第168話 姉妹が成した契誓

 摂政正妃ペトラは、ヴィアナ騎士団スピロ万騎兵長幕下5,000名の兵を掌握した。


 摂政サミュエルは、異議を唱えなかった。リーヤボルク兵55,000人、ザイチェミア騎士団8,000名に比べれば僅かな数であると見ていた。


 また、それだけペトラの政務処理能力に頼っているという面もあった。


 ささやかなことで、雑務を一手に引き受けてくれている妃の機嫌を損ねたくなかった。


 やがて、ルカスが国王に即位した。


 戴冠式には、スピロも末席ながら参列した。


 大神殿で目にしたバシリオスは、巨漢のリーヤボルク兵に身体をガッシリと戒められた無惨な姿で現われた。


 実際は、ひとりでは立てないバシリオスを、見張り兵ヨハンが支えている。


 しかし、遠目に見るスピロの目には、痩せ衰えたバシリオスが人相の悪い巨漢に囚われているかのように見えた。



 ――おいたわしい。



 と、口にできる立場ではなかったし、心に思うことさえ憚られた。


 傍らに寄り添うのが侍女長サラナだとは、しばらく気が付かなかった。アーロンたちに比べれば、日々接することの多かったスピロからすれば、サラナの面貌は大きく変わっている。トレードマークの赤縁眼鏡がなければ、最後まで気付かなかったかもしれない。


 スピロは、目を逸らした。


 自分は討たれなくてはならないと、強く思った。


 いずれ、誰かが解放してくれる。この苦しみから解放してくれる。その日まで、ペトラを支えて国の形、王都の形を守る。リーヤボルクの好きにはさせない。


 続いて、ペトラの命により、妹内親王ファイナをめとった。


 サミュエルの獣欲に晒したり、リーヤボルク本国に送らせないためのペトラの処置であった。


 しかし、スピロはファイナの身体に触れることはしなかった。



「ファイナ殿下。いつか、王都よりお逃がし申し上げる」


「旦那様……」


「いけません。ファイナ殿下は、いまだ清らかな身の上。この結婚は偽りのものと心得てくださいませ。これまで通り、スピロとお呼びください」


「スピロ殿……、私に出来ることはないのでしょうか?」


「ファイナ殿下には幸せになっていただきたい。それがペトラ殿下の御望みであり、私の切なる願い……、いえ、せめてもの罪滅ぼしにございます。国のことはペトラ殿下と、私めが身体を張って守ります。ファイナ殿下まで、この地獄の業火に身を晒すことはありません」



 スピロが、ペトラに従って遂行していることは、王都ヴィアナを維持するための活動である。


 しかし、それは同時にリーヤボルクによる占領政策をスムーズに施行する手助けをしていることでもある。それでも、気を抜けばリーヤボルク兵の手で、王都は無茶苦茶にされてしまいかねない。


 大きな葛藤を抱えつつ、王都ヴィアナを守っている。


 憂いに満ちたスピロの額を、ファイナが撫でた。



「スピロ殿……、いいえ、やはり旦那様。私はかつて姉ペトラと共に、我らの主祭神、天空神ラトゥパヌの前で誓ったのです。この命尽きる日まで、姉妹仲良く、共に助け合い、慈しみ合い、喜びも楽しみも、そして苦しみも分け合って生きていこうと。契誓けいせいを成したのです」



 ファイナの瞳には、強い光が宿りはじめていた。



「姉ペトラが地獄にあるというのに、どうして私だけが逃げて幸せになることができますでしょうか? 天空神の御前で契り誓った、姉との約束を破ることなどできません」


「ファイナ殿下……」


「姉と旦那様の向かわれる先が地獄であると言うなら、どうぞ、ファイナもお連れ下さいませ」



 ファイナは、スピロの厚い胸板に身を委ねた。


 しかし、スピロが抱き締めることはなかった。


 ただ、押し退けるということもしなかった。その華奢な身体を受け止め、静かに佇んでいた。


 可憐な内親王姉妹が、かつて成した契誓けいせいを守り、王国のためにその身を捧げるというのであれば、ヴィアナの騎士である自分の役目は、最後まで寄り添い、つき従うことであろうと悲壮な覚悟を固め直していた。




 まだ、《聖山の大地》に、リティアとアイカが義姉妹しまい契誓けいせいを成したという報せは届いていない。


 ただ、もう一組の姉妹が交わした契誓けいせいが、悲しい輝きを放ち始めていた。


 アイカはプシャン砂漠をゆっくりと北上し、まもなく、かつて7年間のサバイバル生活を送った山岳地帯に到達しようかという頃のことであった――。

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