第12話 5人目のこども

 最近、クラスに気になる人がいる。男の子じゃないよ。髪の少し赤い女の子。


 彼女はずっとひとりでいる。教室ではいつも携帯電話をいじっている。校則で携帯電話の持ち込みは禁止されているのだけどね。そんなことはまったく気にする様子はない。昼休みや放課後には桜の木の下のベンチに座って校庭を見回している。いや。見守っているかな。



 どこかあたしと似ているような気がしたのだ。胸の中にあるものを吐き出せずに窮屈な思いをしているのではないかと察した。そのわりに、校庭で走り回る男子を見守る顔は微かに微笑んでいるようだ。

 

 赤い髪の女の子を気にしているのは果歩ちゃんも一緒だった。どんなところが気になるのか聞いてみると、やはりなんだかあたしに似ていると言う。どんなところが似ているのかと伺うと、物思いにふけっていることが多いところだと言う。果歩ちゃんの目にもあたしは、そう映っていたんだね。果歩ちゃんは明るくて、お喋りな子だけど胸の中にはもっとたくさんのことをしまっているんだね。あなたも少しだけあたしと似ているよ。

 

 ある日の昼休み、果歩ちゃんは真っ直ぐに赤い髪の女の子の腰かけているベンチに向かう。え?え?どうするつもりなの?まさかの事態に備えてあたしは二、三歩後ろを歩いた。彼女は躊躇いなく赤い髪の女の子に声をかけた。



「佐伯さん。なにをしているの。わたし達も隣に座っていいかな。」



 前言撤回。やっぱり彼女とあたしはあまりよく似ていない。あたしにはこんなに大胆な行動はとれない。他の子も同じだろう。やっぱり果歩ちゃんは特別に勇敢な女の子だ。



「果歩と優江。」



 赤い髪の女の子はあたし達を指差して名前を呼んだ。知っているんだ。これまでお話をしたこともないあたし達のことを。



「いつか声をかけられると思っていた。」



 そう言ってふたりが座れるだけのスペースを作って、手で埃を払いながら言った。



「今日はなにをしにきたの?」



 愛想なかったから、気まずかったけどあたしの隣の相方は全く気にしていないようだった。



「佐伯さんとお話がしてみたくて声をかけたの。」



 佐伯さんは視線をこちらに向けない。ずっと校庭でサッカーをしている男子に釘づけだ。



「美羽って呼んでいいよ。そんなことよりあそこの男の子達をよく見てごらんよ。」



 果歩ちゃんほど勇敢な女の子はいないと先程言ったばかりだけど、赤い髪の女の子、いや、美羽ちゃんも随分肝が据わっている。自分のペースを崩すことはない。



「男の子ってさ。なんかいつも元気いっぱいって感じで可愛くない?」



「分かる気がする。」



 果歩ちゃんと美羽ちゃんは初めてお話するとは思えない程、自然体だ。必要のない気遣いはまったくない。



 美羽ちゃんはサッカーをしている男子の中のひとりを指差して言う。



「あの人はね。いつもああやって大きな声を出してボールをよこせと叫んでいるの。だけど、あまりボールを貰えないんだよね。あんまり上手ではないことをみんな知っているから。本人は自覚がないのか、次こそはいいところを見せようと思っているのか、全然あきらめないんだよね。不思議な人。」



 美羽ちゃんの指の先にいる男子はジャージの色から判断するにあたし達のひとつ年上であるようだった。あたしにはひとつ上の学年の人なんて大人に見えて、遠い世界の住人のような気がするのに美羽ちゃんの瞳は弟でも見るような視線だった。



「あのさっきからゴールの近くで右往左往しているのはわたしの彼氏なんだよ。」



 そこにいるのは、美羽ちゃんとはお似合いとは言えないような大人しくて控えめそうな男の人だった。その人はサッカーボールが右に行けば少し右に動いて、ボールが左に行けば、左に二、三歩動く。サッカーをしているというよりは空に飛んで行った風船を追いかける子供みたいな動きをしていた。お世辞にも格好いいとは言いづらいその人を美羽ちゃんは暖かい目で見つめていた。



 果歩ちゃんが尋ねた。



「美羽ちゃんはサッカーを見ているのが好きなの?男の人を見ているのが好きなの?」



 なかなか突っ込んだことを聞くなあ。あたしはちょっとドキドキしたけど、小さなことを気にしているのはあたしだけだったみたい。



「どっちも好きかな。男の子を見るのが好きだけど、特にサッカーをしている男の子が好き。ボールを一生懸命に追いかけている姿が可愛らしくて。ちゃんとしたサッカーってそういうものではないでしょう。自分の範囲で攻めたり、守ったりするものでしょう。でも、あの子達はコートの端から端までボールを追いかけることに懸命になる。ボールを支配して、いい恰好がしたいんだよね。もう子供扱いされることは嫌がるくせに、今のあの子達は純粋な子供だよね。」



 あたし達は美羽ちゃんの話に釘づけ。見た目よりさらにずっと大人なのだ、この子は。



「男の子を眺めているのも好きだけど、実はもっと身近におもしろい人がいるのを知っているよ。そのふたりはね。お互いのことが大好きなの。自分のことより先に相手を想いやる優しさを持っているの。自分の成功より、相手の失敗を気にするの。



 あれは他の誰にも出来ないなあ。親子であっても姉妹であっても。ちょっとだけ嫉妬もするの。わたしがいくら彼氏を想いやっても、あのふたりの関係には及ばないだろうなって。



 だけど、ふたりの優しさは余りあるから他の者にも向けてくれるのだろうと期待していた。いつか声をかけてくれると信じていたよ。お話をしたこともない人を信じて待つというのは勇気がいるものだと思っていたけど、無用な心配だったわね。待つことは苦にならなかった。」

 

 果歩ちゃんの頭の上には無数のハテナマークが浮いていた。あたしにはしっかり見えたよ。



 美羽ちゃん、有難う。あたし達のことをよく見てくれていたんだね。あたし達を待っていてくれたんだね。遅くなってごめん。これからは三人でいっぱい過ごそうね。うちの相方さんも今は混乱しているけど、喜んでくれるから。



 今朝、朝日を見たときはこんなに素敵なことが降りかかるとは想像しなかった。美羽ちゃんとお話をすることになるとも知らなかった。そういうものかもしれない。世界はあたしを中心として周っているわけではないのだ。路傍の石にしかすぎないのだ。みんなの力と意思でなんとか地球を回しているのだ。激しく回転する星の上に立っていれば、ふらついてこれまで係わりのなかった人と手が触れ合うかもしれない。大葉先生との出会いもそういうものだったのだろう。運よく美羽ちゃんと出会うことが叶ったのだ。あたし達は星の上でふらふらとしながら触れ合ったり、支え合って生きているのだ。


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