第170話 ヒメ様との再会


「はい、はーい――っ! ちゅうも――っく!」



 めずらしく大きく張り上げたアイカの声が、深い森の中に木霊した。


 刃と刃が激しくぶつかり合っていた音がピタッと止まる。



「情報が渋滞しすぎで――っす! 全員、武器をしまって集合――っ!」



 先ほどまで、剣と剣を突きつけ合っていたもの同士が、互いに顔を見合わせる。



「殿下命令で――っす! はい、しゅうご――っ!」



 桃色髪の少女が自ら「殿下」と名乗ったことに、困惑する者もいたが、とりあえず皆、剣をおろし鞘にしまった。


 いずれにしても「渋滞し過ぎ」ということに関しては、皆、同感だったからだ。


 皆がぞろぞろ集まる中、アイカは空を見上げる。大木に囲まれた半年前ほどまでサバイバルしていた山奥。


 そこに着いて、感慨にふける間もなく起きた出来事を整理しようと、試みて眉間に皺を寄せる――。



 *



 アイカ思い出の泉に到着した時、みんなヘトヘトだった。


 とりあえず、旅の汚れを落とそうと、女性陣から先に泉で水浴を始める。



 ――ふ、ふおぉ……。



 皆の肢体に、アイカが心の雄叫びを短めに切り上げるほどには、疲れていた。


 まもなく春という時期ではあったが、水は冷たい。皆、少し身を震わせながら背中を流し合う。


 ところが、不意に水が熱を帯びる。


 見ると泉の淵に、光り輝く女性が呑気な風情で浸かっている。


 目をむいたアイカが、思わず呼びかける。



「か、神様!?」


『久しいの、愛華』



 アイカを異世界こちらに転生させた神功皇后が、光り輝きながら、薄絹をまとって気持ち良さそうに湯に浸かっていた。


 アイカの言葉に、カリュたちの視線も驚きに満ちる。



『我は気長足姫尊おきながたらしひめのみこととも呼ばれる。故にと呼ぶことを許すぞ』


「ヒ、ヒメ……様……、どうして?」


『うむ。異界とはこの泉でしか繋がっておらんのだが、思いのほか強い結界が張られて、愛華の様子を窺えなんだ。晴れたらと思うや、飛ぶように去って行ってしまってのう……』


「ああ……嬉しくて……、なんか、すみません」


『よいよい。愛華が異界で得た新しい生を謳歌するなら、それが一番じゃ……と、自分に言い聞かせておったのだが、気になって仕方なくてのう。なにせ、これまで我が異界に送ったは愛華のみ』


「あ、そーなんですね」


『そうするとじゃ。久方ぶりに愛華の声が聞こえた。耳を澄ませば、契りを結ぶ義姉あねを大切にすると誓っておる』


「あっ。……あのとき、ヒメ様のこと思ってました」


『我に祈ってくれるとは、嬉しかったぞよ。すっかり忘れられたものだとばかり……』


「あ、いえ……、異世界こっちはヒメ様のかなぁ……って」


『うむうむ。それで、そのうちこの泉にも顔を見せてくれまいかとっておったのじゃ』


「張って……」



 と、ヒメ様は、驚きの表情のまま自分を見つめるカリュ、アイラ、チーナに気が付いた。



『驚かせて済まんかったの。我は異世界こちらの言葉で言えば、愛華の守護聖霊であるぞよ。そう堅くならずに、湯に浸かれ。女同士ではないか』


「……こ、この泉の水を湯に変えたのは……?」



 と、カリュの後ろに隠れたアイラが言った。アイラは山を越える旅の間に、9つ年上の先輩巨乳カリュにすっかり懐いた。



『うむ。我が御業みわざぞ。なにせ、我は《神様》……、であるからの。良いから浸かれ。女子が身体を冷やすものではないぞ』



 状況が飲み込めないままに、肩まで浸かる女子たち。たしかに温かい。ふわあっと、息を漏らした。


 タロウとジロウも続いて湯に浸かる。


 アイカがおずおずとヒメ様に語りかける。



「あの、それで、どういったご用件で……?」


『うむ! 顔を見に来ただけじゃ!』


「あ、そういう……」


『……元気そうでなにより。ミレーヌとかいった、精霊を使役して我を呼んだ娘も満足であろう』


「ミレーヌ……?」


『ミレーナじゃったかな?』


「その方は……?」


『そうか……。あの娘……、名を名乗るほどの猶予もなかったか……』



 ヒメ様は不憫げに目を伏せた。



『……ミレーナは、愛華の今の身体の母親じゃ』


「眼鏡の?」


『そうそう』


「小柄な?」


『そうじゃ。あの幼き顔立ちをした母親の哀切な求めに、我は応えずにはおれんかったのじゃ……』



 ――娘になってくれて、ありがとう。



 アイカは自分を異世界に呼んで、霧のように消え去った娘の声を忘れたことはない。


 あの時から自分の人生が始まったのだと痛切に思う。胸に湧き上がった熱の熱さは、今も自分の身体を巡り続けているように思える。


 ヒメ様が眉をピクリとさせた。



『なんじゃ。せっかく愛華に会えたというに、無粋な連中じゃ……』



 チーナが温泉と化していた泉を、ザバッと飛び出す。それにカリュも続く。


 アイカの耳にも剣で撃ち合う音が小さく響いてきた。


 アイカとアイラも飛び出し、手早く濡れた身体を拭き、服と防具を着込む。



『はよう済ませて、戻ってこいよー』



 ヒメ様の声に見送られるように、戦いの音がする方に女子4人が駆けた。


 タロウとジロウは何故か湯に浸かったまま動かない。ヒメ様が蕩けたような顔をした狼二頭に話しかける。



『愛華も、たくましくなったのう……』



 ヒメ様と狼二頭は、嬉しそうに目を細めた――。


 それが、大渋滞の始まりだった。

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