第9話 そのメイド 『滔滔』
市場に到着するなり、ルシウスがまず初めに訪れたのはビンセント家がご
非の打ち所がないほどの、執事としての有能さがあり、とても物腰が良く、ゲイリー氏の一人娘であるヴィアトリカお嬢様も懐いていたと言う。
主人のゲイリー氏が亡くなったのを機に執事を辞めて、ビンセント邸を去ったアドバーグはその後、妻となるナルシッサと一緒になり、自宅近くに畑を構え、野菜を中心とする農作物を栽培しているんだそう。
市場に、青果を扱う店を構える店主が、自身の父親に仕えていた元執事であることはもちろん、ヴィアトリカお嬢様も把握している。
表向きは厳格さを兼ね備えた物腰の良い、立派な執事であるが、その裏では敬語ではなく少々荒い口調になることを知っていたからだ。
たった一人で休憩を取っている時など、人目を気にせずにすむ場所で、アドバーグがふとした瞬間に洩らすそれが、執事としてではなく『本当のアドバーグの人柄』に触れたような気がして、それを密かに覗き見たヴィアトリカお嬢様にとっては、心地の良いものだったらしい。
父親のゲイリー氏を亡くし、
そうして、立ち止まって店内に並べられた野菜や果物などの品々を見定めている買い物客の間から、執事だったその当時の面影があるアドバーグの姿を見つけたのだった。
それ以来、ヴィアトリカお嬢様は威勢のいいかけ声で野菜を売るアドバーグの店をご贔屓にしている。
元執事であることもあり、ヴィアトリカお嬢様の好き嫌いを把握しているアドバーグがお嬢様好みの野菜や果物をセレクトしたものを、ルシウスは毎度受け取りに来ているのだ。
ヴィアトリカお嬢様とアドバーグとの、そう言う繋がりがあることを、ある時ふと語ってくれたアドバーグ自身から聞いたルシウスは、一緒に通りを歩くミカコに話を打ち明けるまでは誰にも口外しなかったと言う。
「このタイミングで、俺がなんでおまえさんに、こんな話をしたと思う?」
先程立ち寄った店で、店主のアドバーグから受け取った大きな紙袋を、両手で抱えながらルシウスが不意に問いかけた。隣を歩くミカコは、困惑の表情をして返事に困った。
どうしたらいいのか分からず、返事が出来ずにいると、それを察知したらしいルシウスが再び口を開き、解答を口にする。
「信頼しているからだよ。立場は違えど、ビンセント家に仕える使用人仲間として、俺はミカコを信頼している。
だからこそ、心配でならない。ひょっとしたら、俺が想像もつかないくらいの、とてつもなく厄介な事に巻き込まれているんじゃないかって」
そこで一旦区切り、立ち止まったルシウスは、真剣な表情でまっすぐ見詰めながらミカコに問いかけた。
「なぁ、ミカコ……おまえさんにとって俺は、そんなに信頼出来ない相手なのか?」と。
心なしか、哀愁漂うルシウスの問いに、隣で佇み、視線を合わせて切ない表情をしたミカコは静かに返答する。
「そんなこと……ないよ。私も、ルシウスのことを、とても信頼しているもの」
「それなら……」
どこかぎこちないミカコの返答に、ルシウスは意を決したように問いかける。
「答えてくれ。おまえさんは一体、何者だ? 本物のミカコは今、どこにいる」
慎重に選んだ言葉を声に出したルシウスの問いは、思わず目を丸くしたミカコにとって意表を突くものであった。
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