犬科な旦那さまと息子に私

ねこいかいち

 

「ルルチェスタ、すまない」


 頭を深く下げる動きに合わせて、彼の眩い金の髪がさらりと揺れる。


 ここは、王宮内の第三王子の為にと用意されたある一室。


 私、ルルチェスタ・マウリは目の前の男性、第三王子であるフランツ殿下の婚約者だった。


 明後日の正式な発表の前に、殿下自ら話がしたいと王宮に呼ばれ、改めて婚約の解消を告げられる。婚約解消の理由はたった一つ。殿下に想い人が出来たことだ。事前に内密の書面で伝えられていたが、いざ目の前の殿下の謝罪を前にすると、それまで湧いてこなかった、否定していた現実味が浮き彫りになっていく。胸がズキズキと痛む。


 ああ、やはりこれは現実なんだ……。


 そう思うと同時に、私は捨てられたのだと理解した。




 先日の呼び出しで殿下の謝罪を目の当たりにしてから、記憶が定かではない。あの後、殿下に何を話したのか、どうやって屋敷まで戻ってきたのかもあやふやだ。


 今日と明日、学校が休みで良かった。そうでなければ、明日発表される婚約解消の話で学校は持ちきりになっていただろう。


 と言っても、卒業までに必要な単位は全て履修済みの私にとって、残り一年を切った学校生活は少しでもフランツ殿下に会おうというきっかけに過ぎなかった。なので、そのきっかけがなくなった今、もう卒業式まで学校に行かなくてもいいのだが。


 殿下が好きだったのか、意識したこともなかった。だが今まで彼が約束を反故にしたことはなく、どこかで私は慢心していたのかもしれない。だから婚約解消の話が出て、裏切られた気がしてショックだった。ズキリと心が痛む。だが、公爵家令嬢として今後のことを考えなければいけない。気持ちを切り替えねば。過去を悲観してばかりはいられないのだ。


 窓の外から見える庭園を眺めながら、これから私はどうなるのか、それだけが気がかりだった。社交界や舞踏会、パーティーへ赴くのも手だろう。だが、婚約解消された私に声をかけてくれる殿方は居るのだろうか……。そればかり考えてしまう。


 机に肘を付き、深く溜め息を吐く。そんな時、部屋のドアが小さくノックされた。


「どうぞ」


 声をかければ、入ってきたのは執事長だ。彼が来たということは、父からの呼び出しだろう。実際、執事長の口からは「旦那様がお呼びです」の一言だった。私は彼について行き、父の書斎へと足を向ける。




「婚約、ですか……?」

「ああ」


 父から告げられたのは、新たな婚約の話だった。まだ公に婚約解消が発表されていない中での話ということは、王宮内でも位の高い家からの申し出となる。


「相手は、どなた、ですか?」


 動悸が強まり、口がつっかえる。未だに心の整理がついていない中での申し出とあり、緊張が走る。一体、相手は誰なのだろうか。


「ユーリッヒ家だ」


 父の言葉に、私は頭を強く殴られたような衝撃を受けた。




 侍女達が荷造りをしてくれている中、ドレスが皺になるのなんてお構いなしにソファの肘掛けに頭を乗せ寝そべる。


 ユーリッヒ家。そこは王家の番犬と称される、由緒ある公爵家だ。代々王家に仕え、専属の護衛を任されるほどの忠誠心の高さは、他の家には及ばないという。


 そして、お相手はダリアス・ユーリッヒ公爵。七歳年上の二十五歳で、五歳になるご子息がいる。五年前のご子息が生まれた時に奥様を亡くし、男手一つで子育てをしているらしい。王家への忠誠心は歴代随一とまで言われ、寡黙な方との噂だ。その方の元に、私は後妻として迎えられることになる。


 だが、私としては救いの手だ。ユーリッヒ家に嫁げば、まだ王家との繋がりが保てる。全てが私の所為では無いにしろ、殿下の想いが離れてしまったのには一端の責任がある。そういう意味では、両親に恩返しが出来るというものだ。


 深く息を吐きながら、上体を持ち上げる。少しでも侍女達の荷造りの手伝いをしようと、ソファから立ち上がり動き出した。



 翌日、まだ日が昇りきっていない霧の濃い早朝の時間帯、馬車が二台やって来た。どちらの馬車にも、王家を象徴する剣を護るように身を盾にする、狼と見間違う威圧感ある佇まいをした犬の横顔が描かれた紋章が記されている。


