第十一章 繚乱三姫
第236話 将たる風格
朝、リティアが目覚めると肌が寝汗でかるくしっとりとしている。
――夏がくるな。
と、微笑んだ。
新都市メテピュリアの中心に建つ、まだ公宮と呼ぶには頼りない仮小屋。
おおきく伸びをしながら窓に目をやると、外からは、すでに新都市建設の槌音がひびいている。
ノックの音がし、侍女長のアイシェが入ってきた。
「お目覚めでしたか」
「ああ。ちょうど起きたところだ」
アイシェが水差しから汲んだ冷水がのどに美味しく、そんなところにも夏の訪れを感じてしまう。
「さきほど、王都からシルヴァ殿たちが到着されました」
「おっ、そうか! すぐに会おう!!」
と、ベッドから飛び出して、汗をぬぐい、トレードマークの騎士服に着替えさせてもらう。
メテピュリアに謁見の間はまだない。
ぬけるような青空の下、女官長のシルヴァ、女官のケレシアなど、王宮でリティアに仕えていた者たちが膝をついてリティアの出座を迎えた。
家族も引きつれ王都ヴィアナを脱出し、主君のもとに移住してきたのだ。
「みな、ご苦労! さっそくだが新都建設に力を尽くしてほしい!」
久方ぶりに会う主君の変わらぬ笑顔に顔をほころばせ、目に涙を浮かべる者もいる。
その中には筆頭万騎兵長ドーラの6歳になる息子もいた。
――旦那様と、そうは変わらぬ歳か。
と、リティアは苦笑いしたが、母との再会に喜びを爆発させている。
すでに兵士の家族たちもルーファから到着し、メテピュリアには交易都市としての体裁が整いつつある。
公宮など王族としての見栄えを気にするより、先に交易に必要な都市機能から手をつけるあたり、リティアの慧眼がうかがえた。
事実、王国の東側に位置する列候領からは、一部の隊商が王都ヴィアナではなくメテピュリアに向かい始めている。
砂漠を渡りルーファにむかうならば、かれらはリーヤボルクが幅をきかせる王都を経由する必要がない。
再会した家臣たちは、さっそく割り当てられた住居に向かう。
それを見送ったリティアは、のこるように命じた2人を中に招き入れる。
ヤニス、クロエ、ジリコの三衛騎士が控えるなか、みなで簡素な椅子に腰をおろした。
「殺風景なところですまん」
「いえ……」
と、シルヴァは変わらぬ憂い顔で、抑揚なくこたえた。
が、もうひとりのノクシアスは興味深そうに部屋をすみずみまで眺めている。
「……いやぁ? 殺風景は、これからなんとでも《無頼姫色》に塗り上げられるってことでしょう?」
「はっは。そうとも言えるな」
「やりがいある仕事ですよ」
「しかし、ノクシアス。お前みずから移住してくれるとは思わなかったぞ」
「なあに……。新しい街にくれば、うるさい年寄りもいないってだけですよ。あたまを押さえつけられたくないのが無頼の本性だ」
新都市の建設には
いつまでも第六騎士団に工事ばかりさせているわけにはいかない。
先行したクレイアは秘かに無頼の元締たちと接触し、人工の手配を依頼していた。
すでに2000人ほどの無頼がメテピュリアに入っていたが、シルヴァたちの移住にあわせて、西の元締ノクシアスがさらに手下1500人を引き連れてきた。
「……と、いうのは建前で」
「ほう……?」
リティアが身をのりだした。
「西域からの荷の到着がおかしい」
「……と言うと?」
「単純に荷が届かねぇ。……無頼をヒマにさせとくと、ロクなことがねぇからな。みんな連れてきたってわけです。仕事はちゃんと用意してくださってるんでしょ?」
「たんまりとな」
「そいつは正直、助かります。……ただ、荷が途絶えた事情が、無頼の耳にも聞こえてこねぇ」
「ほう、それはよっぽどだな」
「そう、よっぽどです。……王国の西で、なにかが起きてる。しかも、そうとう念入りに隠されてる」
「マエルもリーヤボルクに帰ったというしな」
「さすが無頼姫。砂漠にいても耳が効きますね」
「ふふっ。おまえの隣に、わたしの耳が座っている」
と、リティアは悪戯っぽい笑みを浮かべてシルヴァに視線をやる。
憂い顔をくずさない女官長に、肩をすくめたノクシアス。サッと席を立った。
「ま……、俺も王都でやることはやったって感じですんでね」
「たしかに手下をあれだけ率いて来れるのならな」
「あれで全部じゃないぜ? 王都から離れたくないってヤツもいますからね」
「頼みにしてるぞ、大親分」
「へっ、茶化さないでくださいよ。……というわけで、当分、世話になります」
「おや? おまえたちに定住してもらえる街にするつもりだが?」
「ははっ! 楽しみにしてるぜ」
片手をふりながら部屋を出るノクシアス。
リティアはシルヴァに視線をうつす。
「……ノクシアスの話に裏は?」
「おそらく、ありません。西域から隊商の到着が止まっているのは確認済みです。仕事の世話ができなければ元締の沽券に関わります」
「ふむ……」
「ただ、報告が行き違いとなったかもしれませんが、バシリオス殿下が北離宮から移送されました」
「なに!?」
さすがのリティアも――、
