第26話 そのメイド 『疾走』

 真顔で冷静沈着に語るジャンヌの話は信憑性が高くて、とても嘘を吐いているように思えなかった。

 ヴィアトリカお嬢様の屋敷を模した結界の中で、実際に彼女が目にした出来事の一部始終を聞き終えた僕は、頭の中が余計こんがらがっていることに気付く。

 それもその筈だ。僕は初めから、ヴィアトリカお嬢様の使用人として、屋敷で働いていないのだから。けれど……

 はっきりとそう言い切れないところがある。何故だかは分からないけれど、今いるこの場所が、この玄関ホールにどこか見覚えがあってならない。

 ここにいるヴィアトリカお嬢様や、彼女の傍らに品良く佇むロザンナさんも、私服姿の三人の使用人も、今日、初めて会ったばかりなのに何故か前から見知っているような、そんな感じがしてならないのだ。これは、一体……

 徐々に混乱し始めたツバサを見て、優しく微笑むとジャンヌは、首に提げているあるものを外した。それは、丸くて赤い宝石が真ん中にはまる、金の十字架だった。

「これを、きみに返す時が来た。メイドの彼女が連れ去られた時、道に落ちていたのを拾ったのだ。この十字架がきっと、にわかに生じた混乱を鎮めてくれるだろう」

 神々しいジャンヌの言葉に導かれるように、なんの躊躇ためらいもなく僕は、ジャンヌの手の平に乗る、金の十字架に触れた、次の瞬間。

 今まで思い出せなかった記憶が、次から次へと頭の中に流れ込んだ。

 元の世界となる現世に所在する聖堂の中。ところどころひび割れた、石造りの床。左右に並ぶ木製の長椅子。

 奥には主となる金色の十字架と祭壇。その両脇には白い像となっているジャンヌ・ダルクと、クリスティーヌ・ジュレスが、重厚な雰囲気をまといながらも勇ましく台座の上に佇んでいる。

 旅行用のトランク片手にこの世界へとやって来た少女が、長身でスレンダーな上級使用人のロザンナさんを連れたヴィアトリカお嬢様を街で見かけて声を掛けた。

 その後、市場の聞き込みでお嬢様の屋敷にて臨時のメイドを募集している、との情報をキャッチし、屋敷で行われた面接をクリアした少女は、ハウスメイドとして住み込みで働くことに。

 そこで仲良くなったのが、ハウスメイドの先輩エマ・ポンフリーと庭師ガーデナーのラグ・マクミラン、そしてシェフのルシウス・ストレンジの使用人達だった。

 咄嗟とっさに金の十字架を握りしめて、僕はある場所へ向かって駆け出した。



 石畳の通りや噴水のある広場を走り抜け、そのまま東の方へ進んで二階建ての、豪華絢爛な洋館の前で立ち止まる。

 荒くなった息を整えると僕は、屋敷の正面玄関に当たる、銀色の門に手を伸ばした。


 一階、玄関ホール側の階段を駆け上がり、二階の東側にある部屋の戸を勢いよく開けると、僕は主人の名を叫ぶ。

「アロイス様!」

「ツバサ……? 一体、何事だ」

 部屋の中にいた主人のアロイス様がやや驚きの表情をして歩み寄り、息を切らしながら、戸口の前にへたり込んだ僕に事情をく。

「無断でアロイス様の自室へ駆け付けたこと、お許しください。完全に記憶を取り戻す前に……どうしても、お伝えしたいことがあります」

 やっと話せる状態になり、面前で佇むアロイス様に向かって微笑みかけると僕は口を開いた。

「今からおよそ、一ヶ月前……この世界に迷い込んだ僕を、執事として温かく受け入れてくださり、ありがとうございました。

 あの時……他に行く当てがなく、途方に暮れていた僕を気に掛けてくれたことは、今でも忘れられません。

 一人でも大丈夫って思っていたけれど本当は……魔界から、単身でこの世界にやって来た時、とても心細かった……だからこそ、身寄りのいない、不安だらけのこの世界で、ロビン様と出会えて本当に嬉しかったんです」

「ツバサ……」

 徐に、同じ目線になるように姿勢を低くしたアロイス様が、気の毒な顔をして僕を見詰めると、当惑の声をあげる。

「私は、ロビンと言う名の人ではない。それに……私は、きみが魔界からきた人物であるとは、微塵も思っていないが」

 当惑するアロイス様に微笑みながら、僕はゆっくりと首を横に振る。

「僕は、魔界からこの世界へとやって来た魔人なんです。そんな僕のことを、この世界の人間は『悪魔』と呼び、怖れているようですが……

 先程、ここへ戻って来る前に、とある人から話を聞きました。領主のヴィアトリカ・ビンセント様のお屋敷で働くメイドが、お使い途中で連れ去られてしまったと。

 彼女を連れ去ったのが、群青色のハットにフロックコートを着た貴族の青年で、悪魔の気配が漂っていたと聞きます。

 そして今、僕の面前にいるアロイス様からも漂っています。魔人の僕と同じ……悪魔の気配が」

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