 一方の馬車に、ドレスやアクセサリー、日用品を詰めた鞄や荷物を使用人たちが運び入れだす。その間に、両親と執事長、メイド長と別れの挨拶を交わしておく。


「ルル、元気でな。お前は素直で優しい子だが、悩みを自分の中に抱え込んでしまう悪い癖がある。辛くなったら、いつでも相談してきなさい」

「手紙、書いて頂戴ね」


 父と母、二人に抱き締められながら、「ありがとう」と感謝を伝えた。両親の隣でお座りする白い大きなふわふわな毛並みを持つ愛犬のジョンも、こちらを見上げてくる。そっと優しく頭を撫でると、嬉しそうに目を細めてくれた。



 荷物を積んでいた馬車のドアの閉まる音がし、抱擁を終える。


「レディ、お手を」

「はい」


 御者の手を借り、もう一方の馬車に乗り込む。先方の要望の中に、嫁ぐ際は私一人で来て欲しいとあった為、馬車に乗り込むのは私一人だ。


 窓から、私を見送る両親と愛犬、幾人の使用人達が見える。皆に微笑みかけていると、馬車がゆっくりと動き出し、未だ霧の深い街の中へと進んだ。





 乗り込んだ時同様、御者の手を借り地面へと降り立つ。日が昇り出し、鬱蒼としていた霧が晴れだすと、目の前の黒一色の屋敷の大きさと厳かな雰囲気に圧倒され、思わず息を飲む。


 大丈夫……大丈夫……。


 ご子息含め、家の方々と親しく出来るだろうか。そんな不安が、胸をよぎる。目を閉じ深呼吸する。


 私が来るのを待っていた使用人が静かに会釈をし、扉の前へと案内してくれる。玄関の扉の前に立つと、鼓動の音が煩くなる。使用人の手が玄関へと伸び、扉が開けられた。




 開かれた扉から、玄関ホールへとゆっくりとした動作で入っていく。中央に立つ男性と、その脚に縋り付く幼い少年に目が留まった。


 どちらも漆黒の艶やかな髪と金の瞳を持っている。少年の方は朝早いせいか、重たい瞼を懸命に擦っていた。


「ルルチェスタ・マウリです。この度はありがとうございます」


 妃教育で培われた、見事なカーテンシーを行う。すると、男性の方が口を開いた。


「よく来てくれた。歓迎する」


 薄い唇から発せられた、低いバリトンの声。端整な顔立ちに、微かに目を細め微笑む彼の笑みに、つい見惚れてしまう。


「ついてきてくれ」

「は、はいっ」


 慌てて我に返り姿勢を正すと、彼と手を引かれる少年の後をついて行った。


 ついて行き通された場所は、応接室であった。導かれるまま彼の向かいにある革張りのソファに腰掛ける。素早く侍女が飲み物を用意してくれ、目の前に湯気の立つ紅茶が置かれた。視線を向ければ、頷かれ、カップを手に取る。ひと口飲むと、芳醇な香りと適度な温かさにホッと一息付けられた。


「改めて自己紹介をしよう。ダリアス・ユーリッヒだ。こちらは息子のルーク」


 簡単な紹介の後、彼は膝に乗せている子を抱えなおす。相変わらず眠たいのか、何度も瞬きを繰り返している。


「ルーク、もう寝るか?」


 ダリアス様の声に、彼は小さくたどたどしい声で「あいさつ、するの……」と首を横に振った。ダリアス様とは対照的に年相応の可愛らしさの目立つ少年は、私の方を向いて瞬きを繰り返す。


「ルーク、だよ。ルークって呼んで」

「ええ、わかりましたよ。ルーク」


 微笑みながら言われた通りに呼べば、ルークは嬉しそうに口端を上げ、満面の笑みを浮かべつつダリアス様に抱き着いた。そんなルークを見つめながら、ダリアス様は小さく微笑む。


