第38話 そのメイド 『指示』

「ラグ。あとは頼むぞ」

「オーケー」

 階段の踊り場にて、男性同士の話し声が、横向けの状態で倒れるミカコの耳に届く。

「脈は……まだあるな。おい、しっかりしろ!」

 徐に屈んで、細いミカコの首筋に手を当てて脈を確認した男性の呼びかけに、ミカコはゆっくりとまぶたを開けた。

「ルシウス……それに、ラグも……どうして、あなた達がここに」

「ロザンナの指示だよ。しばらくの間、時間稼ぎをするから、その間に神仕かみつかいを救ってやってくれ……ってな」

 得意げな笑みを浮かべてルシウスはそう言うと、手に持っていた小箱のふたを開ける。ルシウスが小箱から取り出した小型の注射器を、不安そうに見詰めながら、ミカコは尋ねた。

「それは……?」

「さっき、ロザンナから預かったんだ。体内から強力な闇の魔力を取り除く、特効薬だとよ」

 少し痛むぞ。

 そう言ってルシウスは、ミカコが羽織るマントを少しめくり、慣れた手つきでミカコの左腕に注射した。注射針が皮膚にちくりと刺さり、ミカコの顔が痛そうに歪む。

「これでもう、大丈夫だ」

 注射し終えたルシウスがそう、持参した絆創膏で以て、止血処置を施すと安堵の笑みを浮かべて呟いた。

「慣れてるのね」

 気取ったように微笑みながら探りを入れたミカコに、ルシウスは穏やかな口調で理由ワケを語る。

「その昔、俺は裏社会と繋がる闇医者だったからな。裏社会から足を洗ってシェフに転職した今でも、医者としての仕事が出来るんだよ」

 ルシウスからの返事を聞く限り、嘘偽りはなかった。すっかりルシウスを信用したミカコはふと安堵の笑みを浮かべると礼の言葉を述べる。

「ありがとう……おかげで助かったわ」

「礼なら、ロザンナに言ってやってくれ。俺はただ、彼女の指示に従っただけだから」

 いささか切ないような、複雑な笑みを浮かべたルシウスは、

「さっき、中庭で一緒になったエマは、おまえさんが化けていたんだろう?」

 その鋭い問いかけでミカコをドキッとさせた。

「よく……分かったわね」

「エマは、ロザンナのことをさん付けで呼んだりしないからな。それで怪しいって思ったんだ」

 そう言えばエマさん、普段からロザンナさんのことを『ミセス・ワトソン』って言っていたわね。

 ふと、そのことを思い出したミカコは、ケアレスミスをしてしまったことを悔いつつも降参する。

「……ロザンナさんに術をかけられて、一時的にエマに変身していたの。ごめんなさい。あなたを騙すようなことをして」

 神妙な表情をして言い訳をしたミカコがルシウスに詫びる。そんなミカコに対し、ルシウスは素っ気なく応じた。

「いいって。どうせ、ロザンナの指示なんだろう? 使用人の俺達の中に悪魔が紛れ込んでるとかなんとか言って……だからエマになりすまし、俺達と接触した。ただ、それだけだ。

 にしても驚いたぜ。臨時のハウスメイドとして雇われたミカコの正体が、悪魔を封じる神仕いだったなんてな」

「それも……ロザンナさんから聞いたの?」

「いや、自力で知ったよ。実はな……おまえさんがジャンに接触した時、玄関ホールの隅で落合った俺とラグは、そこで身を潜めて事の成り行きを見守っていたんだ。それで知ったんだよ。おまえさんが神仕いであることをな」

 ミカコを見据えるルシウスの顔に、気取った含み笑いが浮かんでいる。まるで、ミカコのことで何もかも見透かされているような感じがした。

「そう……それなら、話は早いわ」

 ゆっくりと上半身を起こしたミカコは、

「あとは私に任せて、あなた達は早くここから逃げて。ジャンは強力よ。普通の人間には、敵わないわ」

 手厳しくルシウス、そしてラグにそう告げた。

「確かに……ジャンは悪魔で、普通の人間じゃないから、敵わないだろうな。俺達が、だったなら」

 自信に満ちた笑みを浮かべて、ルシウスは最後の言葉を強調、ミカコを不審がらせた。

「そう……僕達は、普通の人間じゃない。だからこそ、強力な悪魔を相手に冷静でいられるんだ。じゃなかったらこうして、結界を張って神仕いのミカコさんを守ってあげられないよ」

 自信に満ちた、凜々りりしい笑みを浮かべて振り向いたラグがミカコにそう告げた。

 今まで、ミカコを背にしながら、その周囲に張り巡らせた結界を支えていたらしい。愕然としたミカコは思わず、ラグにいた。

「ラグ……あなた……結界を張ることが、出来るの?」と。

「うん。ルシウスとここに駆け付けた時から、結界を張っているんだ。表向きはまだ、きみが階段の踊り場で倒れている風にしか見えないようになってる」

「ラグ……ルシウス……あなた達は、一体――」

「俺もラグも、ロザンナと同じ、冥府家政協会めいふかせいきょうかいに属する冥界人めいかいびとなんだよ……って言っても、ロザンナみたいに階級が高いわけじゃないけどな」

「僕とルシウスは、冥界に所在する死神結社しにがみけっしゃの宮殿で使用人をしているんだ。ここと同じ仕事に就いているんだよ」

 にわかに混乱したミカコに、ラグはにっこり笑ってそう告げた。先に正体を明かしたルシウスの言葉と繋げるようにしながら。

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