第16話 そのメイド 『視察』

 街の中心部から西に外れた場所に所在する、立派な聖堂の中で昼食を終えたミカコは探偵のエドガーと一緒に聖堂を後にすると、その足で、貴族の青年が目撃された現場へと向かった。

 街の中心部から東に逸れたそこは十字路になっていて、小洒落こじゃれた家や店が軒を連ねている。

 全体的に落ち着きのある色合いの、アンティークな骨董店が、通りを歩くミカコとエドガーの向かって、左手に姿を見せた。

「骨董商が目撃したのは、ちょうどこの辺りらしい」

 通り過ぎた骨董店から、およそ二十四メートルほど離れた場所で足を止めたエドガーがそう言った。穿いているパンツのポケットに両手を入れて、気取ったように佇みながら。

「十字路の、ちょうど真ん中ね……馬車や人通りもあるし、ここで何か悪さをすればすぐ、通行人に不審がられるわ」

 そして貴族の青年は、黒のロングコートを着た、黒髪の少年を連れて馬車に乗り込んだ。

 ここ数日間、街でいろんな人に聞き込みをしていてそんな情報を得たことがなかったので、馬車に乗り込むまでの間、彼らは目立った行動をしていなかったのだろう。

 通行人の目には、この世界にとってはごく普通の貴族とその連れにしか見えなかったのかもしれない。

 通りを鋭く凝視しながらも、考えを巡らすミカコはエドガーに尋ねる。

「ねぇ、エドガー……ここで彼らを乗せた馬車は一体、どこへ向かったのかしら」

 そのことを気にするミカコに、真顔でエドガーは返答する。

「骨董商の話では、ここで彼らを乗せた後、馬車はこの通りをまっすぐ走って行ったらしい。そっから先のことは分からないって言っていたよ」

「私達が来たのと、逆方向ね……あの先には、何があるのかしら」

「行き止まりだよ。ただ、左右に道が分かれているから、彼らを乗せた馬車はそのどっちかに曲がったんだろうぜ」

 因みに……右に曲がると噴水がある広場、左に曲がると街の中心部へと抜ける。

 そう、エドガーが適確に道を教えてくれた。

 この先の通りをまっすぐ走って行った馬車がその後、左右どちらかに曲がったことは明白だ。が、そのどちらに曲がったのかは分からない。ここに来て、調査に行き詰まった。

「……そろそろ、教えてくれないかな」

 難しい表情をして石畳の道に視線を落としていたミカコに向かって、不意に口を開いたエドガーが真顔で尋ねる。

「きみが、貴族の青年の行方を追う、その理由を」

 その鋭い質問に、視線を向けたミカコははっとした。

 ……そうだよな。私は彼に依頼をしているのだから当然、問われたことについて答える必要がある。

 驚くあまり、偽者としての自身に戻ってしまったがそう、思い直したミカコは気持ちを落ち着かせると、エドガーに理由を話す。

「私が、ビンセント家の使用人として働き始めてから、十三日が経った時だった。

 その日、ミセス・ワトソンの言付けで街まで買い出しに来ていた私は、その帰り道で遭遇したの。群青色のハットにフロックコートを着た青年と。

 その時は、彼が貴族だと知らなかった。けれど、後で身分を明かした彼が貴族であることを知って……それで、奪われたの。貴族の青年に、私の大切なものを……

 だから私は、彼が奪って行った大切なものを取り返すために行方を追っているのよ」

 エドガーに、見透かされてしまっただろうか。いま語った理由の中で、ミカコが言葉を濁した部分があったことを。

「差し支えがなければ……答えてくれ。彼が奪って行った、きみの大切なものが何なのかを」

 依然として、エドガーはミカコに鋭い視線を向けている。徐に尋ねられ、ミカコは顔を暗くして俯くと返答した。

「……ごめんなさい」

「それが、答えか」

「ええ」

 俯いたまま、気まずい雰囲気を漂わせて、ミカコは静かに返事をした。

 本当は、エドガーに理由を話すことが出来る。私が大切にしているのは何なのかも……だが、それをしてしまうと秘密保持が不可能となり、私が必死で守っているものを危険に晒してしまうのだ。すまない、エドガー……

 沈痛な面持ちでミカコは、心の中でひたすら、エドガーに詫びるのだった。

「そっか……まぁ、しょうがない。人には、言えないことのひとつやふたつあるもんだしな」

 心なしか、がっかりしたエドガーは、

「そんじゃまぁ、屋敷へ戻りますか。また帰りが遅くなると、ロザンナさんに叱られちゃう」

 気を取り直したように促し、ミカコに背を向ける。

「今は……」

 薄ら淋しそうなエドガーの背中に向かって、ミカコは不意に口を開く。

「今は話せないけれど……その時が来たら教えるよ。絶対に」

「分かった。きみのその言葉を信じて、俺は待つよ。ずっと、いつまでも……な」

 振り向きざま、エドガーは気取ったようにそう返事をした。その顔には、意を決したように告げたミカコを信頼するような、優しい笑みが浮かんでいた。

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