「さあ、ルークはもう寝なさい。まだ朝食には早いからな」

「うん」


 頷き、侍女に手を引かれながら部屋を後にする。「ばいばい、おかあさん」振り返り手を振る彼に、私は目を細めながら手を振り返した。



「――さて。済まないが、ここからは重要な話をする」


 ソファの肘掛けに手を置き、ダリアス様はまっすぐ私を見つめた。


「まず、暫くの間はフランツ殿下との婚約解消の話で持ちきりになるだろう。ほとぼりが冷めるまで、婚約の話は控えようと思う」

「わかりました」


 その方が、私としても助かる。すぐさま発表すれば、浮気をしていたと思われても仕方ないからだ。


「それと、君には専属のメイドを用意する。こちらの我が儘を聞いて貰って済まないな」

「そこは大丈夫です。こちらこそ、婚約の話は有難かったので」

「そう言って貰えると助かる」


 カップを口に運ぶダリアス様は、とても優雅だった。


「最後に、この家の中は自由に出入りして構わない。ただし、夜だけは部屋から出ないで欲しい」

「夜、ですか?」


 あまりにも具体的な要求に、首を傾げてしまう。本当は理由を聞きたいが、聞いてしまって関係が拗れるのは避けたい。何より、それがダリアス様の望みならば、素直に頷くのがいいだろう。


「わかりました。そうします」

「助かる」


 これで話は終わりのようだ。すぐ側にいた侍女に促され、席を立つ。


「ダリアス様、これから宜しくお願いします」

「ああ、宜しく」


 挨拶を済ませ、侍女と共に部屋から出る。広々とした廊下を歩き、用意された自室へと足を運んだ。


 既に荷物は殆どが片付けられ、残りは私本人が整頓するもののみとなっていた。


「改めまして、メイド長のメイアです。こちらがルルチェスタ様の専属となるユニです」

「宜しくお願いします」


 二人に挨拶され、「宜しくお願いします」と声をかける。


「隣の寝室は、旦那様の寝室とドアを隔てて繋がっております」


 となると、ここは夫人専用の自室ということになる。私が使ってしまっても、いいのだろうか?


「あの…」

「なんでしょうか」

「私が、前の奥様の部屋を使ってしまっても構わないのでしょうか?」


 ダリアス様の寝室とドア越しとはいえ繋がっているということは、前の奥様の部屋をそのまま私の部屋にしたということだ。それは、果たしていいのだろうか……。


「大丈夫ですよ。旦那様からのご指示ですから」


 にこやかに告げられ、ホッと息を吐く。安堵した所で、朝食は実家で済ませてきた私は本などの趣向品の整頓をすべくユニと共に動き出した。




 片付けが済み、これからどうするか考える。二人は食事を済ませただろうか。可能ならば、少しでも早くルークとの距離を縮めておきたい所だ。そんなことを考えていると、相手に想いが伝わったのか、ルークが部屋を訪れてくれた。


「あ、あの……」

「ルーク。いらっしゃい、どうしたの?」


 もじもじと恥じらう様子は可愛らしく、母性本能が擽られる。彼が話し出すまで待っていると、意を決したのか、口を開いた。


「て、庭園、お散歩しませんか…っ!」


 思わぬお誘いに、嬉しくなる。微笑み、手を差し出す。


「じゃあ、エスコートをお願いするわ」

「うん!」


 目をキラキラと輝かせ、私の手を握ると彼は急かすように私の前を進んで歩いた。



 ユーリッヒ邸は、屋敷自体は黒一色で染められているが、庭園は色とりどりの花で満たされている。主に多いのは蔓バラだ。深紅や純白、淡い桃色や紫、黄色といった花弁のバラが咲き誇っている。


「あのね、ここはおばあ様が好きだった花が咲いてるの」

「そうなのね」


 どうやら、ここの花園には古い歴史があるようだ。一通り歩くと、ガゼボが見えた。そこにある椅子に腰掛け、二人で談笑する。


ふと、ルークが口を閉ざした。


「ルーク?」

「あのね……お母さんってよんでもいい?」


 どうやら、不安だったようだ。彼は母親というものを知らない。ある日突然現れた私を受け入れてくれるかと不安だった自分同様、彼も不安だったようだ。


「あなたの好きなように呼んでいいわ」

「本当?」

「ええ。今日から、私のあなたのお母さんになるのだから」


 顔を綻ばせ、ゆっくりと答える。ルークは嬉しそうに満面の笑みで「うん!」と返事をしてくれた。




 ユーリッヒ家に嫁いできて一週間。ルークとの仲は深まっていった。家庭教師から出された宿題をみてあげたり、共に敷地内を散策したりと充実した日々を送っている。ダリアス様の許可を得られれば、一緒に寝ようとも指切りで約束している程だ。


 私はというと、暫くの間休学することになった。というのも、婚約解消の件から学校はその話で持ちきりらしい。その為、ほとぼりが冷めるまでは家で大人しくしていようと提案されたのだ。


