第229話 虜囚燎原

 馬上でアーロンが目を光らせる。


 《草原の民》の兵士たちを預かった。ちいさな部隊をいくつも束ねた《大隊》を率いている。


 その部隊長たちに指示を飛ばし続ける。



「隊列を崩さず、しかし、硬くするな~。柔らかく、柔らかく、押してくる敵には引いて包み込んで、確実に仕留めろ~」



 アイカに従いコノクリアに入ってすぐに任された役目である。


 いきなり将軍格となることに戸惑いはあったが、実際に兵士たちに会ってみて疑問は氷解した。


 若者、壮年、初老、さまざま兵士が槍を持って迎えてくれた。


 その全員が《初陣》だと聞かされたのだ。


 争いごとを好まないと聞く《草原の民》が、同胞を拐われ、家族を拐われ、大切にしている草原を踏みにじられ、やむを得ず武器をとった。


 主君ベスニクを囚われ、不安な日々を送ってきたアーロンに他人事とは思えなかった。



 ――全員を、生きて帰らせたい。



 そう心に決めたアーロンは、兵に無理押しはさせず、しかし確実に前進していく。



「風になびく草のように、柔らかく構えろ~。敵をよく見ろ~。風に負けない草になれ~。お前たちが吹き飛ばされたら、家族を取り戻せないぞ~」



 怒号のような指示は控え、急造兵士たちの心底にやどる炎を信じた。


 自分が発破をかけずとも旺盛な戦意を、そのまま敵にぶつけるように心がけた。


 アーロンの大隊が攻め込むリーヤボルクの中軍は、すでにニコラエ率いるザノクリフの精兵200にかき回されている。


 無理押しをしなくとも戦線は崩壊寸前だ。


 そこに、つよい意思のこもった視線を投げかけながら、整然と攻撃してくるアーロンの大隊は不気味で、敵をさらに浮足立たせる。


 やがて、右軍を突破したジョルジュの部隊が、羊の大海沿いに駆けて合流してきた。



「おおっ! アーロン殿! さすが、手堅い攻め口ですな!」


「いや、私など所詮は近衛兵。本来、陣の采配を振るうような身でありません。兵を死なせぬようまとめるだけで必死ですよ。それよりジョルジュ殿こそ、見事に敵陣を攪乱されている」


「なあに賊の兵法にござるよ。こう……、裏をかいて……、裏をかいて……」


「それこそ、まさに兵法でございましょう」


「まあ、それで裏をかきすぎたのか、なにやら大物らしき者を取り逃がしてしまいましたわい。確実に押し包んでいくアーロン殿であれば、捕えられたやもしれません。惜しいことをしましたわい」


「いずれにしても、勝敗は決しましたな」



 と、アーロンが顔をあげると、霧が晴れ、空を覆う濃い灰色の雲がはっきりと見える。


 ジョルジュもおなじように空を見上げ、空模様を気にかけるように片目をつむった。



「……雨が降り出す前に終われば良いですな。初陣で疲れた身体を冷やすと、こたえますからな」


「まことですな。無事に帰してやりたいものです……」



 そのとき、ふたりの右手から大きな喊声が響いてきた。


 左軍を壊滅させたアイカとカリトン率いる本隊が、羊の大海をかき分け、中軍の横腹に攻めかかっている。


 羊たちは牧童に導かれ、通り道を開けた。


 逆に油断していた方向からの急襲に、中軍は恐慌をきたす。



「さて、アイカ殿下に負けてはおられませぬ。もうひと働きするとしますか」



 ニヤリと笑ったジョルジュは、部隊長たちに兵をまとめるよう指示を飛ばし、馬の腹を蹴った。


 ふたたび羊の大海に沿って駆け、壊乱状態の右軍に再突入してゆく。



 ――窮鼠猫を噛むということもある。



 気を引き締めなおしたアーロンは、投降してくる敵兵は拘束し、あくまで抵抗する者には確実にとどめを刺すよう指示を飛ばした――。



  *



 降り出した雨粒をほほに受けながら、アンドレアスは南に向けて馬を走らせる。


 周囲には親衛隊の兵士がわずかにのこるのみである。



 ――俄かには信じがたい大敗。



 サミュエルが押さえているはずのテノリア王国。


 その騎士団が、なぜ《草原の民》に味方しているのか。


 西域諸国は、西方への領土拡張しか興味がない。砂漠に近いテノリアへの侵攻など労多くして功少なしと考えていた。


 王家の内紛に乗じて、余計な兵を棄てるにはちょうどいい。内紛が収まるのなら感謝もされようし、たとえ負けても惜しくはない。


 その程度の認識であったアンドレアスにとって、ヴィアナ騎士団が戦場に現われたことは驚愕の一言であった。


 しかも、その時点で、リーヤボルクの内戦を勝ち抜いた強兵のはずだった15万が、見るも無残に斬り裂かれていた。指揮命令系統はズタズタで、歴戦の勇将たちも兵をまとめられない。寝返りも多数おきていた。



 ――まだ、本国には精鋭5万が残っている。



 目のまえの丘を超えたら、リーヤボルク国境までは目と鼻の先だ。


 ただちに軍を立て直し、テノリア王都に陣取るサミュエルと連携し、必ずや復讐を果たす。


 もとは交易の利ザヤをかすめる都市国家群でしかないテノリアなんぞ、まともにいくさを挑めば後れをとるはずがない。


 ギリッと大きな音をたてて奥歯を噛みしめたとき、


 丘のうえに軍旗が立った。



 ――敗報が届き、援軍を出してくれたか!!



