第6話 卒業?なにから?

冬から春に変わるというのはあっという間だ。まるで冬は今日で終わり。明日からは春が始まりますと決められたみたいに冷たい風はこの世から消えていく。  

そしたら間もなく桜が咲く。花が咲いてしまえば冷たい風は来年になるまで吹くことはない。季節は毎年ほぼ同じ時期にしっかりと切り替わる。今年の冬は一ヶ月長くなるなんてことはない。まるで学校行事みたいだね。


 今日はあたし達の小学校の卒業式だった。体育館に並べられた椅子に卒業生全員が腰掛けて、名前を呼ばれた者から順に校長先生から卒業証書を受け取る。いよいよあたしの番がきて校長先生から証書を受け取ったとき、校長先生から、


「これからも頑張ってね。」


と言われたことが物凄く気持ちが悪かった。


 今では幻影は「一〇九三日」にまで数を減らした。だからと言ってあたしにはどうすることも出来ず、どうにかする気も起きず、ただただ電池の残量を減らしていた。


 初めて幻影を見るようになってから体重は五キログラムも減ってしまった。あまりにお母さんが心配してくれるのでふたりで病院にも行ったんだ。痩せこけた原因は食事をきちんと食べていないことだそうで、他には特に内科的に悪いところはありませんと医者は言っていた。


 式が終わると、児童はそれぞれのクラスへ帰っていく。ここで担任の先生と最後の挨拶をしたらいよいよこの学校ともお別れだ。このときもあたしは晴れやかな気分どころか、想い出を懐かしむ心の余裕・豊かさなんて持っているはずがない。


 先生は教室に戻ると簡単にこのクラスでの思い出を語って、あたし達がこれから元気に成長していくことを心から願っていますって言ってくれる。心の優しい先生だし心からあたしたちを励ましていてくれているのだろうが、先生の声はあたしの頭にも心にも届かなかった。だってあたしには未来がないのだもの。成長なんて出来ないのだもの。そして先生が、


「みなさん、さようなら。」


と言って教室のドアのところに向かっていった。ドアのところでひとりひとりが教室を出ていくのを見送ってくれるらしい。あたしが教室を出るとき先生は言ってくれた。


「優江ちゃん。これからもずっと元気に頑張ってね。」


 あたしはそれを聞いたときに涙が止まらなくなってしまった。なぜ今更。校長先生に同じようなことを言われたときには吐き気すらしたのに。


 簡単な答えだよ。あたしの想い出は体育館の壇上なんかにはない。すべてこの教室の中にあるんだもの。そして、これからはきっと楽しい記憶なんて作れないんだもの。あたしの青春はここから踏み出したら終わってしまうのだもの。


 先生。あたしには「これから」がないの。すぐに死んでしまうの。あたしだけみんなと違うの。先生は泣き叫ぶあたしを抱き締めようとしてくれたが、


「先生。さようなら。」


と顔も合わせずその場を走り去った。抱き締められたら涙が止まらなくなりそうで。


 これまで何回も何百回も言ってきたはずのこの言葉がこのとき初めて重いものだと知った。別れの言葉なのだ。もう二度とこの教室に帰ってくることはないのだ。大好きなみんなや先生と元気にお話したり、笑うことはもうないのだ。先生。幸せな時間と居場所をありがとう。そして、さようなら。


 そう言えば、だれかがどこかでこんなことを言っていたのを思い出した。学校は卒業することがあってもそれだけでは人は自由にはなれないのだと。なにかを卒業してもすぐに次の進学先や職場で先生や先輩、上司からの支配を受ける。支配から卒業しないと本当の自由は手に入れられないのだと。あたしは、その言葉を思い出して苦々しい気持ちになった。あたしはだれかに支配されていたい。だれかとの係わりを持っていたい。このままひとりになって死んでいくのは嫌だ。いいじゃないか。人間に支配されるくらい。ありがたいことじゃないか。あたしは、残りわずかな人生、死の支配を受け続けて死んでいくのに。卒業式は本当に辛い一日だった。


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