 提案してくださったダリアス様とは未だ会話もろくに出来ていないし、親しくなった印象はない。



 こんな口にしてしまうのは無礼だとは理解しているが、ダリアス様が再婚を決めたのもルークの為なのではと思い始めてしまっている。ルークの為。それでもいいと思っていたが、やはり可能ならば彼に愛されたい。彼をもっと知りたい。白い結婚になるのだけは、嫌だな……。




「――何か悩みでもあるの?」


 つい、溜め息が零れてしまったようだ。顔を上げ、私は「済みません」と謝罪する。


「気にしてないわ。悩みは誰にだってあるもの」


 そう返してくれるのは、義姉のアリア様だ。時々、こうして暇を持て余している私を気にして遊びに来てくれている。


「悩みなら聞くわよ」

「でも……」

「口にした方がスッキリすることもあるわ」


 優しい微笑みを返してくれ、私はつい、抱え込んでいる想いを吐露した。



「そう……彼は表情が乏しいからね」

「我が儘なのは理解しています。でも……」


 どうしても、悩んでしまうのだ。そう告げれば、彼女はにこりと口角を上げた。


「明後日の夜、西の中庭のガゼボに行きなさい。それであなたの悩みは解決するわ」


 その言葉に、目を見開く。だが、夜中というと、ダリアス様との約束を破ることになる。


「ですが、約束が」

「あなたが行動するかどうかは自由よ。でも、これがあなたの悩みを全て解決してくれるわ」


 そういい、彼女は席を立った。去り際、アリア様は一言付け加えた。


「この家が番犬と呼ばれる理由も、それでわかるわ」





 アリア様が帰って、自室で悩み続ける。彼女のいう通りに行動すれば、ダリアス様との約束を破ることになる。しかし、今のまま不安を抱えて過ごすのも苦しい。


 ダリアス様との約束、アリア様からの助言。その二つを天秤にかけ、悩む。


 そして、決断した。




 三日後、真夜中の屋敷の廊下を、ナイトドレスにショールを羽織った状態で歩く。幸い、使用人にも出くわすことはなかった。中庭へと通じる扉を開け、外に出る。満月だからか、ランプの灯りも不要な程だった。


 西の中庭へと歩き、遠くからガゼボに視線を向ける。すると、そこには狼と見間違うほどの見た目をした漆黒の毛色を持つ犬がベンチに横になっていた。


 よく見ると、その犬は学校に通っている時や屋敷に居る時に遠目で何度も見たことのある犬だった。視線を感じて振り返ると必ず居て、いつも遠くからこちらを見ていた不思議な犬。そんな犬が、何故ここに居るのだろうか。


 こちらの存在に気付いたのか、顔を上げる。射抜かれるような鋭い金の瞳にたじろいでしまう。一歩後退すると、足下にふわりとした感触がした。


「子犬……?」


 見下ろすと、足に擦り寄る小さな同色の子犬が、きらきらと瞳を輝かせ軽快に尻尾を振っていた。どうやら、あの大きな犬の子どものようだ。前脚を上げ、私へと懸命に体を伸ばしてくる。可愛らしい姿に、屈んで子犬の頭を撫でた。


 うっとりとした表情を浮かべてくる子犬に、思わず笑みが零れる。もしかすると、ダリアス様はまだこの屋敷に慣れていない私とこの子達を会わせるのは時期尚早だと判断したのかもしれない。現に、親犬の方はこちらを警戒しているのか、近づいてくることはない。


 それに、アリア様の言っていたことは彼らのことなのかもしれない。この犬たちは、番犬と称されるユーリッヒ家にとって、大切な存在なのだろう。


 子犬の可愛らしい姿を見られたし、秘密というのもわかった。それで今は十分だ。


「じゃあ、部屋に帰るわね」


 子犬に話しかけ、立ち上がる。親犬にも視線を向け、笑顔を向けた。すると、子犬の方が行かないで欲しいのかナイトドレスの裾を噛む。子犬のその行動に対し、親犬がベンチから降りてこちらに近づいてきた。首根っこを噛み、子犬を持ち上げる。しかし、子犬は私のナイトドレスを放そうとはしなかった。


「困ったわ……そうだ! あなた達さえ良ければ、一緒に部屋に行かない?」


 語りかけると、言葉を理解しているのか、子犬はドレスの裾を咥えたまま目を一層キラキラと輝かせ尻尾をはちきれんばかりに振った。親犬の方はというと、どうやら訝し気で気乗りしない様子だ。


