第235話 この空のした

 穏やかに視線をおとして微笑むサラナの表情が、アイカには神々しくも見えた。



「私は、アイカ殿下の侍女です」


「え、あ……、はい」


「殿下にお仕えできることに、胸を躍らせております」



 と、テーブルに置かれたティーカップを、ツとなでた。



「……不思議なものです。アイカ殿下と関わられたものは、みな変わってゆく。王家、王族にあられるお方として、これ以上の資質がございましょうか」


「アメル様も、変わられました」



 サラリスがうなずいた。



「バシリオス陛下を救出し、サグアの砦でノルベリ様の兵を待っているころからでしょうか。じっとアイカ殿下のことを見ておられた」


「えっ!? ……そ、そうだったんですか?」


「余計なものがはがれて落ちていくような……、そんな変化を目の当たりにさせていただきました。……カリストス殿下にいまのアメル様を見ていただきたかった」


「殿下、バシリオス陛下は私が支えます」



 ロザリーが微笑んだ。



「どうぞサラナはお連れくださいませ。コノクリアにはサラリスもおります。きっと、豊かな国にしてみせますので、ご案じくださいますな」


「アイカ殿下のよいところは、臣下の気持ちを大切にしてくださるところです。でも、私は分かったのです!」



 と、カリュが笑った。



「え? なにがですか?」


「アイカ殿下には、忠義とか忠誠といった概念がないのです」


「そ、そうなんですよ!! よく分かりましたね!」


「ふふっ。付き合いも長くなりましたからね。……サラナ殿。貴女の主君が求めておられるのはです」


「友情……」


「愛情といっては言い過ぎでしょう。友情。しかし主君の責任から逃げるお方でもございません。ですので、君臣の折り目はつけなくてはなりませんが、よき友として、アイカ殿下をお支えくださいませ」


「なんか、しっくりきました!」



 と、アイラが何度もうなずいた。



「さすがカリュ様。……そういうことだったんですね」


「ありがたきご助言。心に刻みました」



 サラナがあたまをさげると、アイカが不安そうに顔をのぞきこんだ。



「……そ、そんな感じらしいんですけど、私。……大丈夫ですか? サラナさん、イヤじゃないですか?」


「イヤなどとんでもない。主君の求めに応じてこその侍女。しっかりと仕えさせていただきます」


「……ありがとうございます。ほんとは不安で不安でたまらないんです。王族だとか女王だとか、そんなのホントはよく分からないんで……。でも、赤縁眼鏡侍女さんがいてくれるんなら勇気百倍です!!」


「赤ぶ……」


「それに、侍女さんたちみんなバインバインで、ツルペタ仲間がそばにいてくれるのも心強いです!!」


「ツルっ……?」


「って、私のはなしはいいんですよ! 私のはなしは、おしまいです! サラリスさんの壮行会なんですから!」


「いえ、わたしの心にも沁みました。君臣の関係にひとつの正解はないのだということ……、今後、アメル様をお支えしていくおおきな学びとなりました」


「な、なんか、役にたったのなら……、よかったです」



 うやうやしく礼をしてくれるサラリスに、アイカはほほを赤く染めた。


 リティアに義妹いもうととしてもらって以来、義姉あねに恥をかかせてはいけないと、自分なりに頑張ってきたことを認めてもらえたようで、唇を引き結んでしまう。


 リティア帰還の報は、まだ草原には届いていない。だが、はやく会って喜びをつたえたい気持ちでいっぱいになる。


 ましてサラリスとは、あまり話したことがなかった。


 それなのに、しっかりと見てくれていたことが嬉しくもあり、照れくさくもあった。



「……サ、サラリスさん。大変なお役目ですけど……、頑張ってくださいね」


「はっ。アイカ殿下のもたらしてくださった大勝利を、必ずや結実させてみせます」


「敵の国にひとりで乗り込むんですから、ほんと、気を付けてくださいね」



 奴隷として連れ去られた《草原の民》と、国王アンドレアスはじめ捕虜にしたリーヤボルクの兵士たちとを交換させる交渉に、リーヤボルク本国にむかうのがサラリスの役目だ。


 国王を捕えているだけ優位ではあるが、交渉の行方は予断を許さない。


 アンドレアスを見捨てて新王をたてるという挙にでないとも限らない。だが、奴隷とされた同胞を取り返すことは、コノクリア王国を建国した大義そのものであり、必ず成功させなくてはならない。



「アイカ殿下。お心づかいありがとうございます。ヴィアナの騎士も護衛に同行してくれますし、ご案じくださいますな」


「でも、あんまり無理しないでくださいね。危ないことあったら、すぐ逃げてくださいね?」


「カリュ様の諜報、サラナ様の内政と同様に、本来、わたしの専門は《暗殺》です」


「あんさ……」


「カリストス殿下のお考えもあり、テノリアで発揮することはありませんでしたが、敵国であれば思う存分に活かせます。……あ、いや。そんな、殺しまくるとかではありませんよ? ……あ、あくまでも、身を護るためにしか使いませんから」



 と、あわあわする暗殺者アサシンを、先輩侍女たちが微笑ましく見守った。


 しかし、その手腕を疑う者はひとりもいなかった。


 ネビのつかう暗器に興味をもっていたチーナだけが、サラリスに暗殺の技を根掘り葉掘り質問していた。



   *



 サラリスの出立を、アイカとならんで見送ったのはナーシャこと、アナスタシアであった。


 コノクリア王国にのこったアナスタシアは《国母》の称号を受け、バシリオスの国づくりを援けている。



「……わたしが行くと言ったのだがのう」


「いや、それはさすがに」


「人質にされては逆に迷惑と、バシリオスにピシャリと言われてしもうたわ」


「……でしょうね」


「そろそろアイカも行くか?」


「そうですね。ベスニクさんの体調も幾分もどられたみたいですし。ロマナさんも首をながくして待ってるでしょうしね」


「そうじゃな」



 ふたりのほほを、草原の風がなでた。



「アイカよ、まこと世話になった」


「いえ、そんな……」


「そなたのことは、わが娘と思うておる」


「えっ?」


「そなたがどこにおっても、この空のした、いつも母が案じておると思うてくれ」

 


 アイカのまぶたに、ナーシャと過ごした日々が鮮やかによみがえる。


 旧都の高台で自分の足もとに駆け込んできたナーシャ。西候セルジュに閉じ込められた尖塔での王族教育。ザノヴァル湖での《精霊の審判》では、太守たちの視線から服の透けたアイカを護ろうと両手をひろげて立ちはだかってくれた。


 いつも優しく、そして厳しく、自分を導いてくれた。


 すでにバシリオスに冠を授けた晩に、別れを済ませたつもりのアイカであったが、あらためて目に涙がうかぶ。



「はい……。お……、お母さんも……、アイカが思っていることを忘れないでいてくださいね」


「うむ。決して忘れぬぞ」



 やさしく微笑むアナスタシアの胸に、アイカは顔をうずめた。



 そして、アイカは南へと旅立つ。


 カリトンやカリュたちに加えて、ニコラエ率いる精兵200名、さらには元ヴィアナ騎士団からも100名が護衛として同行してくれることになった。


 ベスニクを乗せた馬車には、ガラのもとに向かうレオンも同乗させる。ヴールで待つロマナのもとに送り届ければ、


 いよいよ決戦のときが訪れようとしていた――。

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