第175話 無頼の母娘

 のんきな顔で湯に浸かる二頭の狼を見て、ルクシアが手を打った。



「そうかそうか! あんたが《無頼姫の狼少女》かぁ~!」


「あ、ええ……、まあ……」


「リティアの義妹いもうとに収まったかぁ~。うんうん、それは良かった」



 感無量といった様子で、何度も頷くルクシアに、アイカが恐る恐る問いかけた。


 渋滞が解消して、もとの人との関わりが苦手なアイカが顔をのぞかせている。



「……それで、なんでアイラさんを置いて家をでちゃったんですか?」


「ああ……」



 ルクシアも湯煙の向こうに、アイラの真剣な眼差しを見付けた。



「……アイラは聖山戦争が終わって3年後、私が44歳のときに出来た娘さ」



 アイラは18歳……。ということは、ルクシアは現在62歳かと、アイカは思ったが、テノリア王家の女性がいつまでも美しく若く見えるのには、もう慣れていた。


 68歳の王妃アナスタシアと58歳の第2王女ウラニアのちょうど中間くらい。そう思えば、むしろ年齢相応の大人の女性に見えなくもない……。


 などと考えながら、黙って頷く。



「親父は私が生まれた年に王太子を返上して、無頼に身を投じた。私が物心ついたときには大親分アレクとして《聖山の大地》を駆け回ってた」


「へぇ~」


「ま。ありていに言えば、聖山戦争の裏で暗躍してたって訳だ。私も15歳の頃――追贈女王オリガ陛下が崩御された頃には、親父の名代としてアチコチ駆けずり回ってた」



 ルクシアは楽しかった日々を思い返すように、目を細めた。



「カリュの親父、マテオともアルナヴィス戦役の時から顔見知りだ」


「えっ?」と、カリュが声をあげた。


「赤ん坊だったカリュを抱いたこともあるんだぜ?」



 と、顔に浮かべた笑顔は見覚えある悪戯っぽいもので、たしかにテノリア王家の血統を示しているように、アイカには思えた。



「ヴールのアーロンは、親父のハビエルがヴール戦役当時の知り合いで、何度も飲んだことがある」


「そうでしたか」



 と、チーナが真面目な表情を崩さずに頷いた。



「……聖山三六〇列侯を、どれひとつ滅ぼさずに王国に参朝させた裏には、親父や私、シモンやチリッサなんかの、無頼の働きがあったって訳だ」



 ルクシアは照れ隠しのような苦笑いを浮かべた。



「話が脱線しちまったが、要するに生まれた時から無頼として育って、走り回って、ついに聖山戦争が終結して、ポケッと過ごしてたら娘が出来ちまった。……いや、相手とは惚れあってたし嬉しかったんだが、……その相手が、アイラが生まれる前に病いでポックリ死んじまった……」



 アイラは表情にこそ驚きを浮かべている。


 が、口には出さず真剣に母ルクシアの話を聞いている。



「そしたらだ、親父が急に、私に、この無頼の世界しか知らない私に、王家に戻れとぬかしやがった。……いやぁ、喧嘩したした。丸5年。お互い一切折れないし、口をきかないなんて器用なマネも出来ないから、ずっと喧嘩してた」



 ルクシアは鼻の頭をかいた。



「見かねたシモンが私とアイラを自分の家に引き取って……、でまあ、アイラも5歳だ。5歳といえば立派に分別もつく歳だし、私は家を出た……って訳だ」



 ――5歳で分別は、無理では?



 と、アイカは思ったが、話を聞いている面々は「さすが聖山戦争世代は言うことが違う」と、呆れ気味に敬意を抱いていた。


 それは、娘のアイラも同様であった。


 ルクシアがそのアイラを真っ直ぐ見詰めた。



「ずっと《聖山の大地》を旅して過ごした13年だからよ、王都に戻ってるときはアイラの顔も見てたんだ」


「そっか……」


「そんなに寂しがってくれてたんなら、声くらいかけたら良かった。気の効かない母親ですまなかった」



 と、ルクシアは湯面に鼻をつけて、頭を下げた。


 アイカが、ススススッとアイラに近寄った。



「……どうですか?」


「ん?」


「お母さんの話、納得できました?」


「納得なんかする訳ないだろっ!」



 と、アイラが大笑いした。



「……アイラさん」


「でも、お母さんにはお母さんの人生があって、しかも、私を捨てたつもりはなかった。じゃあ、それでいいんじゃないか?」



 アイラはニヤリと笑った。


 どことなく悪戯っぽい《王家の笑い》のように、アイカは感じた。


 カリュもアイラに近寄り、肩に手を置き微笑んだ。アイラは先輩に認められたような照れくささを覚えて、顔に赤味がさす。


 湯の中で触れ合う大きな胸同士に、アイカの目は釘付けになっていたが、そんな場合ではないと断腸の思いで振り切る。


 アイカはルクシアに向き直った。



「それで、ルクシアさんはこれからどうされるんですか?」


「そうだなぁ……。王家の内輪揉めに首突っ込む気にもならないし、しばらく他国よそを旅すっかなぁ」


「それならっ!」



 と、思わず出てしまった大声に、アイカは頬を赤くした。



「……それなら、提案があるんですけど……」



 ひかえめな小声ながら、確たる意志を持って人と交わるアイカを、ヒメ様がにこやかに見守り続けていた――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る