 そんな親犬の様子を見て、子犬は小さく鼻を鳴らした。見るからに落ち込んだ様子だ。人間味がある子犬の姿に、親犬は子犬の顔を舐めると、スッと立ち上がり屋敷の方へと向かった。


「……いいの?」


 親犬に声をかけると、親犬は屋敷の扉の前に座り込む。子犬が親犬の元へ駆け寄り、私に向かってひと声吠えた。早く来いと行っているような態度に、私はくすくすと微笑し、彼らに向かって歩み寄っていった。




 自室の扉を開けると、子犬は一目散に寝台に飛び乗る。軽快に尻尾を振りながら、嬉しそうにベッドの上で跳ねていた。親犬の方は、私の横にピタリと寄り添っている。


 連れてきてしまったはいいが、当たり前だがこの部屋には犬用のベッドはない。どうしたものかと悩んでいると、子犬は布団の中に入りたそうにしていた。中々上手く入れないからか、鼻を小さく鳴らしている。


「狭いけど、一緒に寝ましょうか」


 寝台に近づき、布団に脚を入れる。すると待ってましたとばかりに子犬は私の隣に入り込んできた。


「あなたも、一緒に入りましょう?」


 入り口から動かない親犬に視線を向ける。一瞬躊躇うような素振りを見せたが、子犬が親犬に「キャン!」と吠え呼ぶと、親犬は私の反対側からベッドに上がった。布団を捲ると、親犬も下半身を布団に潜り込ませる。子犬を挟み川の字になって寝ると、私より体温の高い子犬の温もりに眠気が誘われた。


「おやすみなさい」


 明日、ダリアス様にこの子達に会ったことを話そう。そうすれば、少しは関係も変わるかもしれない。

微睡みながらそんなことを考えつつ、眠りについた。




 なんだろう……誰かに、抱き締められているような気がする。


 布団とは違った温もりに違和感を覚えつつ、意識が覚醒していく。ゆっくりと瞳を開けると、誰かの腕が見えた。


そっと腕の伸びる方に顔を向けると、昨夜までそこに居た黒い犬たちの姿はなく、代わりに静かに寝息を立てるルークと、ダリアス様の姿があった。


「え……?」


 思わず、声に出す。なんで、ここに彼らがいるのだ? それに、犬たちはどこに……?


「……ん……」


 ダリアス様の閉ざされていた瞼が震え、ゆっくりと開く。私と視線が交わると、目をこれでもかというくらい見開いた。


「ルルチェスタ……!?」


 ガバリと起き上がるダリアス様。上体を起こした彼の上半身は、裸だった。


「きゃああ!」

「っ、すまん!」


 真っ赤に染まる顔を両手で覆い隠し、思わず声を上げてしまう。自身の格好に気付いたダリアス様は慌ててブランケットで下半身を隠した。下半身を隠したということは、下も何も着ていないのだろう。


「ルーク、ルーク! 起きないか!」

「んんぅ……」


 ダリアス様の声に、未だ寝ているルークは眉を顰める。彼もまた、何も着ていなかった。それどころか、彼の頭の上には黒い犬の耳が付いていた。


「ルルチェスタ、済まない……バスローブをくれないか」

「は、はいっ」


 申し訳なさそうに目を伏せる彼のいう通りにするべく、ベッドから降りる。バスローブを取りに、慌てて浴室へと向かった。





「……」


 寝台の上に座りあい、身の丈に合っていない短いバスローブを身に纏ったダリアス様と、未だ私達の間で寝息を立てるルークを交互に見つめる。ダリアス様は居心地が悪いのか、頻りに目を泳がせていた。


 どう切り出せばいいのか……。何故、ダリアス様とルークがここに居るのか。そして、昨夜まで一緒だった漆黒の犬はどこに行ってしまったのか。聞きたいことは山のようにあるのに、言葉が出て来ない。


