第230話 二度とやりませんからね!?

 眼前にひれ伏す長老たちの願いに、バシリオスは苦慮した。


 夜がくる前に組み立てられたゲルのなか。


 アイカ、ナーシャ、ロザリー、カリュ、サラナ、アリダ、アメルなど主だった者たちは、バシリオスの顔色を窺い、ジョルジュやニコラエは顔を背けて頭をかいた。


 長老のひとりが、言葉を重ねる。



「……義姉あね君のもとに向かわれるアイカ様を、これ以上お引き留めすることも出来ませぬ。身勝手なお願いであることは承知の上。……なにとぞ、なにとぞ、我らの王となってはいただけませんでしょうか?」


「……ふむ」


「我らの苦難の道は、これからが本番。……アイカ様のご尽力により、奴隷狩りどもを退けました。しかし、囚われた多くの者たちは、すでに西域に送られております。……それを取り戻さねばなりませんが、我らは国を持ったことがありません」



 バシリオスは眉間に深いしわを刻み、目を閉じた。



「国王と多くの捕虜を捕えたといっても、それと引き換えに同胞を取り戻す交渉など、我らの手では到底……」


「交渉ならば、手伝うことも出来ようが……。王とは……」


「国を持たずして、国と交渉することが叶いましょうか……?」


「む……」


「……懸念はそれだけではございませぬ」


「と、言われると?」


「我らは、初めて武器を持ちました。……この先も、武器を捨てることは出来ぬでしょう。いつまた奴隷狩りの兵が現われるやもしれません」



 哀切な響きを帯びた長老の声に、アイカは深くうなずいた。


 できれば、武器など持ってほしくはなかった。しかし、持たねば囚われた同胞を救うことはおろか、自分たちの身を守ることもできなかった。


 争いを好まないことに誇りを持って生きて来たであろう長老の言葉が、胸に突き刺さった。



「しかし、我らは未熟……。いまは心を合わせておりますが、いつか必ず《草原の民》同士が武器を向け合うことになりましょう」



 バシリオスは、ハッと顔色を変えた。


 草原をとりまく《聖山の民テノリア》《山々の民ザノクリフ》そして西域のリーヤボルク。そのすべてが内乱、内戦を経験している。


 ニコラエのいた深いため息が響く。


 長老は、しぼり出すような声でバシリオスに語りかけた。



「……そのとき、それを抑える術を我らは持ちませぬ……。一時の感情に駆られ、同胞に武器を向ければ、それを止めることは至難の技。我らは武器を持ってしまいました。……悲惨な内戦を防ぐには、強い王が必要なのです」



 長老たちも口にこそしないが、



 ――テノリアに居場所がないのなら、我らの王に。



 と、テノリアの状況とバシリオスの置かれた立場は理解している。


 そして、リーヤボルクという国がなくなった訳ではない。また自分たちを奴隷にしようと狙ってくるだろう。


 国家を打ち立て、それに備えることは急務であった。


 バシリオスはそれでもなお、苦慮の姿勢を崩さなかった。テノリアを混乱させた元凶ともいえる自分が、他国の王になるなど――、



「……聖山を仰ぐ諸国で王位に就くのは、すでに王位にある者からの賛意を得るのがならい。果たして私が、それを受けるに相応しいか……」


「リーヤボルクの王を捕えたバシリオス様こそ、我らが王と仰ぐのに相応しいお方……」


「しかし……」



 議論は膠着し、押し問答がつづくなか、ナーシャがスッと目立たぬように立ち上がった。


 そして、席をはずそうとゲルの出口に向かう。


 アリダが不安げにナーシャを見つめた。


 ゲルを出る直前、ふり向いたナーシャがちょいちょいっと、アイカとカリュに手招きをした。



 ――私ですか?



 と、顔を見合わせたふたりも、そっと席を立つ。


 アイカに用意されたゲルに入ると、ナーシャが大きく息を抜いた。



「肩がこるのう。ああいう話は」


「あ、はい……」



 なんの用で呼ばれたのかと、あいまいな返事を返すアイカに、ナーシャが悪戯っぽく笑った。



「アイカちゃんは、どう思ってる?」


「えっと……、よく分からないんですけど……」



 くるくると考えを巡らせるアイカ。



「……いい話だと思います」


「そう思う?」


「はい……」



 ナーシャが、ニマリと笑ってカリュに目くばせした。



「ならば、やることはひとつじゃの」



 イヤな予感しかしないアイカは、むずかしい顔でナーシャを見た――。



   *



 長老とバシリオスの押し問答がつづくゲルの中に、突然ニコラエの大音声が響いた。



「みなの者!! 控えよ――っ!!!」



 なにごとかと思った全員の視線が、ゲルの入口で膝を突くニコラエに集まる。



「ザノクリフ女王、イエリナ=アイカ陛下のおなりであ――るっ!!!」



 ナーシャとカリュが左右にバサッとゲルの入口を開く。


 現れたのは緋色のドレスをまとったアイカ。即位式のときと同様、カリュに美しくメイクアップもされている。


 凛とした表情で、静かに歩みはじめる。


 一瞬呆気にとられた一堂であったが、アイカの威におされ次々に膝を突き頭をたれてゆく。


 無表情に進むアイカであったが、ニコラエの横を過ぎるときには、



 ――すみませんねぇ、ニコラエさん。変なコトさせて。ナーシャさんがね、どうしてもやれって言うんですよ……。私じゃないですからね? 言い出したの。



 と、心の中でヘコヘコしていた。


 クリストフに「要るときもあるだろ」と、持たされていたザノクリフ女王のドレス。旦那様との絆の証……程度の気持ちで持ち歩いていたが、有無も言えないままナーシャに着せられ、カリュからもノリノリでメイクされてしまった。


 みなが平伏するなか、ナーシャとカリュを従え、ゲルの奥へと進む。



 ――み、水戸黄門かよっ!



