりあず、その
「つかまえたっ!!」
「うぎゃ~~~~~~~~~~っ!!」
〈大権の
激しい雨に打ち付けられるほほを重ねて、すりすりと擦りつける。
ぐちょぐちょにずぶ濡れのふたり。
呆気にとられて見ていたウラニアたちも、クスクスと笑い始める。
目を閉じ、アイカのほほの感触を楽しんでいたロマナが口をひらく。
「もう、なにも手放したくはないのだ」
「……ロマナさん」
「なくしたくないなら……、先に自分から獲りに行かねばな」
やがて雲間から日が差し込み、雨がやんで――、
「おお、三重の虹とは、まるでよくある神話の一節のようではないか!?」
アイカを抱きしめたままのロマナが、爽やかな笑顔を浮かべて顔をあげた。
その腕の中で、アイカも空を見あげる。
「ほんとうですねぇ……。虹がみっつもかかるなんて、わたし、初めて見ました……」
その場に居合わせた皆が、しばしの間、その神秘的な情景に目をうばわれた。
ロマナ、アイカ、そしてリティア。
*
夕刻――、
散り散りに潰走してゆく西方会盟軍の主将、ペノリクウス候が捕縛された。
そして、ロマナのまえに引き立てられる。
「聖山三六〇列候ともあろう者が、息を潜めてかくれんぼとは、さすがは空き巣狙いのコソ泥の本領発揮といったところか」
「ぐっ……」
黒々とした眉をしかめ虜囚の恥辱に顔をゆがめる、ペノリクウス候。
怒涛の攻撃に揉みくちゃにされ、近侍の兵ともはぐれ、目立たない山小屋に潜んでいるところを発見された。
「わたしは、山小屋ごと焼けと命じたのだが、やさしいアイカ殿下に『やり過ぎだ』と止められてしまってな」
冷厳な表情を浮かべたロマナが、縄をうたれ膝をつくペノリクウス候に歩み寄る。
そして、ふり上げたほそく美しい足で、その頭を踏みつけ、
地面に叩き付けた。
泥水をはね、潰されたカエルのような姿勢になったペノリクウス候は醜い呻き声をあげる。
ロマナの背後には、ベスニクの棺を載せた馬車がある。
「アイカ殿下のおかげで、祖父ベスニクに謝罪する機会を得られてよかったな」
と、ペノリクウス候の顔の真横に〈西南伯の
ロマナに頭を踏みつけにされたまま、苦悶の表情を浮かべるペノリクウス候。
目と鼻の先で煌めく刃に、身じろぎひとつすることが出来ない。
「アイカ殿下のご温情をもって、命だけは救けてやる。ヴールの地下牢で獄を抱け! 心配するな、地下とはいえ寒くはない。蒸し風呂のような盛夏の牢獄で、虜囚となった祖父の無念を想い、自らの行いを恥じて生きよ!!」
引き立てられ、護送されてゆくペノリクウス候。
その背には一瞥もくれず、ロマナがふり返った。
「さすがに冷えて来た。着替えよう」
そう笑ったロマナの白い歯が、夕陽を反射して美しく光った――。
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