第189話 幸運の女神

 微笑んだウラニアが、ガラの話に応えた。



「よく報せてくれました。情報へ感度と素早い行動。往年の国王侍女長ロザリーを彷彿とさせます」


「いや……そんな……。言い過ぎです……」


「ふふっ。なにもなければ、それで良いのです。……ただ、なにかあればロマナを深く傷つけてしまう」



 ガラは真剣な表情で、深く頷いた。



「……ロマナは、母から顧みられぬことに、心を痛めて育ちました。ただでさえ母親の愛情に飢えたあの娘に、自ら母を処断させたくありません。……ロマナであれば、母であろうと分け隔てなく裁くでしょうからね」



 ウラニアは窓から見える離宮に目をやった。



「離宮には私が顔を出して確認いたします」


「ありがとうございます」


「……ガラ」


「はい」


「ロマナを、よろしく頼むわね」


「……はっ」



 ガラは胸騒ぎを覚えた。ウラニアにではない。なにか、とんでもない不幸が起こるのではないかという胸騒ぎ。


 この嗅覚があればこそ、地下水路での過酷な孤児生活を生き抜けたという自負もある。危険な場所に無鉄砲に飛び出して、命を落とした孤児仲間たちの顔も頭をよぎる。


 しかし、今の自分に出来ることは、ひとまずやり終えた。


 大恩あるロマナに災厄が降りかからないことを祈って、ウラニアの前から退出した。



「アイカちゃん……」



 こういう時、ガラは密かにアイカを想う。


 アイカに出会ってから自分の人生にはいいこと続きだ。ガラにとっては《聖山の神々》より、アイカの方がよっぽど幸運の女神である。


 公宮の高い壁から顔をのぞかせた朝陽に、目を細めた――。



  *



 ガラがアイカを想って朝陽を見上げた前の晩――、


 2人の女子が背の高い草むらに隠れて、やはりアイカのことを想っていた。


 どこまでも続く夜の草原。


 あたり一帯が白い煙に薄く覆われ、2人の視線の先では炎があがっている。



「くそっ……、ニーナが拐われた」



 拳を地に打ちつけたのは、踊り巫女のイェヴァであった。


 リティアの王都脱出に協力したあと、ニーナ、ラウラと共に無事帰国していた。しかし、深夜に突然現れた軍隊に集落を焼き払われ、住民たちは囚われてしまった。


 ニーナが逃してくれなければ、自分たちも捕らえられていたはずだ。


 やはり取って返そうとしたイェヴァをラウラが押さえた。



「……行っても、捕まるだけ」


「だからって、このままじゃ……」



 軍隊の正体は分からない。


 ただ、戦を好まない《草原の民》は時折、奴隷にしようとする西域の兵や賊に襲われることがあった。


 恐らくは、その類の襲撃であろう。


 草むらから燃える集落を見詰めるラウラが、つぶやくように言った。



「アイカちゃん……」


「……アイカ? ……あの《無頼姫の狼少女》がどうした?」


「将来、草原の民を救うって、祖霊の託宣が降りた……」


「……たしかに」



 リティアの王都脱出に協力すべきかどうか、祖霊を降ろして伺いをたてた時のことだ。


 イェヴァも、その言葉をハッキリと聞いていた。


 ラウラがイェヴァに顔を向けた。



「アイカちゃんに、助けてもらいに行こう」


「いや、アイカは砂漠だろ? 呼びに行っても間に合わないって」



 遠く《草原の民》まで最新情報が届くのには時間がかかる。2人にとって、アイカはまだルーファにいる。


 しかし、ラウラは左右に首を振った。



「ううん。きっと、大丈夫」



 いつもと変わらぬおっとりと聞こえる口調。


 だが、確信めいたものも感じられる。



「今までニーナの降ろした祖霊の託宣に間違いはなかった。言う通りにしてれば、きっと降ろしたニーナも守ってくれる」


「……っ!」



 目の前で連れ去られていく同胞。


 大切な草原を焼く炎。


 イェヴァの心は焦燥感でいっぱいだったが、ラウラの言葉の正しさも認めていた。


 その気持ちも分かるラウラが、そっと身を寄せた。



「ニーナが助けてくれた」


「ああ……」


「今度は、私たちが助ける番」


「……そうだな」


「大丈夫。このまま奴隷にされるのと、着の身着のまま草原を渡ってテノリア王国を横断して、さらにプシャン砂漠を渡るのと、……どっちが苦難の道か分からない」


「ははっ。……妙な励ましだな」


「……夜が明けたら、アイカちゃんに会いに行こう」



 覚悟を定めたイェヴァは、黙って頷いた。焼け落ちる集落を見詰めながら。



  *



 アイカの重ねた出会いの煌めきが、旧都にとどまらず各地に広がりはじめた頃――、


 公子クリストフと待ち合わせた交易の中継都市タルタミアに、アイカたち一行が到着した。

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