 異世界こちらでは誰にも理解されないツッコミを自分に入れながら、無機質な表情を浮かべ、ゲルのいちばん奥でふり向いた。



「ザノクリフ女王、イエリナ=アイカである」



 若干やけっぱちではあったが、やる以上はしっかりやり切ると腹を決めたアイカの、冷厳な声が響いた。



「バシリオス殿の王位登極とうきょくに、ザノクリフ女王として賛同する」


「な……」



 膝を突いていたバシリオスが顔をあげた。


 アイカは表情を変えず、バシリオスに視線を送る。



「臣民となす《草原の民》をよく導き、国土を富ませ、邪なる外寇を討ち払い、末永く栄える王国を築かれるよう祈念いたします」


「イエリナ=アイカ陛下の御意である。謹んでお受けされよ」



 アイカの後ろに控えるナーシャが、女官然と言い放った。



 ――よくやるわ。



 という気持ちと、伝わってくる息子に新天地を与えたい母心と、アイカは複雑な心境であったが、顔には出さず、静かにバシリオスを見つめ続けた。


 やがて、バシリオスが口を開いた。



「ザノクリフ王から賛同を受けるは、テノリアの嘉例。聖山テノポトリを囲むザノクリフ、テノリア、そして我が新王国。三王国が手に手を取りあい、世を安寧に導くことをお誓い申し上げる」


「見事なお覚悟。このイエリナ=アイカ、感服いたしました。……《草原の民》の長老方よ」


「はは――っ!!」


「その方らが選んだ、その方らの王である。無限の忠誠を誓い、バシリオス殿の国づくりを盛り立てよ」


「か、必ずや……」



 軽くうなずいて応えたアイカは、バシリオスの前に歩を進めた。


 そして――、



「……バシリオス殿。《草原の民》を頼みましたぞ」



 と、草を編んでつくった冠を、バシリオスの頭に載せた。



 ――草原の王に冠を授ける。



 祖霊が託宣でしめした通り、アイカが冠をかぶせ、バシリオスは即位した。


 それを見つめるサラナの瞳が、喜びの涙に濡れた――。



   *



 自分のゲルに戻り、ナーシャにドレスを脱がされたアイカ。


 真っ赤にした顔を両手でおさえ、下着姿のままでゲルの中を転げまわった。



「は……、恥ずかしかった――っ!!!」


「よくやってくれたの……」



 ナーシャが、すまなさそうに声をかける。



「スベッたらどうしようかと思った――っ!!」


「ス、スベ……?」


「だって『誰?』って、みんな思ってたでしょ――っ!? 絶対、思ってた!! あ――っ!! 二度とやらない! 二度とやりませんからね!? 今回だけですよ!?」



 タロウの腹に顔を埋め、足をジタバタさせるアイカ。


「オレは?」という顔で近寄るジロウの首も抱く。


 そこに遅れて入ってきたサラナは、女王アイカから受けたつよい感銘を――、一瞬で見失った。


 傍らのアイラにささやく。



「……い、いつもこうなのですか?」


「ええ、こんな感じですアイカは。でも……」


「でも……?」


「ナーシャ様と一緒に旅をして、ようやく感情を、自然と表に出せるようになってきました」


「感情……」


「私ではまだ、王族として正しいことなのか分かりませんが、友人としては《良かった》……と、思っております」



 アイラの言葉を聞き、サラナはふたたび悶絶している主君をじっくりと眺めた。


 そのアイカの頭を、ナーシャが優しく撫でる。



「すまなかったの、アイカ……。しかし、これで《草原の民》は治まる」


「ですよね……?」


「このままリーヤボルクが黙っているとは思えんからの……。バシリオスも、いまさらテノリアの王位に就くことはできぬ。しかし、ここに国を打ち立てれば、テノリアへの防波堤ともなる」


「防波堤……」



 アイカは顔をあげ、ナーシャを見た。


 寂しさと安堵の入り交じった笑顔で、アイカの頭を撫でつづけている。



「……私もテノリアには帰らぬ。ここでバシリオスの国づくりを支えよう」


「ナーシャさん……」


「《草原の民》のことは任せておけ。きっと立派な国としよう。もう、あの美しい《踊り巫女》たちに怖い思いをさせることはない。リーヤボルク本国にも決して好き勝手はさせぬ」


「はい……」


「テノリアは頼んだぞ、アイカ」



 アイカは、ナーシャに抱きつき、その胸に顔を埋めた。



「……はい。きっと……、リティア義姉ねえ様と一緒に……、取り戻してみせます……」



 今度こそほんとうに、ナーシャとお別れになるのだと悟ったアイカの声には、嗚咽がまじる。


 ナーシャの左腕はアイカを抱き、右手は桃色の頭を撫でつづけた――。

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