第234話 さらに栄える

 テノリア王国領とプシャン砂漠の境い目――、


 交易の大路をふさぐ大門がひと晩のうちに現われた。


 いや、門だけではない。簡素な木製ではあるが、城壁も備えた街が突如として建設された。


 夜のうちに急行したリティア率いる新生第六騎士団、3万人が築きあげたものだ。



「なかなかの眺めじゃないか」



 と、大門のうえに足をかけたリティアが、朝陽を背にうけながら悪戯っぽく笑う。


 その視線の先にのびる大路では、隊商たちが立ち往生していた。



「交易の邪魔をするつもりはないと、はやく伝えてやれ」



 リティアの指示で隊商たちのもとへ騎馬が駆けてゆく。


 のちの史家が《リティア王女国》と名付けるほかなかった、奇妙な都市国家が一夜にして出現した。


 リティアの守護聖霊メテプスロウから名をとった《メテピュリア》と名付けられたその街には、諸民族が入り乱れて暮らし、テノリア王国ともルーファとも趣を異にした。


 すべての信仰を尊重しながら、開明神メテプスロウを主祭神として祀ってもいる。



 ――夜の闇に怯える人間に灯りを授け、人間に《勇気》という感情を芽生えさせた――



 と聖山神話にうたわれる古神メテプスロウ。


 メテピュリアに住まいを定めた《砂漠の民》も《山々の民》も、みずからの守護神として崇敬する。そして、そんな自分たちのことを《リティアの民》と好んで称した。


 天衣無縫の無頼姫は、そうした者たちのうえに君臨する。



 トトトッと、リティアの足もとにフェティが駆け寄った。



「おお! 旦那様! 見られるがいい。この先にひろがるのが、わたしの故郷聖山の大地です!」



 と、幼い婚約者を抱き上げるリティア。


 ルーファを経つ直前、ちいさな身体には大きすぎる鎧を着こんだフェティが「自分もついて行くのだ」と、リティアのまえで頑として動かなくなった。


 さすがのリティアも、まだ幼い首長家の嫡子を戦場にまで連れていく気はなく、帰りを待つように説得するのだが、聞き入れようとしない。



「また、ボクを置いていくの?」


「しかし、旦那様。戦場は危のうございま……」


「イヤ!!」



 フェティは、リティアの南方巡遊中、ひとりで留守番させられたことを根にもっていた。



「だ、旦那様……?」


「イヤったら、イヤ!」


「……旦那様。あまりリティアを困らせないでください」


「だって……」


「なんですか?」


「……リティアがいないと、……さみしいんだもん」



 その様子を目にして、見送りにでていた大首長セミールが微笑んだ。



「リティア殿下。どうかフェティもお連れ下さい」


「大お祖父様まで……」


「愛する妃をひとりで戦場に行かせるわけにはいかないと、まこと首長家の男子に相応しい気骨。案ずることはありませぬ。きっと、フェティが偉大な首長にそだつとなりましょう」



 ふかく拝礼したリティアは、フェティを抱いて、ふたたびプシャン砂漠を渡った。


 そして、ルカスに対し、



 ――退位するならば、即位に賛同する。



 と、態度を明らかにした。


 すなわち、ただちに退位するならば王位にあったことを認めるが、さもなくば打倒し、王位にあったこと自体をテノリア王国の歴史から抹消すると宣言したのだ。



 ――王都と王座を明け渡さねば、存在ごと滅ぼす。



 単なる即位不賛同よりはるかに強烈な意志の表明は、事実上の宣戦布告である。



 ――天衣無縫の無頼姫、第3王女リティア帰還!



