第22話 晩夏の草原
――あぁ。あの人は、感じ悪かったな。
不意に、アイカは王宮の中庭で出くわした王族のことを思い出した。
タロウとジロウを怪訝な目で見て「ますます嫁の貰い手がなくなるぞ」と、リティアに言い放ったのは第4王子のサヴィアスだった。額に長く垂らした銀髪が印象的な、父譲りの偉丈夫で『聖山戦争』終結の翌年に生まれた21歳。
側妃サフィナの長男で、『盾神アルニティア』を主祭神に戴く、アルニティア騎士団を率いる。
「ずっと陛下にお仕えできるなら、それはそれで本望ですよ」
と、笑い飛ばすリティアを、忌々しげに鼻で笑い立ち去った。
――それだけ、初日はリティアさんが守ってくれてたんだ。
と、アイカは改めて思う。
それに、あの威張った第4王子が、タロウとジロウに触れて満面の笑みを浮かべた第5王子エディンの、母を同じくする兄とは、にわかに信じることができなかった。内気で「カワイイ」の結晶のような第5王子と、尊大で嫌味な第4王子。随分、歳も離れている。
サヴィアスは国王の寵愛を独占する側妃サフィナに甘やかされ、思いやりに乏しく自尊心の強い傲岸な男に育った。
自分には任じられない『束ね』の役目を賜ったリティアのことが、激しく気に障る。しかも自分には、リティアのように社会の中で必要な役目を自ら見出し、王に献言できるような才覚も備わっていない。そのことがサヴィアスを余計に苛立たせた。
『天衣無縫の無頼姫』の名声が高まる度、精悍な外見から離れ、性情が曲がっていく最中にあった。
――側妃サフィナはバシリオス殿下を王太子から廃し、サヴィアス殿下を次期国王に就けることを目論んでいる。
という噂話があると、アイカは教えられた。
それは噂を広めたということではなく、むしろ、触れてはいけない
「弓は……」
ヤニスの声に、アイカの思考が呼び戻された。
「……どう引く?」
それだけ言うと、顔を背けて黙り込むヤニスに戸惑うアイカを見て、カリトンが言葉を継いだ。
「それは、私も気になります。引き絞ってから放つまでが、速いような……」
カリトンは千人の兵を統率するのに、部下の一人ひとりを理解し率いるタイプで、ヤニスの性情を理解し始めていた。
ただそれだけに、不心得者を出してしまった心の傷も深かった。
アイカは、カリトンの問いに、ゆっくりと考えながら応えた。
「それは……、あまり力が強くないので……、一番力のかかるところに来たらすぐに放すようにしました……」
「狙いは……」
と、ヤニスの質問は断片的で要領を得ない。
アイカは意図を汲み取れず、ヤニスとカリトンの顔を交互に見て、カリトンが微笑むと顔を赤らめる。
「引いてすぐ放つのですね。引いた状態で固定しないと、狙いが定めにくいのではないかと思うのですが、それはどのように?」
「それは……」
アイカは山奥のサバイバル生活で、誰に教わることもできず、記憶を頼りに弓矢をつくり、使い方も自分で工夫して身に付けて行った。
「そうか……」
完全に自己流の技術を、ひとつずつ思い出しながら、初めて言葉にしていく。
「引く方の手で……、操作、できるように、練習しました……」
ヤニスとカリトンは同時に、ふむと同じような響きで唸った。聞いたことのない技法を耳にし、考え込んでいる。少し離れたところに座るクロエとジリコも聞き耳を立てている。
肉を口にしたい一心で編み出した。とは、アイカは言わなかった。
最初にツノウサギを仕留めたときの達成感を覚えている。山奥で一人きりになった後、異世界転生でも異世界召喚でもなくて、単に山で遭難したんじゃないかという疑いを一発で晴らしてくれたツノの生えたウサギ。
焼きはしたものの、恐ろしく生臭い兎肉が、格別に美味しく感じられたことも鮮明に覚えている。血抜きの練習を始めたのは、少しあとのことだ。
リティアは、キョロキョロと忙しいアイカを眺めて微笑んだ。
――年の頃は16歳のヤニスの方がお似合いだが、ややカリトンの方に気がいっているかな?
出会ったばかりの3人に気の早い話だが、周囲の者が幸せになる想像は悪くない。
ヤニスは、父の急逝で没落寸前の家庭にあった。剣の鍛錬に打ち込んでいたヤニスに、リティアが『庭園神ボルティム』の守護聖霊があることを見出し、衛騎士に抜擢した。
そういえばそんな神様もいたなと、誰もが思った稀な神で、祀る列候領もない庭園神がヤニスにどのような適性を与えているのか分からなかったが、とにかく剣の腕は確かだった。
――衛騎士として活躍もしてほしいが、自分の幸せも見付けてほしい。
ひとつ年上の少年にも、そう考えるのがリティアに身に付いた気質だった。
タロウとジロウがアイカの側に来て寝そべった。草原で駆けてじゃれ合い、満足できるまで遊んだようだ。アイカを囲む若い腕利きの騎士2人と、白と黒の大きな狼たち。アイカは相変わらず、ヤニスとカリトンの顔を、頬を赤らめながら熱心に見比べている。
リティアは、ふふっと笑いをこぼして、涼しい風が吹き抜ける草原に立ち上がった。
「今日は、母上のいる北離宮に立ち寄ろう」
衛騎士たちが続いて立ち上がり、慌ててアイカも立ち上がる。
リティアが、アイカの耳元に顔を近付け、
「私の母上は、美しいぞ」
と、他の者には聞き取れないような、小声で囁いた。
えっ? と、金色の瞳を白黒させるアイカに、悪戯っぽい笑顔を向けたリティアは自分の愛馬の元に歩き始めた――。
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