第29話 そのメイド 『睡眠』

 黒髪に黒のロングコートを着た悪魔の少年、セシルの正体は、ヴィアトリカ・ビンセントの屋敷で働く、ハウスメイドのミカコだった。

 今からおよそ、一ヶ月前。街まで買い出しに行ったミカコは、群青色のハットにフロックコートを着た英国貴族の青年、アロイス・アルフォードに術をかけられ、セシルと言う名の、悪魔の少年へと変えられてしまった。

 その後、セシルは真の正体を隠すため、アロイス・アルフォードに仕える執事のツバサ・コウヅキとして、この世界での生活をスタートさせる。

 そして、元の世界となる現世の、はるか上空に存在する魔界に、巨大な城を構える魔王に仕える幹部の一人、闇の騎士団を率いる長でもある魔人、ロビン・フォード。

 彼こそが、ミカコに術をかけ、悪魔の少年の姿に変えてしまったアロイスの、真の正体であった。

 ロビンは、自身に仕える魔人として、術により性別が変わったミカコを育てることで、天界側が打撃を受けるように計画するも……

 天使のようにピュアなミカコの心までも、完全に悪魔にすることが出来ず、断念。

 悪魔に向いていないと判断したロビンは、駆け付けたヴィアトリカ・ビンセントに『お返しする』形で、ミカコを手放した。

 それから一日が経ったが、ビンセント邸に設けられた使用人用の部屋より、上の階にある寝室で眠るミカコは未だ、目を覚ます気配はない。

 探偵エドガーの助手として、ビンセント邸に滞在するジャンヌは屋敷を出た。あれから、ロビンが扮する貴族の青年、アロイス・アルフォードはどうなったのか。それが気になったのである。

 銀白色のマントを羽織り、フードを目深に被りながら、街の中心部へとやって来たジャンヌは石畳の通りをしばらく歩き、やがて噴水のある広場に出た。

 そこからさらに東の方へ進んで行くと、いろとりどりのバラが植わるガーデンが姿を現した。

 私の記憶が確かなら……ここには確か、白を基調とした二階建ての、豪華絢爛な屋敷があった筈だが……

 昨日まであった筈の、アロイス・アルフォード邸がなくなっていることに、ジャンヌは不可解に感じた。

 誰でも無料で入る事が出来るガーデンの前で佇んでいるのは今のところ、ジャンヌだけである。

 まるで……初めから、ここに屋敷が存在していなかったような、なんとも不思議な光景だな。

「きみも、様子を見に来たんだね」

 気取った青年の声に反応し、ジャンヌが振り向くと……

「エドガー!」

 穿いているパンツのポケットに両手を入れて佇むエドガーの姿が、そこにあった。それも、気取った含み笑いを浮かべて。

「俺も今、様子を見に来て驚いているところさ。昨日まで存在していた筈の屋敷がなくなっていることにね。

 しかも、この通りを往来している通行人達は平然とこの前を通り過ぎている……まるで初めから、ここに屋敷が存在していなかったように」

「きみも、そう思うか」

 妙に鋭いエドガーの話に賛同したジャンヌが返事をする。

「これはあくまで、私の推測に過ぎないが……おそらく、アロイスは自身の、真の正体を我々に知られて、その存在自体を消したのかもしれない」

「俺も、そう思うよ。けれど……どんなに強い力でも絶対に破れない、頑丈な結界が、この街全体を覆っている。

 アロイスが、魔王幹部級の悪魔である場合……きっと、この街から出られない。ここはいわば、外界から封鎖された空間だから、今頃はこの街のどこかに身を潜めている筈さ」

 ジャンヌの左隣に佇んだエドガーがそう、冷静沈着な雰囲気を漂わせて告げた。

 どんなに強い力でも絶対に破れない、頑丈な結界……そうか!

 だから、アロイスは昨日、あんなことを言っていたのか!

 エドガーの言葉がヒントとなり、昨日、屋敷の中でアロイスが言っていたことを思い出したジャンヌは謎が解けたと言わんばかりの表情をする。

「ありがとう、エドガー……きみのおかげで、謎が解けたよ」

「えっ……?」

 いきなり礼を告げられ、きょとんとしたエドガーに、ジャンヌは出し抜けに話を切り出す。

「昨日の、アロイスの話を覚えているか? ミカコに術をかけ、魔人の姿に変えた後……悪魔になるための修行の場として、街外れにある広大な森を魔界に見立てて、生活を共にしたと言う……

 おそらくそれは、この街全体を覆っている、どんなに強い力でも絶対に破れない、頑丈な結界に阻まれているせいで、黒髪の少年の姿に変えたミカコを、魔界へと連れ帰ることが出来なかったからなんだ。

 この場所にある筈の屋敷が、忽然と消え失せたことも謎だが、私は今まで、アロイスが言っていたことも謎に思っていた。だが……エドガーがヒントをくれたおかげで、それが解けてすっきりしたよ」

「なんだかよく分からないけれど……きみの謎解きに手助けが出来て光栄だよ」

 なんとなくだが、すぐに事情を把握したエドガーは、気さくにそう返事をしたのだった。

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