 の報は、先行していたクレイアの手配で即座に《聖山の大地》を駆けめぐった。



「はっは! みちの上に街をつくるなど、相変わらずハタ迷惑なヤツだ!」



 と、ロマナが久しぶりに明るい笑顔を見せた。


 しかし、テーブルをはさんで座るサヴィアスは、ちいさく震えた。



「……王都はいくさの炎に焼かれましょうか?」


「サヴィアス殿下。みなが愛する王都ヴィアナを、リティアも愛しております。きっと、そのようなことにはなりますまい」



 女官ソーニャの《教育》が行き過ぎたサヴィアスは、すっかり虚飾をはぎ取られ、小心な本性があらわになっている。


 尊大で傲慢だったころとは違い、むしろロマナの庇護欲をかき立てる。



 ――げにも恐ろしきは側妃サフィナか。が王位に就いておれば、ただちに王国は瓦解していたことであろう。



 と、ロマナは眉根を寄せる。


 サフィナは、サヴィアスのことを溺愛していると見せかけていたが、その実、惰弱な亡国の王をつくろうとしていたのではないか。ファウロスへの復讐のために。



 ――母親。



 ロマナも、ちいさく身震いした。



  *



 大路の東端を第3王女が占拠したという報せに、テノリアの王宮が大騒ぎになっていたころ、


 《草原の民》の兵士たちとノルベリ率いるヴィアナ騎士団は、コノクリア王国の《草原兵団》として再編成された。


 バシリオスは密かに兵を発し、ノルベリに命じてリーヤボルク王国の西端――、テノリア王国に国境を接する大路を制圧した。


 リーヤボルク本国からテノリアへの通行を遮断し、《国王虜囚》の異変が王都に伝わるのを遅らせるためだ。


 建国なったばかりのコノクリア王国にとって最大の脅威は、リーヤボルク本国と王都ヴィアナのサミュエルが連携し、挟撃されることであった。


 西から東にむかう隊商は追い返し、東から西にむかう隊商は北に迂回させた。


 つまり、コノクリアの草原地帯を経由し、リーヤボルクの北に位置するファガソニア公国へと交易ルートを変えさせたのだ。


 交易のおおきな地殻変動になるが《隊商の束ね》を務めていたバシリオスの鮮やかな差配で、隊商の列は整然と北へと向いた。


 大使としてロザリーが赴いたファガソニア公国は、交易の莫大な富が落ちることを喜び、奴隷になっていた《草原の民》の返還にも応じた。


 ようやく内戦を終結させたばかりのリーヤボルク本国は、国王アンドレアスが囚われたことで大混乱に陥り、なすすべなく見守るしかなかった。


 精鋭5万はのこっているが、敵は東にだけいるわけではない。西方諸国に対しても警戒を緩めるわけにはいかなかったのだ。


 そして、ようやくバシリオスは、リーヤボルクとの捕虜交換の交渉をはじめる。


 使者に選ばれたのはアメルの侍女、サラリスであった。


 ロザリーが壮行会的にちいさなお茶会をひらくというので、アイカたちもお呼ばれした。



「まあ! ……なんと見事な意匠でしょう」


「えへへっ。ミハイさんがお土産に持ってきてくれてたんです」



 ロザリーが目をうばわれたのは、かつてアイカが見出したディミノプラト産の陶器で出来たティーカップである。


 大隊商メルヴェのアドバイスも受けて製作した《新作》をミハイが持ってきてくれたのだ。



「まずは女王陛下に使ってもらいたいってな」



 ティーセット一式を収めてある箱はロフタの木工職人が精緻な細工をほどこした逸品で、ティーマットはプリミニ産の織物がつかわれている。


 ザノクリフ王国各地の太守が力をあわせて《商品開発》に挑戦していることがうかがわれた。



「ありがとうございます!! みなさんが力をあわせて復興に取り組まれてることが、とってもよく伝わってきます!! なによりのお土産です!!」


「陛下のおかげだよ」



 ミハイは、しみじみとした表情で、かるく鼻のあたまを掻いた。



「国王なんて目の上のたんこぶくらいにしか思ってなかった俺たちが、陛下が帰ってこられたときに恥ずかしくない国にしようと協力しあってる」


「……よかったです」


「即位した途端にしちまうような女王陛下の帰りが待ち遠しくて仕方ねぇ」


「あうっ……、なんか、すみません……」


「とんだ名君を戴いちまった。……バシリオス陛下も、いい国王だ。いや、その前にいい男だな、あれは」


「はいっ!」


「はじめて国を持つ《草原の民》も、みんな目をキラキラさせてる。俺たち《山々の民》も負けてられねぇ。……聖山のまわりをグルリと回って《聖山の民》も救けたら、いっぱい土産話を聞かせてくれよな。ニコラエはおいて行くから、せいぜいこき使ってやってくれ。楽しみにしてるぜ」



 と、帰っていったミハイ。


 草原のお茶会で、かつては豪華絢爛なテノリア王宮で過ごした侍女たちが、口々にティーカップを褒めてくれることが、アイカには嬉しくてたまらなかった。


 大袈裟にはしたくないとサラリスの希望を汲んだ茶会は、結果的に女子会になっている。


 アイカとロザリーのほかには、カリュ、アイラ、サラナ、チーナがサラリスを囲んだ。



「……これは、ザノクリフ王国に対する認識をあらためないといけませんね」



 と、手にしたカップをまじまじと眺めるサラナが、赤縁眼鏡をクイッとあげる。



「アイカ殿下に従って、サラナがザノクリフ王国に入れば、さらに栄えることでしょうね」


「それなんですけど……」



 ロザリーの言葉に、アイカがおずおずと口をひらいた。



「サラナさんが、このままバシリオスさんのところに残りたいなら……」



 アイカのひかえめな視線を受け止めたサラナは、しずかにティーカップをおいた。



「私は……」

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