「……済まない」

「え?」


 先に口を開いたのはダリアス様だった。彼はぐっすり眠っているルークの髪を梳きながら、謝罪してくる。


「色々と聞きたいことはあるだろう。まずは、この家の秘密を話そう」


 そう言い、彼はこの家のことについて、語り出した。



 ユーリッヒ家は、王家の番犬と言われる通り、男児のみ犬に変身する能力を持つそうだ。それはダリアス様もルークも例外ではなく、漆黒の犬の姿になれるらしい。


 昨夜会ったあの犬というのは、二人が変身した姿なのだという。満月の日は、必ず変身してしまうそうだ。


 そして、これは王家の方々とこの家の使用人たちしか知らず、ユーリッヒ家の秘密となっているのだという。


「だから、夜は部屋から出るなと言っていたのですね」

「ああ。君に話すのは時期尚早だと判断してな」


 まず先にこの家に慣れて貰うことが先決と判断してのことだったらしい。


「すみません……ダリアス様がそこまで考えてくださっていたのに、私は約束を破ってしまいました」


 首を垂れる私に、ダリアス様は「気にするな」と言ってくださった。


「君から距離を取り不安にさせていたのはこちらだ……犬になる人間は怖いだろう?」


 そう言いながら、何処か悲しそうな顔をするダリアス様。私は首を横に振り、彼の言葉を否定する。


「怖くありません。寧ろ犬は好きです」


 そう返してみると、彼は目を瞬かせた。そうだ。犬に変身する所も含めて、ダリアス様なんだ。


 未だぐっすり眠るルークも、可愛らしい犬の姿も含めてルークという存在だ。


 そっと、ルークの髪を撫でる。うっとりとした表情を浮かべる彼に愛おしさが込み上げてくる。その手をずらし、ダリアス様の手に重ねる。ビクリと跳ねた手を、優しく握り締めた。


「私、もっとダリアス様のことを知りたいです。少しずつでいいので、あなたのお時間を私に分けてくださいませんか?」


 どうしても、声が震えてしまう。だが、これだけは言いたいと、勇気を振り絞って言葉にする。まだ彼のことを好きなのか、自分でもわからない。だからこそ、知りたい。




 沈黙が流れる。怖くて、顔をみることが出来ない。言いたいことは言った。後は、彼の言葉を待つのみだ。


「……君を初めて見たのは、王宮でだった」


 突然の言葉に、顔をゆっくりと上げる。目を伏せて語りだすダリアス様は美しく、彫像のようだった。


「実際には、任務で君の護衛を任されていた。だから犬の姿で遠くから見ていた。間近で見たのは、フランツ殿下と共に王宮の庭園でお茶会をしている時だった。既に妻は他界していて、胸に穴が空いたような状態で……それでも、ルークを育て上げねばという思いだけで日々を送っていた」


 言葉を区切り、ちらりとこちらに視線を向ける。宝石のように美しい金の瞳に見つめられ、どきりとした。彼は任務とはいえ、常に私を見守ってくれていたという。どうしてだろう、何故かそれが嬉しく感じてしまう。


「殿下に微笑みかける君の笑顔に、思わず見惚れてしまったんだ。妻以外を愛する気はなかったのに、君の眩しいくらいに明るい笑顔が、どうしても忘れられなかった。任務の間も、君が振り返って私の方を振り向いてくれないかといつも思っていた」


 重ねていた手が、握り返される。温かな温もりが手を包み込み、鼓動が速くなる。


「君の婚約解消の話を聞いて、この機を逃すまいと真っ先に君の父君に話を持ちかけた。狡い男だと思われてもいい。君を私の中に囲っておきたかったんだ」


 自らの行動を自嘲するようなダリアス様に、何故だか胸が熱くなる。


 フランツ殿下は、ここまで私に固執してくださらなかった。


 ダリアス様のこの固執が嬉しいなんて思ってしまうなんて、どうしたというのだろうか。


「そんな私でも、君は愛してくれるか?」


 微笑む彼に、頬が紅潮していく。


「あ、その……」


 言葉にならない声が出る。どうしよう。心臓が煩く騒ぎ踊っている。


「いつでもいい。私にも、君の笑顔を見せてくれ」


 その言葉を最後に、彼は私の頬を撫でた後、眠るルークを抱き上げ隣の主寝室へと帰って行った。




「……どう、しよう」


 この胸の高鳴り、どう表現すればいいのだろう。


 フランツ殿下とは、幼少期に決められた婚約だ。それが当たり前だと思っていたから、愛とか恋とか、そういったものを意識したことはなかった。婚約解消は確かに悲しかった。でも、それは彼が好きだったからではなく、約束を裏切られた気持ちが強かったからである。


 ダリアス様と、親しくなりたい。そう思っていたのは事実だ。でも、どうしよう。



「恋って、どうすればいいんだろう……」


 一人残された私の頬は紅潮し、ぽつりと呟いた声は、静かに部屋に響いた。







 あれから数年、数々の紆余曲折もあったがダリアス様とは愛を育み、ルークも含め良好な関係を築けている。私のお腹には彼との子が宿り、また一歩、家族の繋がりが強まった気がする。

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