アイカが救出して、リーヤボルク本軍15万を撃破して、リーヤボルク王を虜囚とし、《草原の民》の王位に就いて、コノクリア王国を建国している――、
とまでは見通せない。
このときは、兄の境遇を憂慮し眉をひそめた。
「摂政サミュエルにも動きが」
「なんだ?」
「ルカス様のお名前で密勅を発し、ラヴナラのアスミル殿下に、リティア殿下追討を命じた模様です」
「そうか! わが新生第六騎士団、初戦の相手はサーバヌ騎士団か!!」
快活な笑い声をあげたリティアは、衛騎士たちを見回した。
「相手にとって不足ないな!?」
「左様ですな」
と、笑うジリコをはじめ、衛騎士たちも元賊の兵士たちを鍛え上げてきた。
シルヴァの報告を聞きおえ、リティアはあごに手をあて不敵に微笑んだ。
「わがメテピュリアに、まだ籠城できるような城壁はない。こちらから従兄弟殿を出迎えるとするか」
黒髪紅眼の華奢な無表情美人剣士クロエは、
――出来るとしても、籠城なんかするつもりないくせに。
と、思っていたが黙ってうなずいた。
仏頂面美少年剣士ヤニスは、うなずきもしなかった。
*
ヴールの北を、ガラ率いる軍勢2000が進軍している。
アイカが送り届けてくれる主君ベスニクを西南伯領の国境まで出迎えるためだ。
ガラの横にはロマナの弟、公子セリムが馬をならべる。
母レスティーネと兄サルヴァの非業の死に心を痛めているのはロマナだけではない。
セリムも心に痛撃を受け、一時は自室に逼塞させられるほどに取り乱した。
「……ガラちゃんと一緒に、お祖父さまをお迎えに行って、外の空気を吸ってらっしゃい」
と、祖母ウラニアの計らいで同行することになった。
たしかに公宮の外にでてみれば、世界にはなんの変わりもない。それが却って突き刺さるところもあったが、いまは癒しのほうが大きい。
行軍中はガラと他愛もない会話を交わし、
野営の焚火がてらすガラの横顔に息を呑む。
父、母、兄を相次いで亡くし悲嘆に暮れていたはずだった。
が、もうガラにトキめいている。すこし自分をもてあますのだが、ゆらめく炎を映す空色の瞳につい見惚れてしまう。
ガラも幼くして両親を失った孤児であった。
焚火に枝を投げ入れる。
「……俗に、子どものいない夫婦への慰めに『いない子には泣かされぬ』というそうですが、……いなくなった親にも、これ以上は泣かされません」
「そ、そうか……、そうだな……」
と、舌を噛みそうになって応えるセリムは、ガラの唇から出た《夫婦》という言葉に目を泳がせた。
心のうちを隠そうと早口になって言葉をかさねる。
「……ガラはつよいな。わたしも強くならねばな」
「……おそばで、お支えいたします」
――姉ロマナの侍女として。
と、分かってはいるのだが、添えられた微笑みの意味をつい問いただしたくなる。
そこに、馬のいななきが聞こえた。
先行させていた偵騎が、いそぎ戻ってきたことが陣に伝わる。
ガラの表情が、おない年の《友人》に向けたものから、兵2000を率いる将のものにスッと切り替わる。
ロマナに才器を見出され、
馬をおりた兵士が駆け寄る。
「ガラ様」
「どうしました?」
「狼に乗られたアイカ殿下の率いる一隊約300が、ペノリクウス領に入ったのを確認いたしました。しかし、とられている進路からみて、ペノリクウス軍に発見される恐れが……」
「それは、あまりよろしくありませんね」
「はっ。……ペノリクウスは、シュリエデュクラの動きを警戒し、探索の手を広げております。おそらくアイカ殿下一行は、それに気づいておりません」
「そもそも、ペノリクウスの参朝を察知していなければ、用心していない可能性もありますね」
「多分に……」
すこしばかり考え込んだガラが立ち上がる。
「申し訳ありませんが、みなさんを起こしてください。いまから急行し、アイカ殿下に合流します」
「……西南伯領を出てしまいますが」
「かまいません。大事なのは主君ベスニク様のお命。また、大恩あるアイカ殿下をお護りせずばヴールの恥。侍女ガラの名においてペノリクウス領に兵を進めます」
「ははっ」
「ただし貴殿は、このままヴールに急報を」
「かしこまりました。ただちに」
と、駆け出す兵士。
にわかに野営の陣があわただしくなる。
焚火を蹴り消すガラ。
孤児育ちなのでワイルドな仕草も様になる。
ふり返ってセリムをみた。
「ペノリクウス軍と戦闘になる恐れがあります。護衛をつけますので、セリム様はヴールにお戻りください」
「いや……、ボクも行くよ」
「しかし……」
「ガラをおいてボクだけ逃げ帰ったなんて聞いたら、ロマナ姉様になんて言われるか。いやいや、ソフィアおばさまの方が……」
と、笑うセリムに、ガラも苦笑いでうなずいた。
馬にとび乗り、鞭をいれる。
――アイカちゃん……。無事でいて……。
闇夜の漆黒に、桃色髪をしたアイカの笑顔を思い描いた――。
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