第10話 そのメイド 『降参』
市場に到着するなり、ルシウスがまず初めに訪れたのはビンセント家がご
それ故、ヴィアトリカお嬢様の好き嫌いを把握しているアドバーグがお嬢様好みの野菜や果物をセレクトしたものを、ルシウスは毎度受け取りに来ていた。
ヴィアトリカお嬢様とアドバーグに繋がりがあることを、ある時ふと語ってくれたアドバーグ自身から聞いたルシウスは、一緒に通りを歩くミカコに話を打ち明けるまでは誰にも口外していない。
「このタイミングで、俺がなんでおまえさんに、こんな話をしたと思う?」
先程立ち寄った店で、店主のアドバーグから受け取った大きな紙袋を、両手で抱えながらルシウスが不意に問いかける。隣を歩くミカコは、困惑の表情をして返事に困った。
どうしたらいいのか分からず、返事が出来ずにいると、それを察知したらしいルシウスが再び口を開き、解答を口にする。
「信頼しているからだよ。立場は違えど、ビンセント家に仕える使用人仲間として、俺はミカコを信頼している。
だからこそ、心配でならない。ひょっとしたら、俺が想像もつかないくらいの、とてつもなく厄介な事に巻き込まれているんじゃないかって」
そこで一旦区切り、立ち止まったルシウスは、真剣な表情でまっすぐ見詰めながらミカコに問いかけた。
「なぁ、ミカコ……おまえさんにとって俺は、そんなに信頼出来ない相手なのか?」
心なしか、哀愁漂うルシウスの問いに、隣で佇み、視線を合わせて切ない表情をしたミカコは静かに返答する。
「そんなこと……ないよ。私も、ルシウスのことを、とても信頼しているもの」
「それなら……」
どこかぎこちないミカコの返答に、ルシウスは意を決したように問いかける。
「答えてくれ。おまえさんは一体、何者だ? 本物のミカコは今、どこにいる」
慎重に選んだ言葉を声に出したルシウスの問いは、思わず目を丸くしたミカコにとって意表を突くものであった。
「……いるじゃない。いま、あなたの目の前に……」
唖然としたミカコはそう、たどたどしく返答。しかし……
「いま、俺の目の前にいるのは、ミカコのようでミカコじゃない。見た目はそっくりだが中身がまるで別人だ」
面前にいるミカコを不審に思い、真顔で否定したルシウスに、むっとしたミカコは刺々しく返事をする。
「まるで、私が偽者みたいな言い方ね」
「出来れば、こんな言い方はしたくねーけどよ。今のおまえさんを見ているとどうも、偽者に見えて仕方がないんだ」
「そこまで言うのなら、あるんでしょうね? 私が偽者だと言う、その証拠が」
むっとしたまま、腕組みして問いかけたミカコに、顔色ひとつ変えず、ルシウスは徐に証拠を挙げる。
「証拠ならある。歌だ」
「歌ですって……?」
「屋敷の中にいる間、ミカコは一日一曲は必ず歌っていた。だがここ数日、おまえさんは一曲も歌っていない。それは何故か」
「それは……毎日、忙しすぎて歌う余裕がないからよ」
「違うな。おまえさんは、ミカコが屋敷で歌っていたことすら知らないんだ。
それどころか、ミカコが普段、ハウスメイドとして俺達使用人とどう言う風に接しているのかさえも分かっていない。そもそも、ミカコはノリノリで男装したりしないからな」
「……それだけじゃ、私が偽者だと言う証拠が不充分だわ」
「なら、いまこの場で証明してやるよ」
犯人を追い詰める探偵の如く、凄みを利かせたルシウスは出し抜けに質問をした。
「ミカコの歌は、ヴィアトリカお嬢様さえも虜にした。その中でもとりわけ、お嬢様の心を惹きつけて大好きにさせた歌がある。その曲名は、なんだと思う?」
「……」
不意に、押し黙ってしまったミカコにとって、ルシウスからのこの質問は想定外だった。このまま沈黙が続けば、ますます怪しまれてしまう。ルシウスがさらに追い討ちをかける。
「どうした? 本物なら、すぐに答えられる筈だろう?」
万事休す、と言いたげな雰囲気を漂わせて口を真一文字に結び、ポーカーフェースのミカコは、ルシウスからの質問に返答出来ず、沈黙を守るしかなかった。
「これで、はっきりしたな。俺の質問に答えられないおまえさんは、俺が知るミカコじゃない。まったくの、偽者だ」
「……完璧だと、思っていたのにな」
やがて、観念したように控えめな笑みを浮かべながら、ミカコは白状した。
「あなたの言う通りだ。私は、ミカコではない……偽者だ。極秘案件につき、本人のふりをしている」
「極秘案件……それは、ミカコと繋がりのある俺にも言えないことなのか?」
「そうだ。情報
凜然たる雰囲気を漂わせ、辛辣にルシウスの問いに答えるミカコはまるで、どこぞの秘密組織に属するスパイを彷彿させたのだった。
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