第八章 旧都邂逅

第169話 深淵なる奥義

 岩肌がむき出しの斜面を横切って進む。ところどころに草は見えるが、ほぼ岩と石。シトシトと降り続ける雨のせいで、足元が滑りそうになる。


 アイカが目を上げると、先を行くタロウの向こうに崖が見える。



「あの崖まで行けば、雨宿りできる場所もありそうですな。もう一踏ん張りですぞ、アイカ殿下!」



 後ろを歩くジョルジュが、モジャモジャの髭をしぼりながら言った。ジャバッと足元に水が落ちた。


 プシャン砂漠を抜け、山岳地帯に入って2日目。はやくもアイカは後悔していた。



 ――自分、山、なめてました……。



 長年過ごしたサバイバルで過信していたが、砂漠に近い一帯は岩山で、勝手がまったく違った。


 そもそも、山奥に張られた結界に守られて生活していたアイカに『山登り』の経験はない。


 タロウの先導で、道なき道を一列になって進む。


 顔を流れていく水流を手で払って後ろを振り返ると、みんな無口だ。最後尾のジロウも元気がないように見える。



 ――こんなとき、リティア義姉ねえ様なら、なんて言って励ますだろう?



 義姉妹しまいの契りを結んだリティアは、生まれながらにして《リーダー》であった。1000人の第六騎士団を率いても、いつも軽やかで快活な笑顔を見せていた。


 だが今、自分もいれてわずか6人と2頭を率いるだけでも、アイカには荷が重く感じられる。


 みんなを、ずぶ濡れに雨に打たせてしまったことさえ心苦しい。



 ――どうせ、リティア義姉様のようには出来っこないんだから……。



 どういう運命のいたずらか、第3王女の義理の妹として『殿下』と呼ばれる立場になってしまった。それに相応しい心の置き方を、自分なりに見つけていかないといけない。


 そう思いながら足元の石で転ばないように、一歩一歩を慎重に踏みしめていく。


 ふと、リティアの声が聞こえた気がした。



 ――そんなこと考えるだけでも、サヴィアスよりは偉いぞ!



 サヴィアスは義兄ということになるのだろうか? 不遜な想像に、クスッと笑って、アイカは前を向いた。



  *



 崖までたどり着くと、雨をしのげる窪みが見つかったので、皆で腰をおろす。


 火を起こそうにも、燃やせるものが見当たらない。とりあえず、身体についた水を出来る限り払う。


 ふと、百騎兵長のネビが皮袋から布巾タオルを取り出し、侍女のカリュに差し出した。



「……私ですか?」



 戸惑うカリュに、ネビが眉の薄い顔を背けた。



「……遠慮なく使ってくれ。……目の毒だ」



 アイカが見ると、カリュのぐっしょり濡れた胸元に白いシャツが貼り付いていて艶かしい。ハッキリ言えば、エロい。


 そうでなくとも、王都で一番巨きいのではと言われていた膨らみが、より強調されて見えた。



「あ……。なんか、すみません……」



 申し訳なさそうなカリュと、所在なさげなネビの姿とが、皆の笑いを誘った。



「いやはや、ネビ殿も、朴念仁かと思っておりましたが、さすがはまだ20歳はたちの若者! お盛んですなっ!」



 ジョルジュが賊の首領らしい笑いを見せると、ネビが薄い眉を寄せた。



「……目に入るものは仕方ない」


「はっは。儂なぞ、すっかり老いぼれてしまい気にもなりませんでしたわ!」



 ――この『パーティ』では、男性は2人だけですからね。



 アイカがうんうん頷く。


 であるアイラの膨らみもなかなかに豊かだが、サイバーパンクな革の衣装が水を弾いている。おそらく、中はぐっしょり濡れているが、見た目では変わりがない。


 ふと、眼帯美少女チーナが、胸元を拭うカリュをまじまじと眺めているのに気が付いた。


 もしやチーナさんも同志!? と、一瞬、目を輝かせたアイカだったが、チーナの口から出たのは飽くまで真面目な質問であった。



「カリュ殿は、優れた間諜であると聞いていたが……」


「ええ……」



 カリュが謙遜するように応えた。



「そのように……、をお持ちで、どうやって間諜の務めを果たされているのだ?」



 チーナの真剣すぎる表情に、思わずアイラが吹き出した。


 カリュは、その持ち味であるオドオドした表情のままで平然と応えた。



「私と会う者は、皆、ちちのことしか覚えていないのです。乳をうたがう者は、この世に存在しません。男女を問わず」


「お――っ」



 という、感嘆の声が静かに一座を包んだ。


 全員が、



 ――たしかにっ!



 と、思っていた。


 アイカも改めてカリュの顔を見ると、かなり美しい。仕えていたサフィナに劣らない美貌と言えた。しかも、美しいものを愛でずにいられないアイカをしても、初めて見たような驚きがある。


 そして、そのオドオドした表情が視線を胸に誘導させる。



 ――うたがわしきおっぱいなんて、確かにこの世に存在しませんね。



 アイカは深く頷いて、惚れ惚れするような山脈を眺め続ける。



「深淵なる間諜の奥義をお聞かせいただき、感銘を受けました」



 と、クソ真面目に頭を下げたチーナに、カリュまで吹き出してしまい、一座は笑いに包まれた。


 そして、強面のネビに「年下だったんだ……」と、つぶやく27歳のカリュの言葉も、笑いを誘った。


 状況がひど過ぎてハイになっているのもあったが、急造のパーティは少しずつ打ち解けてゆく。


 ジョルジュが雨の向こう側を指差した。



「あの尾根を越えれば、森が広がっておるはずです。山は山ですが、雨がきてもずぶ濡れになることはなくなりますわい」



 アイカが目を細める。



 ――故郷って訳ではないけど。



 異世界こっちに来てすぐの7年を過ごした山奥。


 今見れば、どんな気持ちになるのか。その自分にだけ、少し興味があった。



  *



 やがて、雨雲が去り、雨にかわって降り注ぎはじめた陽光に一息吐いた後、パーティは再び進み始める。


 そして、アイカの記憶に深く刻まれた山奥の泉。


 その澄んだ水面に反射した木漏れ日が煌めく中、思わぬ再会が待ち受けていた――。

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