 と、眉根をひらく。



 ――いっそ、このまま取って返し、草原の者どもごとテノリアも討ち滅ぼしてくれようか!?



 次々に立つ軍旗にそう思いを巡らせたアンドレアス。


 しかし、近付くにつれハッキリと見えて来たのは、軍旗に染め抜かれた戦神ヴィアナの姿であった。


 丘のうえに馬を進めたバシリオスが、敗残の騎兵を見下ろした。



「なんと……、サラナの報せてきた位置と寸分たがわぬ」


「さすがにございます。……地勢だけで、軍の動きを読み切る。サラナにしか為し得ぬ芸当です」



 馬をならべるロザリーが、穏やかな口調で言った。



「我らの目には平地と変わらぬ草原から、地勢を……。まこと、アイカ殿下によい贈物をなさいました」


「ふふっ。…………サラナは持てるすべてを私に捧げ、守ってくれた」


「はい。侍女の鑑にございます」


「次はアイカのもとで、自分の幸せをもらいたいものだ」



 万騎兵長ノルベリ、親王アメルと兵を半分に分けたヴィアナ騎士団4,000が、馬を急停止させたアンドレアスのまえに立ちはだかる。


 わずかの間、立ち往生していた騎兵は、馬首を西に向けた。


 バシリオスが眉をピクリと動かした。



「見よロザリー。さすがは30年の内乱を制した乱世の雄アンドレアスよ。つまらぬプライドになど見向きもせず、躊躇いなく背を向け逃げだしおる」


「……あ奴もまた、労苦を背負うために、生き残るのでしょう」


「それでは、望みどおりにしてやらねばな」



 バシリオスが右腕をふり上げると、ヴィアナの騎士4000が、一斉にアンドレアスめがけて襲いかかった――。



  *



 アイカが本陣に戻ったころ、戦場の血を洗い流すかのように降り注いだ豪雨がやんだ。



「焚火! 焚火――っ! もどってくる皆さんが身体を乾かして、温もれるようにしてくださ――いっ!」



 びしょ濡れのままのアイカが声をかけて回る。


 馬止めに使っていた木材や、本陣を囲っていた柵を回収して、ちいさな焚火がいくつも燃やされた。



「捕虜のみなさんにも暖をとらせてあげてくださ――いっ! 風邪ひかれても、いいことありませ――ん!」



 手首や腰に縄をかけられたままではあるが、捕虜となったリーヤボルク兵のそばでも焚火がたかれる。


 未開の民族と見下し、奴隷にするつもりであった《草原の民》。


 情をかけられ屈辱に顔を歪める者、まさかの大敗に放心状態から返ってこれぬ者、敗北を受け入れうなだれる者。囚われた大量の兵士たちは、さまざまな表情を見せている。


 勝報の届いたコノクリアからは長老に加えて、女性たちも駆け付けた。



「ごはん! ごは――んっ! お腹、ペコペコで――すっ!!」



 と、アイカに言われるまでもなく、数万人分の炊き出しが一斉に始まっている。


 カリュやサラナ、アイラも炊き出しに加わっており、その中にはハラエラから駆け付けたナーシャとアリダの姿もあった。


 《草原の民》のたちは、それがまさか王妃と内親王とは思わず、一緒に大なべをかき混ぜながら笑い合い、勝利の喜びを分かち合った。


 やがて、アイカのもとにニーナが姿をみせた。



「ニーナさぁ――ん!!!」



 と、駆けて飛びつくアイカ。


 それを抱き止めたニーナは、感激のあまりなかなか声を発することができない。


 そばにはラウラとイェヴァが寄り添い、抱き締めあうふたりに、ふたたび胸を熱くした。



「ありがとう……、ありがとうね……、アイカちゃん」


「無事で、……無事でよかったです」



 やがて、地平線に近づく真っ赤な夕陽を背に、王者の威風放つバシリオスがヴィアナ騎士団を率いて本陣に到着した。


 歓声にわく《草原の民》たちに迎えられ、隊列は整然と進みアイカのまえで膝をついた。



「アイカ殿下。そして、《草原の民》の皆さま。戦勝、おめでとうございます」


「ありがとうございます、バシリオス殿下」



 アイカも王族の礼に則り、バシリオスの到着を迎える。


 その後ろでは、長老たちが顔もあげずに平伏し、感謝の念をあらわした。


 アイカがバシリオスの手をとる。



「殿下率いるヴィアナ騎士団が、後軍にひかえる強敵の国王親衛隊を抑えてくださったからこその勝利でございます」


「こちらは、ほんの手土産」



 と、引き出されたのは、縄で縛られたリーヤボルク王アンドレアスであった。


 鎧を剥がされ、土埃にまみれ、雨に打たれたずぶ濡れのシャツだけを着た無惨な姿。自裁を防ぐための縄を口にかけられ、恥辱に顔をゆがめていた。



 夕陽が染める燎原に、バシリオスとアンドレアス、ふたりの王者は虜囚の立場を入れ替えた――。

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